やっと半分

 歩き20日目の6月2日。6時50に出発、この時間でもアルベルゲ内では最後の方で皆さんとても早い。今日は累計400kmを突破する日だ、足のマメ以外は大した故障もなくコンポステラまで半分を歩き続けて来られた。
 最初の村のバルでカフェコンレチェを頼んで持参のリンゴを食べる。隣のテーブルでもコーヒーを一杯頼んで持参のパンで朝飯にしている女性がいるし、みんな節約に精を出している。バルから少し離れたところにある長イスに昨日の宿で一緒だったコリア親子が休みだしたので手を振って挨拶する。
 次に小休止を取ったところで楽しみにしていたトマトジュースを飲んでみたら、ドロンドロンしているし塩辛すぎ、まるでケチャップのようだ。書いてある文字が分からないので絵だけ見て買ってみたがジュースでないのだけは確かのようだ。パスタソースにしては薄いし飲むには濃すぎる。半分近く飲んだあとは蓋をして取っておく。あとでパスタに入れるか水で薄めて飲むかだ。チョコのクロワッサンはボリュームたっぷりで旨い。オレンジは日本のと違って皮が薄く中身がぎっしり詰まっているので食べ応えがあり嬉しい。オレンジが好きで日本でも良く買って食べるのだが、皮が1cmもあって剥いてしまうと中身はふた回りくらい小さくなって悲しい思いをするが、スペインのオレンジは皮が2mmくらいしかないので、剥いても中身はそのままだから頼もしい。

 途中の村にはとても面白い住居があった。ロード・オブザ・リングに出てくるホビットの家みたいに、小さな丘に入口があって、丘の上には煙突がニョッキリ立っている。今は人は住んでなくて倉庫として使っているようだが、煙突があるのだから初めは人が住んでいたのだろう。夏は涼しく、冬は暖かいのだろうと想像する。ただ、窓がないので明かりはどうするんだろうとの疑問は残った。この村を過ぎるとこういった洞窟住居をたびたび目にするようになった。同じスペインでも何百キロも歩いていると地方地方で文化の違いが目の当たりに見られて楽しい。

 町の手前にあるローマ時代の橋を渡って暫く歩き、12時半、サアグンのクリュニュー修道会運営の大きなアルベルゲに到着。今日のアルベルゲは事前の情報「線路をまたぎ右に折れるとアルベルゲ」のとおりだったので簡単に辿り着くことができた。いつもこうだと有難いが、町によってはとても難しい所があって閉口する。
 正面入口に鉄製の等身大巡礼オブジェが立っている。物凄い時代を感じさせる建物だ。西欧のご婦人が建物の中を見渡してアメージングと言っている。そうか、アメージングとはこういう時に使うのかと自分も今仕入れた言葉をそのままご婦人に言ってみる。外は中世だが中は近代的に改装されていてシャワーもトイレもベッドもみんな使い勝手がいい。ただし、物干し場だけは中世のままでとてもお粗末。
 買い物がてら町の探検に出かける。どんな店がどこにあるのかも分からずに行くので、こういうのがゲームみたいで毎回楽しい。アルベルゲ前の通りにゴツイ鉄柵を取り付けていて、それを延々と長く伸ばしているので不思議に思ったら、ここサアグンの町でも牛追い祭りが催されるのがポスターで分かる。鉄柵を追って行くと丸い闘牛場がちゃんとあった。是非とも見てみたいが、今日催さなければ明日はもう出発でこの町を後にしなければならないから無理だ。残念〜。買い物は毎度お馴染みになった生ハム、トマト、ビール2、カステラ、スパゲティで5.36ユーロ。
 アルベルゲでスパゲティを茹でて正体不明のトマトジュース(?)を掛けてみたけど、パスタソースとしては薄味なので、また別の用途があるようだ。コリアの二人組とまた一緒になったので片言英語同士で会話を楽しむことができた。余りに相手が流暢な英語だと困るが、片言同士だとゲームみたいで逆に楽しいのが分かった。この二人は親子だった。父親はパク・スンズンさんで息子はトンデさんとのこと。父親は57歳で、自分は65だと言ったら驚いていた。年下と思っていたらしい。昨日はジャガイモを貰って、今日はワインを飲ませてくれたので、夕飯の買出しに出た時に自分も白ワインを買い、飲ませて上げることにした。そのほかヨーグルト2、オレンジ、オリーブのピクルス、コーラ、菓子パン2とパスタ用にマギーのスープの素を買ってみる。5.1ユーロ。オレンジとパンは明日の朝用だ。


