モンターニャ

 歩き31日目の6月13日。7時20にカカベロスをスタートする。同室のブルガリア人は6時前にスタートしていった、昨日アルベルゲに入ってきたのも遅めだったし、毎日30kmくらい歩いているんだろなと想像する。私の日程は腐るほどあるけれど、カツカツの日程で歩いている人は毎日が修行のようなのかも知れない。あ、修行じゃなくて巡礼か。
 最初の村のバルでベーコンエッグとカフェコンレチェで朝飯にする。4.2ユーロ。朝日の当たるテラス席で食べて気持ちがいい。店で食べると高めだが風邪ぽいので栄養補給しときたいのだ。ここから泊まる予定のペレヘまでは11kmなのでゆっくりペースで歩いていられる。風邪に効くと噂のビタミンCを補給したいので、どっかでオレンジかトマトを仕入れたいなぁ。

 ビジャフランカビエルソと言う村にやってきたら、ネットで見たことのある教会の門が目に入った。あれ、これはもしや有名な許しの門かと思うが確信がないので通りがかったご婦人に聞いてみると、他の言葉は分からなかったがペルドン(ご免なさい)だけは聞き取れたので、やっぱり許しの門だったのだ。中世のころは途中で行き倒れる巡礼者が多かったので、時の司教が「この門まで来られたらコンポステラまで行ったのと同じってことで」と宣言した門だ。大きな町にあるとばかり想像していたが、意外やこんな山の村にあったのか。
 町外れから巡礼路は二手に分かれているようだ。調度そこに居たグループのおばちゃんがスティックで指しながら「イージーウェイ。モンターニャ」と教えてくれたので、片方は舗装道路沿いの簡単な道で、もう片方は山越えルートらしいのが分かった。そのグループは山越えを行くようだ。時間もあることだし自分も山越えルートに着いて行く。最初はものすごい傾斜の道がずっと続くがある程度まで上がってしまうとそれほどでなくなった。このグループはオランダチームで、この山越えルートを3時間ほど歩いている途中、一人も巡礼者に会わなかったので殆どの人たちは下のイージーウェイを歩くようなのが分かった。自分だってこの人達がいなかったら絶対に下の道を歩いただろう。でも、山の上からの眺めは最高なのでこっちを選んで良かったと思った。

 オランダチームに混ざって延々と山道を歩いて、天辺らしき所を越えたら道は下り始めた。風邪ぽいから汗だくのシャツのままでヒンヤリしたくない。乾いたTシャツに着替えていたらオランダチームを見失ってしまう。ま、一本道だから大丈夫だと思ったのも束の間、分岐点に出てしまった。間違った方に行ってしまうと山の中なのでエライことになってしまうと、ザックからタブレットを出してGPS電波をキャッチしようとしていたら、調度そこへソロのアメリカおばさんがやって来たので二人で道を検討しながら降りることになった。道を知らない同士でも二人居ると一緒に迷えるので心強い。アメリカ人に出会うのは本当に少なくて、日本人より少ないんじゃないかと思うほどだ。それとも話さないから分からないだけなのかも知れないが。アメリカおばさんはソロかと思ったら二人連れで、もう一人は下のイージーウェイを行っており、先のトラバデロ村で合流することにしているそうだ。自分が泊まろうと予定していたペレヘ村は下の道沿いにあり、山越えルートでは既に通り越していたのも分かる。必然的に今日の宿はドラバでロに決まった。


楽しい夕食

 そんなこんなでやっとトラバデロ村の入り口に着いたら、アメリカおばさんの相方は道
が合流するところにちゃっかり座って待っていた。このすぐ近くにパロッキエル・アルベルゲがあって、これも公営のことらしいので建物の前まで行ってみたが、どうもパッとしないのでもう一つの公営を表すムニチパル・アルベルゲも見ておこうと戻ったところで下の道をやってきたイーデンとバッタリ再会する。申し合わせた訳でもないのに、こう頻繁に会うと運命的な感じがする。イーデンもムニチパルに泊まるそうなので、一緒に行くことにする。歩いている途中に雑貨屋があるが、これはシエスタで閉まってしまうだろうなぁ。着いたムニチパル・アルベルゲはバルも併設していて、公営ってバルも開いている所があるんだなぁと意外だった。でも料金はいつもどおりの5ユーロ。相棒のクリスチーナが居ないので聞いたら、彼女はポンフェラーダで2泊したのでその後は分からないそうだ。イーデンも昨日はカカベロスに泊まったが、自分とは違う私営だったので会うことはなかった。
 イーデンの発案で、同じ部屋の男女4人で洗濯・乾燥をシェアすることになった。これだと一人2ユーロで済んでしまうので格安だ。男女は30歳くらいに見えるが欧米人ってこういうのは気にしないみたい。考えが合理的なんだろう。日本の海外ツアーで一緒になった女性に洗濯をシェアしませんかと言ったら、絶対に変態扱いされるだろう。
 食事も4人でシェアすることになって、村で一軒だけある雑貨屋に行ってみたが案の定シエスタで閉まっていた。5時過ぎにまた買いに来よう。洗濯や食事のシェアは私には逆立ちしても提案できないことなのでイーデンに感謝だ。どうしてもビールが飲みたいので、アルベルゲ併設のバルで一杯飲ませてもらう。1杯じゃ足りないが、お店で買えば倍飲めるので今回は我慢しておく。
 シエスタが終わった時間に買出しに行く。ビール2、翌日のパンとバナナで4.4ユーロ。それと今晩の夕食のシェア分のお金が2.1ユーロだ。食事のシェアと言うと、ほぼ必ずスパゲティになるようで今回もスパゲティがメインだ。キッチンで一人で夕飯を作っていたブラジル人女性が包丁で手を切ってしまったので、すぐ部屋から消毒スプレーとカットバンを持ってきてやる。消毒スプレーが役に立ったので買った甲斐があり嬉しい。感謝してくれるしね。

