コンポステラ到着

 歩き41日目の6月23日。モンテドゴソの巨大アルベルゲを6時40にスタートする。少し離れた私営アルベルゲに泊まったイーデンとイタリアチームは6時半にスタートした筈だから、追いかけるのに調度いい時間だ。まだ外は暗いが、近くには一緒に歩き出したペアがいるので心強い。徐々にサンチャゴ・デ・コンポステラの街に入ってきて大きな通りや建物が見え出してきた。Santiago de Conposteraと大きく書かれた看板やモニュメントが現れたので、とうとう着いた気になる。今まで巡礼路沿いに数限りなくあったサンチャゴと書かれた看板を見てきたが、とうとうその到達地であるサンチャゴ・デ・コンポステラに着いたのだ。
 予想したとおり、道端にあるバルのテラス席でイーデンとイタリアチームが朝食を取っていたので私も店からカフェコンレチェと小さなパンを買って席に座らせてもらう。欧米の人の朝飯はコーヒーとビスケットとか、とても簡単なもので済ます習慣があるようなので皆さんパンは食べずに残している。イタリアチームからパンを食べないかと薦められたので有難く頂いておく。日本人は朝も普通に食べるのでとてもビスケットだけで済まそうと言う気にならないが、食習慣は国それぞれで面白いし時によっては都合が良い。

 5人でゾロゾロとカテドラルを目指して歩いていく。徐々に旧市内に入ってきて石畳の道の両側には雰囲気のある建物が見え出してきた。パラドールだろうか、立派な建物の前を通ってトンネルのようなのをくぐり角を曲がったらそこがオブラロイド広場で、ようやくカテドラルの大きな建物が目に入った。みんな淡々とやって来てしまったので、誰も感激のカの字もないようで意外。泊まったモンテドゴソのアルベルゲからここまで、約6キロしかないと言うのも理由だろう。20キロ、30キロを歩き続け、へとへとの状態でたどり着くなら感激もひとしおだろうが。多くの人が泊まるモンテドゴソの位置がコンポステラに近すぎるのは一長一短ありだな。ニコレッタは昨日の歓喜の丘では感激して涙ぐんでいたようだが、今日は普通にしている。それでも嬉しいことには違いないので、全員で記念写真を何枚も撮っておく。

 巡礼事務所で巡礼証明書を発行してもらおうと移動する。まだ朝早いのに、もう行列ができている。私たちと同じように、みんなモンテドゴソを出発した人たちだろう。証明書は1ユーロで、それがクシャクシャにならないようにするための筒が2ユーロだった。
 イタリアチームはバスでフィステラに行くので、そのための準備があるらしい。私とイーデンは歩きでフィステラを目指すのでメノール修道会のアルベルゲを探すことにして一旦別れ、12時から始まる巡礼者のためのミサで落ち合うことにする。アルベルゲはカテドラルからは2キロ位離れていて町外れにあるようだが、今回もタブレットの地図を見ながら難なく到着。12ユーロと公営アルベルゲにしては高い方だが、ベッドは全てシングルだったので感激〜。ただし、2時過ぎないと用意できないそうなので、ザックは廊下の隅っこに置いといて身軽になってカテドラルに戻ることにする。
 明日からのフィステラルートを調べるために、ツーリスト・インフォメーションに行く。インフォメーションの人はさすがに英語を話すので、英語が堪能なイーデンにまかせとけばバッチリ安心だ。大きな地図までくれて出発点を教えてくれたので、実際にどこなのかを確認しに行ってみると、カテドラル前のオブラロイド広場からフィステラの道は始まっており、今まで歩いてきたサンチャゴルートがそのままフィステラルートに繋がっていた。ちゃんと矢印もあったので明日の朝はここからスタートすればいいのが分かった。ただし、今までと違ってアルベルゲの数は激減するので、どこで泊まるかと言うタイミングは自由に選べなさそうだ。とんでもない目に遭わないようにもっと情報を仕入れておきたい。