コリア親子と夕飯

 アルベルゲで夕飯用にスパゲティを茹でていると、隣でコリア親子は大々的に料理をし始めた。中くらいの鍋いっぱいに肉をゴロンゴロン煮ているので、二人だけなのに韓国人ってこんなにいっぱい食べるんだぁと驚いていたけど、それらをテーブルにセットし出したら私の席も用意してくれて一緒に食べようと言ってくれる。あらま、大量の肉は3人前だったのか。肉の他に緑のでっかい唐辛子も皿にたっぷりあって、このまま食べればいいそうなので試してみる。うん、想像に反して大して辛くないので何本か食べさせてもらう。肉は小さな白菜みたいのに包んで食べるのが韓国流らしい。イチゴにリンゴまであり、赤ワインも出してくれたので自分も買ってきた白ワインとオリーブのピクルスを提供する。食後、父親の方が巡礼用の便利なアプリを教えてくれたので早速タブレットにインストールしてみる。Camino Pilgrimというとても便利なアプリでWiFiなしでも使えるので、これからスマホやタブレット持参で行く人は要チェックです。
 ここでも若い身長差カップルと一緒になった。日本から持参のファスナー付きビニール袋がいらなくなったので2枚上げたら「え、いいんですか〜」と、とても喜ばれた。これよりスーパーのレジ袋の方がかさ張らずに使い勝手がいいのが分かったので、処分したかったのだ。
 エミールからメールが入り、化膿した足の心配をしてくれている。ネットの翻訳では細かいところまでは分からないけど、想像でそう理解する。こちらからも翻訳を使い、今日のアルベルゲの写真を添付して返事を出しておく。エミールは2晩キャンプしたそうだけど、そんな装備があったのか?

 コンポステラ到着をざっと計算すると、やっぱり歩き40日目に着いてしまいそうだ。少なくとも5日間は間に挟まないと後半、日にちが余りすぎて困ることになりそうだ。年齢を考えて必ず膝や腰に故障が出るだろうと予想し、そうしたら途中の町で回復を待つための予備日をうんと取ってあったのだが、嬉しい誤算でマメが出来た以外は故障なしで歩き続けていられる。このまま調子ずいて歩き続けると、コンポステラ直前になって日にちをどう埋めるかで困りそうだ。でも、同じ町に連泊するのは面倒だしやりたくないので思案のしどころになりそうだ。アルベルゲは基本的に連泊できないので、もしそうしたいなら他の宿泊施設に泊まることになる。