 夕飯は大きなテーブルに9人が集まった。今日のアルベルゲは小さいので、これが本日の宿泊者全員のようだ。私が日本、イーデンがドイツ、それにハンガリー男性のコスティ 、カナダ女性のカリーン、他に手を切ったソロのブラジル女性リージァと夫婦のスペイン人、それとコリアのカップルで賑やかな夕食タイムになりとても楽しい時間を共有できた。私も単語を並べる程度のカタカナ英語と、英語より遥かに劣る適当スペイン語を使って一生懸命喋ったが、こんな調子で適当に喋るのにすっかり慣れた感じがする。文法なんか考えてると喋れないから、時には単語を日本語の順番のまま並べたり過去形にするのを忘れたり過去形自体を分からなかったり、本当にメチャクチャだと思うが、聞くほうは何を言おうとしているのか想像力を働かせて聞いてくれてるようだった。英語圏でない人間が間違った英語を喋っても誰も笑う人はいないだろうと自分に都合の良い解釈をしておく。「カミノのことを後で思い出すと、苦労だったことは忘れて良い思いでだけが残る」と言おうとするのだが、これはさすがに伝わらないでいると、前にイーデンに同じことを言ったことがあって、イーデンはそのとき理解してくれたので今回はイーデンが通訳してくれた。


オ・セブレイロ峠

 歩き32日目の6月14日。トラバデロを7時半に出発する。今日は山の中にあるオ・セブレイロ峠まで行くのだが、やっぱり山道は天候が不安定だ。今にも雨が降り出してきそう。途中のエレイアス迄は舗装道路を歩き続けられたので、これは楽勝かと思われたが途中からやっぱりいつもの山道に変わる。この急で大きな石がゴロゴロしている山道はフンがひどく、牛かと思ったがどうも馬のようだ。上の方まで登ったところで、地元と思われる馬に乗った男が携帯で喋りながら下って行った後から、鞍を付けた空馬がドカドカと追いかけて行ったので、疲れた巡礼者を馬に乗せる商売のようだ。大量の馬のフン、滅茶苦茶迷惑。

 12時50、やっとのことで標高1300mのセブレイロ峠に到着。ここはケルト文化の丸い藁ぶき屋根が多数残っており、峠を登りきったら突然観光地が現れた。村の一番奥にあるアルベルゲに到着したら、既に20人ほどがザックを並べて開くのを待っていた。先頭は日本人のYさんで、私を見かけたらやって来てくれる。Yさんは毎日早く出立して、だいたいアルベルゲでは一番乗りをしているそうだ。早く着くとついその先まで行きたくなってしまうが、そこをグッと我慢して開くのを待つそうだ。昨日は割りと近くの村に泊まったのだが、ここに来る途中道に迷って大分遠回りをして辿り着いたらしい。
 1時に受け付けが始まっても一人一人に時間が掛かるのでさっぱり自分の番にならない。受付簿に名前、パスポート番号に加えて前日に泊まったアルベルゲ名まで記入してから自筆でサインまでさせる。ここは7ユーロだった。公営にしては少し高めの割に、シャワールームは囲いはあるが扉が無いタイプで、日本人は温泉などで慣れているが恥ずかしいと思う人は夜中に浴びていた。キッチンも立派なのがあるのに調理器具も食器もゼロなのでとても困る。この峠を過ぎてガリシア州になったら、こういうタイプのアルベルゲが多くなってきた。必然的に買出しの食料も、買ってそのまま食べられるものに限定される。イジメか!ビール2、トマト、パン、チェリーで6.5ユーロ。ここは観光地なので何割かは高い気がする。
 靴のカカトが磨り減ってきて、エアー部分まで到達しそうになっているのに気づく。エアーが壊れたらエアーマックスはどうなっちゃうんだろう?カカトがペシャンコになったら歩くのに支障が出るだろなと想像し、これは困ったことになった。このまま日本まで持つ可能性はゼロに近いだろう。どっか大きな街に着いたら買い直すか、もしかしたら街まで持たなくて片方の踵がペシャンコの靴でぴょこたんと歩く自分の姿が目に浮かぶ。