 12時からのペリグリノ・ミサに早めに行って、まだ時間があるのでサンチャゴの棺にお参りする。祭壇の真下に銀の棺があって、120cmほどなので全身と言うより骨をまとめたものらしい。
 イタリアチームはもう席に座っていたので隣に座らせてもらう。この席には「予約ペリグリノCONクレデンシャル」と大きく書かれた札が貼られていて、中央の祭壇から3方向に伸びている内の祭壇近くの席は全て巡礼者の予約席だった。その内、見てすぐペリグリノじゃないと分かる小奇麗な格好をしたおばさん達が何人も座りだして、イタリアチームのアンジーとニコは席を譲ってしまったらしく近くに立っている。おばさん達は胸にポルトガルとでっかく書かれた札を付けているのでポルトガルからの巡礼ツアーなのかな?巡礼のための予約席というのは、ツアーで来ているあなたたちの為の席じゃないんだけどと思うが、そんなことは言えないのでそのまま。

 名物のボタフメイロが上から下がっていたので、お、これは例のブルンブルンが見られるかと期待したが、今日のミサではボタフメイロの儀式が行われなかったのでみんなガチョンだった。ミサ後、ぞろぞろと外に出て行くところで久しぶりに日本人のYさんと会えたのでハグして再会を喜び合う。Yさんは既に3日前に到着して連泊しているそうなので、私より2日早く着いたのか。コンポステラ到着後は飛行機等の日程調整のために連泊する人は多い。そのため、今まで知り合った人たちとここで再会する機会は多そうだが、私たちは明日すぐフィステラ・ルートを歩きはじめるので、残念ながらそのチャンスは薄くなるかな。
 何がどう決まったのか分からないが、知らないスペインおじさんに連れられてぞろぞろと歩いていくと、一軒の小さなバルに入っていく。ウナギの寝床みたいな狭ーいバルで立ち飲み客でごった返している。ここで昼飯にでもするのかな?おじさんは慣れているようで何やら注文している。白ワインが深めの小皿で出てきて飲んでもいいらしい、見た目は変だけどとても美味しい。スペインでワイングラス以外で出てくるワインを初めて見た。しかも皿だよ。料理は中皿で、それをみんなで楊枝で突っつき廻して食べる。今までのバルとは趣が大分違うようだ。私たちは中に入りきれなかったので、外まではみ出して飲み食いしていたのだが、そこへ日本人の夫婦がやって来て中を覗き込み、混んでいるのでまた来ようと行ってしまったので、どうもガイドブックに載るような有名なバルらしいのが分かった。GATO(猫)と言う名前なので、忘れなかったら後で調べてみよう。
 バルの前でひとしきり立ち話をしてから、おじさんはどっかに行ってしまった。後で写真を見てみたら、モンテドゴソの広場でパリから歩いてきたご婦人に混ざって一緒にお喋りした人だったのが分かった。ここの飲み食いはおじさんのオゴリだった。
 少し歩いたバルのテラス席でお茶とケーキを食べながら5人で長い間お喋りする。これでイタリアチームとは本当のお別れになるので写真を撮りっこして、最後なので前もって私が支払いをしておく。それが分かったらみんなが驚くほど称えてくれたので照れ臭いようだった。全員とハグして別れをしていたら、一番のひょうきん者のアンジェリカの目が真っ赤になっていたので、コンポステラ到着よりずっとジーンと来た。

 カテドラルの博物館があったので一人で入ってみる。オブラロイド広場も上から見下ろせて中々貴重な眺めだ。いま使われているボタフメイロの先代なのか、同じものが部屋の隅に展示してあった。こりゃチャンスとどの位重いのかガチャガチャ音を立てて持ち上げていたら、セニョールと声が掛かってしまった。隅っこで本を読んでいた人は見張りだったのだ。ただのヒマ人かと思った。