ジョアンナ

 歩き21日目の6月3日。6時40にサアグンを出発。10時ころから暑くなって来て、ぐんぐんスタミナを奪われて行く。もっと早く暗いうちから歩き出さないとダメかなぁ?途中、オレンジとチョコパンを食べて朝飯にする。今晩の村が近くなってきた辺りで、数日前から顔見知りになったイタリアおばさんと前後しながら歩く。元気で賑やかなおばさんで、これぞイタリア人って感じだ。着ているものもちょっとアラビアぽくて風貌とともに独特の雰囲気がある。
 11時半、エル・ブルゴ・レネロ村の入口に到着。村の通りにあるバルではコリア親子が寛いでいるが、一休みしたらもっと先まで進むそうだ。アルベルゲへの道をちょっと迷って村の人に教えてもらい、今日のアルベルゲ前に到着、調度、別方向からやって来たイタリアおばさんと同時だった。受付が始まる迄にはまだ時間が大分あるので外のベンチで待っている間にイタリアおばさんが自分から名乗ってきたのでノートに名前を書いてもらい、自分の名前も書いてあげ写真もお互いのカメラで一緒に撮りあう。ジョアンナ、自分のことは「みっちゃん」と呼べと頼んでおく。言葉は分からなくても3日間も一緒に歩き同じ宿で寝泊りしているので何となく心が通じて楽しい。
 時間とともに続々と巡礼たちが集まりだして来て、玄関前で待っている人は十人近くになってしまった。早めに受付を始めればいいのにと思うが、ホスピタレロはボランティアなので勝手なことは出来ないのだろう。まだ時間はあるので近くの雑貨屋に行って取り合えずビールを飲んでおく。
 時間になり受付が始まった。ジョアンナが「みっちゃんがプリメーロ(一番)で自分がセグンド(2番)」と回りに主張してるが、本当はジョアンナが一番なのでジョアンナに最初に受付させる。宿代は寄付だったので5ユーロを寄付の受入口になっている壁の穴に入れる。白い髭のじいさんがバカに親しげにハイタッチを求めてきたので、どこかで挨拶したか話したことのある人なのだろうがさっぱり覚えが無い。東洋人で珍しいからあちらは覚えているのだろうが、こちらは欧米人の顔を覚え切れない。
 このアルベルゲで初めてル・ピュイから歩き続けている青年と会った。映画「サンジャックの道」の出発点のル・ピュイでコンポステラまでは1400キロくらいあるだろう。勇者に出会った気になって握手をして写真を撮らせてもらう。

 ときどき顔を合わせる女性と小さな男の子の二人連れと洗濯場で隣あったので話し掛けてみる。親子かと思ったらブラザーと言ったので姉と弟だったのか。西欧人の顔は子供でも大人の顔をしているので年が分からない。スイス人で、弟11歳は宿の中でいつも姉のあとばかり不安そうに追いかけているし、この時期に学校を休んで長期の巡礼をするのには深い理由があってのことなのだろう。最初に会ったころは弟も小さなナップザックを背負っていたが、数日後に会ったときには何も背負ってなくて木の杖を持っていただけだから、姉が全て背負ってやってるようだ。アルベルゲに着くと姉が甲斐甲斐しく食事を作って食べさせてるし、道中も弟が元気がでるようにゲームぽいことをやってる時もあったし、とても健気な姉ちゃんだ。弟はいつもビクビクしてるようなので、ブルゴスで買った小さなナイフにスイスのマークが付いているのを見せて和めるよう気遣ってみたり、会うたびに声を掛けていたら数日後にはあちらからブエンカミーノと声を掛けてくれるようになった。
 このアルベルゲは定員26名なのですぐ一杯になってしまい、入り口にはコンプリートの札が掲げられてしまう。でも、近くに私営があるので、溢れた人たちはそちらを紹介してもらっている。溢れてしまった女性二人と話した後、雑貨屋で再会した時に聞いたら無事に私営にチェックインできたそうで喜んでいた。
 新しいコリアのグループがいたので、朴親子の写真を見せたら名前を呼んで知っている人たちだった。ゆるゆるアンニョンズも朴親子は知っていると言ってたし、コリアの人たちはグループが違っても知り合いが多いようだ。そういうものなのか!?6人の大所帯で金髪青年もいるが全員が感じが良く、片言の日本語を話す人もいて話し掛けてくる。
 受付前にビールを買いに行った店にいつものように買出しに行く。少し厚手の靴下があったので買ってみるが、これは履いたら大きすぎて足に悪影響がありそうで失敗。その他食料を色々買って合計7.19ユーロ。