 Yさんが夕飯はここの名物のジャガイモ料理を一緒に食べに行こうと誘ってくれるので、小雨の中を連れ立って歩いて行く。ジャガイモ料理は単品でなく、定食の一皿として供されるそうだ。10ユーロ。高いけど日本の家庭の味ぽくて旨い。2皿目はポークステーキで、お約束のフライドポテトがたっぷりだ。デザートはスーパーから買ってきたまんまのカップヨーグルトが出てきた。


濃霧の中

 歩き33日目の6月15日。外は濃霧で小雨もあるようだ。ここのアルベルゲに前の人が置いていったのか忘れていったのか分からない衣類がダンボールに沢山あって必要な人は貰っていいらしいので薄手の長袖シャツを貰っておく。カメラを入れて置くのにポケット付きのシャツが欲しかったのだ。
 すぐ雨に変わりそうな濃霧なので、途中に食べられるような場所は無いだろうとキッチンで昨日買った菓子パンとレストランの食べ残しのパン一切れ、それとサクランボ15粒で朝飯とする。日本では高級の部類に入るサクランボだけが異常に豪華に感じる。今日の目標は21km先のトリアカステラだ。朝飯を食べてたので今日も出発は最後の方の7時半になった。

 2時間歩ってもずーっと濃霧の山の中を歩いている。前を歩いているのは身長2mはあろうかと思われる女性二人組で、昨晩は私の上のベッドになったので、ベッドが壊れて落ちてこないだろなと妙な心配をしてしまった。余りに大きいので、ベッドが小さくて斜めになって寝ていた。2mは大げさとしても、190cmはあるんじゃなかろうか、二人とも縦横とも大きくて、まるで巨人族に出会った気になる。
 途中の村にあったバルに入ってカフェコンレチェを飲ませてもらう。こんな状態の中を歩き続けていると何か違うことをやらないと気持ちが滅入ってしまいそうだ。狭いバルの中には雨具を脱いだ巡礼がいっぱい休んでいて、こういう人たちを見るとこんな状況の中を歩いているのは自分だけじゃないんだと再確認できてちょっと嬉しい。下って行く途中、いっとき晴れたので乾かなかった靴下をザックにぶら下げてみたが、またすぐ霧の中に戻ってしまったので、靴下は吊るしたままその上にザックカバーを掛けておく。
 1時半、雨も上がってトリアカステラ到着。公営アルベルゲが見つからないので、看板に「WiFi カリエンテ(熱い)シャワー 8ユーロ」の文字に引かれて私営にチェックインする。8ユーロは私営にしては安い方だ。て言うか、前日の公営7ユーロと比べたらこっちの方が古くても温かみを感じてずっといい。公営でも私営でもチェックインするときはパスポートを提出するのだが、そしたらここの女性オーナーはパスポートに書かれている生年月日を見て自分と同じ年の同じ2月生まれだと喜びだした。特に意味は無いが二人して盛り上ったので持参のマリア様のカードを上げる。室内を見渡して見ると何故か司教が着るような祭服が幾つも飾ってある。しかも重要な典礼で着用するような古くて重々しいものだ。言葉が分からないので詳しくは分からなかったが、こんなの普通は手に入らない代物なので何か教会と関係のあるアルベルゲらしいことだけは分かった。
 シエスタに入ってしまったので、仕方なく通りのバルでビールを飲むことにする。村のメインストリートでまたYさんと再会する。ガイドブックを持っているYさんはちゃんと公営にチェックインできたそうだ。公営は巡礼路から少し入ったところにあり、看板等は掲げてないので、知らないと通り過ぎてしまうそうだ。それか!どこの町や村でも私営を圧迫しないように公営はひっそりと運営されてるそうだ。でも公営は安いからちゃんとしたガイドブックを持ってさえいれば見つけちゃうのだが、私はそういうのが無いので見つからなかった。通りのテーブルで大ジョッキのビールを飲んでいると、何人も知り合いが前を通って行くので互いに挨拶するのも楽しい。2日前に洗濯と夕飯をシェアしたリージアとも再会できた。