 キッチンで食後の洗い物をしていたらアゼルバイジャンの女性がご飯が余ったので食べないかと声を掛けてくれ、持っている釜にはグリーンピース入りのご飯がたんまり入っている。腹はいっぱいだが米の飯なのでこれは食べとかないとだ。薄い塩味が付いていて結構旨い。「ジャパニーズ イートライス エブリディ」と言ったら通じてるようで、それを知っているから声を掛けたみたいなことを言っていた。適当な発音と文だし、おまけに過去形にしなくても問題なく通じるんだなぁ。若いころのアグネス・チャンが良く「わたしそれ昨日食べる」と言っても通じるのと同じで、聞く側にしてみれば大した問題ではないのかも知れない。と、益々何ちゃってイングリッシュに気を良くする私です。
 明日の朝飯用にまた買出し。小さなパンとオレンジで0.87ユーロ。もうすっかりバルやレストランでの食事は不経済に思えてきて食べようと思わなくなった。同じお金を掛けるなら商店で買って宿で食べれば2食分が食べられ、定食が8ユーロとあっても安いと思わなくなった。これからも早い時間に公営にチェックインして店から食料を仕入れて食べるのが最良の手段の気がする。今日の支出も宿代含めてたったの12.94ユーロ。円なら1800円ほどだ。この調子で毎日過ごせれば言うこと無いのだがどうかな?


最初で最後の絵葉書

 歩き22日目の6月4日。昨日買ったソックスはやはり大きいので、ウォーキング用靴下の上に重ね履きしてみる。さすがに靴がきつくなったが、試しなので今日はこれで歩いてみる。
 暑くなってきたので皆の出発も益々早くなってきて、早い人は5時ころに出発し、殆どの人が6時前に出て行く。自分も今日は6時10にエル・ブルゴ・レネロを出発する、スペインの朝は遅く、まだ日は上がってなく真夜中のようだ。近くの交差点で西欧人の夫婦が道に迷っている。「こっちから来たからこっちじゃないの?」と日本語で言い、さっさと歩き出したら付いてきた。巡礼はこうやって前の人に付いていく習性があるのだ。私も良くやるが、時には前を行く人が急に迷いだし違う道を歩いてしまったことに気づくこともあるのだが。
 ようやく朝日が昇ってきたので写真を撮ってみる。その後は休みたくなったり飽きたりするとジュース、パン、オレンジ、干しぶどうなどを飲み食いしながら歩き続ける。
 11時過ぎにマンシージャの公営アルベルゲ前に到着。受付は12時半からなので時間つぶしに500ミリのビールを買って広場で人間ウォッチングしながら飲み始める。つまみは干しぶどうしかないけど、悪くもない取り合わせかな。同じ広場では自転車巡礼の親父達がでかいスイカを買ってきて食べている。自由だなぁ〜、ひとのことは言えないけど・・・。スペインでは50代60代と思われる人達がド派手な自転車用ウェアを着てグループでツーリングを楽しんでいるのを良く目にする。日本ではその年代の人がグループで自転車ツーリングするのを見たことないのでこれも文化の違いと言うものなのか。ヨーロッパにはツールドフランスがあるので、その影響もあるのかも知れない。
 歩きの巡礼者に英語で話し掛けられたのでアルベルゲのことを質問してるのかと思い、ムニチパル アルベルゲ 12:30オープンと教えてみるが、本当は何を言おうとしてたのか不明。的外れの答えだったら「こりゃダメだ」と諦められたのかな?
 イタリアのジョアンナもオープンを待っていた筈なのだが、ここにはチェックインしなかったようで見当たらない。あとで会ったときに聞いたら、時間が早かったので次の村まで行ってしまったそうだ。自分を含め、みんなこういうことを良くやっていて、その日どこに泊まるかはとても自由。
 アルベルゲに絵葉書があったので、日本の友達に絵葉書を出すのを約束してたのを思い出す。切手はどこで買うのかなぁとホスピタレロに聞いたら、なんとここでも売っているそうだ。郵便局を探す手間が省けた。何て便利なんだろう。早速10枚ずつ購入してテーブルで書き出す。絵葉書10枚3ユーロ、切手10枚10ユーロと、一日の目標金額の半分以上を使ってしまったので、絵葉書出すのはこれ一回で勘弁してもらうことにしよう。案の定、今日の支出は合計31ユーロと大幅にオーバーしてしまう。キッチンのテーブルで絵葉書を書きながら居眠りが出てしまう。


 歩き23日目の6月5日。マンシージャを7時に出発する。町を出る時に長い城壁があったので、あれ?ここって城塞都市だったのかと気づく。暫く歩いて行くとローマ時代と思われる長大な橋が現れて、町の名前もプエンテ・ラ・ビジャレンテと言うらしい。プエンテは橋のことなので、ずっと前に泊まったプエンテ・ラ・レイナ、王妃の橋を思い出した。古い石橋なのに、そっちは車用らしく巡礼者用の橋は隣に掛かけてあり、これも凄い長さが続いている。


大都市レオン

 途中はすっ飛ばし、約6時間歩いて大都市のレオン入口に到着。巡礼路の中ではこのレオンが最大の都市なので、さぞや迷うだろうなぁと身構えて街に入って行く。だんだんと都市らしくなってきたところに仮設テントがあって、どうやらやって来る巡礼者に道案内をしてくれているようだ。スタンプもあるし市内の地図もくれて、アルベルゲのある所までマーカーで線を引っ張って教えてくれた。さすが大都市レオンだ、こんなサポートまで用意してくれるのかと感謝感謝だ。テントに書いてある文字「protection civil 112」を後で検索したら、消防らしかった。ポルトガルの道では消防署がアルベルゲの代わりにあって巡礼者に一夜の宿を提供してるそうだし、消防署と巡礼は何か関係があるようだ。
 アルベルゲは旧市街にあることが多く、また、古い教会や修道院の側や隣に併設されていることもある。ここ大都市のレオンでもそれは同じで、古い教会の隣で路地みたいな狭いところにアルベルゲはあった。まだ受付前で、20人ほどが列を作っていたので、私もザックを列に置いて順番を確保しておく。チェックインしていつものルーチンをこなしてのち、近くの雑貨屋で缶ビール2本と生ハムを3枚切ってもらい外の石塀に座って飲んでみる。スペインは小さな雑貨屋でも生ハムをスライスするための機械が備わっていて、枚数を注文するだけで簡単に買うことができ、しかも安い。ただ、真空パックで売られている生ハムと違うところは外側が乾いて硬くて食べられないことだ。これは自然なので仕方がないことだろう。どちらかと言うと、真空パックの方が食べやすくて嬉しい。
 薬屋があったのでマメ用のカットバン20枚入りを補充しておく。2.3ユーロ。言葉が話せなくても何でも指差しで事足りる。街探検でレオンのカテドラルまでやってきたが、入れるのは4時からだそうなので地面の黄色い矢印を追いながらサン・イシドロ教会へ行ってみる。途中、同じように名所探検中の巡礼の連中に会うとお互い顔見知りになっていて、目印のバックパックを担いでいなくても挨拶できるところが楽しい。オラ・アミーゴと言ってくれる人もいて、これは言われると嬉しいので、自分でも言ってみたい気にさせられる。

 午後のオープン時間になったので、またカテドラル前の広場に行ってみると、顔を合わせるたびにニッコリしてくれるおばさんがベンチに座っていて、今回もニコッとしてくれる。何でだろう?この広場には他にも何度も宿が一緒になるコリアの女性二人連れ「アンニョン・シスターズ(と暫く前に命名)」がアイスクリームを食べていて、とても旨そうなので何処で買ったのか教えてもらい、食べながら歩いていたら日本人ツアーの一団がいたので声を掛けてみる。「こちらで生活している方ですか?」と言われる。ゴムぞうりを突っかけたジャージ姿なのでそう見えるのは無理のないところか。
 カテドラルに入ってみたが、5ユーロも取る割りにスタンプも置いてないし巡礼割引もなかった。でも、中はさすがと言う建物だったので良しとする。スペインの教会は凄過ぎて書くのが面倒。