冷凍食品に初挑戦

 まだ4時半だがスーパーが再開したのが確認できたので買出しに行ってみる。Yさんから冷凍の米が割りと旨いと聞いたので、いつもの食料の他に米に色んな物が入った冷凍物を買ってみる。店の人に調理の仕方を身振りと一緒に「フライパン?」と言ったら、それでOKだそうだ。ワインも1本買ったのでちょっと高めの7.56ユーロ。宿に戻って早速キッチンで米の料理に取り掛かる。と言っても冷凍食品なので基本的にはフライパンで解凍すれば出来上がりだが、その方法を知らないと冷凍食品には手が出ない。冷凍食品、日本では一度も扱ったことないしスパゲティもスペインに来て初めて作ってみた、大した進歩だ。2人前らしいが全部いっぺんにやってしまい、大きなお皿に山盛りになった。確かにそこそこの味なので、これからは機会があったらこれをまた食べようと思った。隣にはコリアの女性が座ってトマトを食べ出したので、トマトだけも何なのでワインを勧めて上げる。コップに軽く2杯飲んだだろうか、酔ってしまったそうだ。この人は日本語を少し話せた。
 ご飯で腹いっぱいになったし、食料もたんまり持っているので気が大きくなっている感じがする。とても単純。ユーロは残り140くらいになったので、そろそろキャッシングの機会を伺いださないとならないが、まだ5日は持つだろう。大きな街に出たら銀行を探してみよう。

 自分が来た時は一人だけだったこの部屋にも、既に13人が入ってきて大賑わい。自分の上段ベッドにはイタリア女性が陣取って、すんごい情熱的な風貌をしていて映画の人みたいで圧倒される。ここもWiFiが使えるので気になっていた学情研パソコンソフト・コンクールの入賞発表を検索してみたら、既に発表されていて、今年も上位に入賞して東京の授賞式に行けるのが分かった。今年できれいさっぱり仕事とは縁が切れたので、もう作品は作らなくなるからこれが最後になると応募したものが評価されてとても嬉しい。アドレナリンが大量に放出されたのか、この夜は興奮して殆ど寝ることができなかった。これまた単純。


モンターニャ再び

 歩き34日目の6月16日。トリアカステラを7時15に出発する。ここからは道は二手に分かれ、左の道は右より4.5km余計に歩くが平坦。右は山越えなので、今回は左の軽い道を行くようにメモまでしといたのに、いざその分岐点にやってきたらみんな右の道を行くので自分もそっちに歩き出してしまう。やっぱり仲間が多い道の方が何かと心強いのが理由だ。歩いていくと、この前二手に分かれて山越えをした道と比べたら大したことなさそうなのが分かった。だったら距離も短いし眺めもいいのでこっちの道で正解だったのだ。途中、小雨交じりの濃霧になったので上下のカッパを着込むが、すぐまた晴天になったのでカッパを脱いだついでに半袖になっておく。面倒でも状況に応じてこま目に着替えるのは大切だ。

 大きなサリアの街に入った道端にインフォメーションがあったので公営アルベルゲの位置を教えてもらう。地図までもらったのに、とても分かりづらいアルベルゲで1時間も掛かって公営に到着。看板は小さいのが申し訳程度にしか掲げてないし、途中にも公営アルベルゲはこっちとは記してないし、とても見つけづらい。本当に近くまでやって来ていても目の前まで来ないと見つけることが出来ない。オープンは1時なので、入り口で1時間待ちだ。何人か開くのを待っているが、ここでもYさんが一番乗りをしていて、待っている間にスーパーで買い物をしてきたようで大きなレジ袋を下げてやって来た。Yさんが言うには、トリアカステラから二手に分かれた道は、平坦な方は途中で通行禁止になっているので結局途中から私の歩いてきた山のコースに接続されていると教えてもらった。知らないで山のコースに入ったがそれで正解だったのだ。今日の宿は6ユーロだった。一通りのルーチンを済ませて買い物に出かけたら、スーパーの手前に銀行があったので店内で行員さんにキャッシングをお願いしたら機嫌よくやってくれる。キャッシングすると銀行にも手数料が入るので客には違いない。

 スーパーで大量に食料を買っておく。いつもの食料のほかにインスタントスープ2袋に大きな桃の缶詰も買ってみた。合計10.97ユーロは買い物の最高金額更新か!?ここのアルベルゲにはキッチンはあるが食器類が一切無いのでスープは明日以降に持ち越しだ。パンを手で二つに割り、生ハムとチーズを挟んでボカディージョを作って食べる。元々パン自体が旨いのでとても美味しい。トマトは包丁がないので二つを丸かじり。ビールも2本飲んだし腹がパンパンになった。食後、Yさんと街見物に出かけてみたが、特に見るようなのは無い感じの街だった。Yさんは公務員を退職したそうだが、見識が高いのでそこそこの役職だったのだろうと想像する。自分では言わないので聞かないでおく。


サリアからの巡礼者へ