 町をふらついていたら、ガウディ設計の建物がある別の広場でワインフェスティバルをやっていた。見て回る内に飲んでみたくなり、係りの女性に一杯幾らか聞いたところチケットは一カ所で集中販売してるそうだ。そこへ行ったら調度店じまいしてしまったので、さっきの女性にシャッターを下ろす身振りで店じまいされたと伝えたところ、ひとつのワインブースに連れてってくれ1杯飲ませてもらえた。発泡性のロゼで、冷えててとても旨い。クァントクエスタ?と、スペイン語で使える数少ないフレーズで聞いたところ代金はいらないそうだ。
 帰り道でソロの女性巡礼が公営アルベルゲを探していたので案内してあげる。そしたら受付で残りのベッドが2つだと言われたそうで、嬉しがっていたので自分もちょっと嬉しくなる。戻ってきたアルベルゲではイタリアの元気おばさんジョアンナと一緒になり、昨日はアルベルゲのオープンまで時間があったので次の村まで歩いてしまったことを教えてもらった。顔と言い話し方と言い、根性の塊みたいな女性だ。隣の教会で上がるミサが7時だと教えてくれたので、出ない訳に行かなくなった。予約しといた夕飯が7時半なので調度いいか。と言うか、夕飯の時間はミサの終わる時間に合わせてあるのかも知れない。アルベルゲの受付でレストランの予約ができ、たまには栄養補給しとこうと9ユーロの定食を予約しておいたのだ。50ユーロ札をだしたらお釣がないと言うので、近くのバルでビールを飲んで崩して支払っておく。


イーデンと再会

 ミサにはシスター達が10数人いたので、ここはやっぱり修道院付きのアルベルゲなのが良く分かる。棟続きだし。ミサ後はすぐにアルベルゲ隣のレストランに直行。数日前から私の顔を見るたびにニコッとしてくれるおばさんがいて、今回もまたニコッとしてくれる。感じが良いので前に座らせてもらう。隣にはカナダの父娘がやってきた。おばさんとカナダ人親子は英語で良く喋っていて、おばさんんはドイツ人と言うのが分かる。え?そう言えばブルゴスで一緒にアルベルゲを探したのもドイツのおばさんだったことを思い出し、顔もそう言えばこんな顔だった。「ブルゴスアルベルゲ ゴートゥー ウィスミー?」と、相変わらず文法もへったくれもない英語で尋ねたら、やっぱりそうだったのでビックリ!!私はあれ以来すっかり忘れていたが、おばさんはしっかり覚えていて、だから会うたびに嬉しそうに微笑みかけてくれていたのだとそのときに分かった。過去と現在を繋ぐ糸が偶然重なったようなとても不思議な感覚を覚える。実に9日振りに気が付いた訳だが、おばさんは3日前にコリア親子と私が一緒に食事していたのも知っていた。ブルゴスではほんのちょっとだけ親切にしただけなのに、ずーっと私のことを覚えていてくれたのだった。名前をお互いに交換してイーデンタゥトとのこと。長いのでイーデンで良いかと聞いてみる。隣はアイルランドからやって来たトーマス親子で、この親父は良く喋るのだがいかんせん英語ネイティブが喋る英語ほど聞き取りづらいものはないのが分かった。もちろん、娘の英語もさっぱり聞き取れない。一番分かりやすいのは母音がしっかりしているコリアの喋る英語だ。しかも片言なら片言ほど分かりやすい。(笑)
 トーマス親子とは昨日のアルベルゲでも一緒で、この後も一緒の部屋になるから3日間も同じ宿になったあと、まったく会うことはなくなってしまった。禅と大きく書かれたTシャツを着ており、禅の意味を知っているかと聞いて来たので、本人は特に禅に興味がある訳でもなく着ているらしい。
 明日はアストルガに泊まる予定だったが、計算違いで30kmもあるのが分かり計画変更。オスピタル・デ・オルビゴにでも泊まるか。このときは分からなかったが、これがもの凄くラッキーな選択だった。

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