 アルベルゲへ戻ってシャワー・洗濯してたら同じ部屋のカナダ人女性が明日からのフィステラ・ルートを一緒に歩くことに決まったらしい。フィステラルートは村と村の間が長く、アルベルゲも極端に少なくなるからちょっと心配なので、人数は多ければ多いほど心強いのでありがたい。食堂に下りて行ったら、午後は7時にならないと売店が開かないので持っている食料を出し合って夕飯にすることになった。私がスープとパン、イーデンはチョコ入りのビスケットをいつも持っている。私に自販機のノンアルコール・ビールを奢ってくれた。カナダ女性が後からやってきたので売店は開いてないから一緒に食べようと誘う。少ししなびたリンゴを持ってきていたので、それをカットして分けてくれた。
 このキッチンにずっと前に何度か一緒になった背の高い日本のご婦人がいて、既にフィステラ・ルートを歩いて来たそうだ。これは最新情報が仕入れられるとイーデンを呼ぶ。「えーっ、私そんなに英語喋れない」と言うが、私だって相当な片言だから大丈夫だよ。やはり村が少なくて、当然泊まるところも商店も少ないから食べられる所があったら食べておくのが良策だそうだ。海の側を歩く道なので霧も凄いそうで、もう1m先が見えない霧にも出会ったそうだ。相棒のご婦人は膝を故障したので一部をバスを利用したが、今は元気だって。そう言えば以前、前日泊まったアルベルゲにパスポートを忘れた人はどうなったんですかと聞いたら「この人ですよっ」と背の低いご婦人を指差して大笑い。色々あった人なんですね。
 空模様がイマイチなので、もし明日の朝起きて雨が降っていたらここにステイと決めておく。私は日程が有り余っているので、そうなった方がありがたいな。


カミノ・デ・フィステラ スタート

 歩き42日目の6月24日。6時40にコンポステラをスタートする。カナダ女性の名前を聞いたらロビンだって。ロビンってロビンフットのロビンだよねと言ったら、バットマンの子分のロビンでもあるそうだ。なるほど、ひとの名前を覚えるのが苦手な私でも一発で覚えられそうだ。三人とも2本スティックを使っていて、スティックに付いているベルトを使わないイーデンにベルトの効用を教えたことがあったけど英語力不足で伝えられなかったことがあったので、いい機会と、ロビンが教えてやってくれと頼んだら、やっとイーデンも理解できたようでベルトに手首を通すようになった。
 カミノ・デ・フィステラを歩く人は本当に少なくて、今まで歩いてた人数のせいぜい5%くらいの気がする。その分、ペリグリノ同士の連帯感は強いと感じるので、こっちの方が巡礼路らしくて気持ちがいい。

 最初の村にあったバルで沢山の巡礼が朝食を取っていた。道筋では殆ど会わなかったが、こんなに歩いている人がいたんだ。チュロスとホットチョコレートで朝飯にする、2.5ユーロ。この組み合わせって日本にいるときにもテレビで目にしたほどなのに、食べるのは初めてだ。チュロスをチョコレートに沈めて食べるのが流儀らしいので真似てみる。濃厚なチョコが甘くて旨い。一足早く食べ終わったロビンは先に出発して行ったが、これ以来ロビンと会うことはなくなってしまった。フィステラルートをずっと一緒に歩くことになったと思って喜んでいたのだが、ま、歩くスピードが合わなかったのかな?
 次の村でもカフェコンレチェを飲んでおく、このバルではサービスで小さなチョコレートが付いてきた。イーデンは歩くのが遅いので、今までの歩き所要時間の読みより掛かるようだがこっちの方が体は楽だ。今まではイーデンが前を歩いていると、ひとこと言って追い越してしまうのが普通だったが、イタリアチームと5人で二日間を一緒に歩くようになってからは、イタリアチームが居なくなっても二人は自然にチームを継続することになったので歩調も合わせるようになった。
 目的のネグライラには2時ころに到着する。この町は大きいので複数のアルベルゲ・チラシが通りのアチコチに貼ってあった。公営は満室らしいので、カルメンと言う私営にチェックイン、10ユーロだ。キッチンはないけれど感じのいい寛ぎスペースもあるしWiFiもあるしグーだ。今日はイーデンの娘の誕生日だそうなので、タブレットからドイツ版Hotmailに接続してメールが出せるようにしてやるが、どういう訳かメールはブロックされてしまうようで出せなかったと言っている。なんでかな?
 スーパーへ買い物に行き、アルベルゲの寛ぎスペースで500ml缶ビールを2本飲む。アイ マスト ドリンク 2ビヤー エブリディ とふざけたら、「マスト!」と突っ込みを入れてくれた。ありがとうイーデン。
 そろそろキャッシングをしたいので、イーデンにATM操作をお願いする。でも、ドイツ語でやってくれたので相変わらず良く分からない。今度は英語モードで頼もう。今回も300ユーロをゲットだぜ。いつでもどこでも300ユーロしかキャッシング出来ない。キャッシングするとすぐカード会社から利用された旨のメールが来るのだが、今回で4回キャッシングして毎回利用額が異なる。ユーロは少し下がっているようだ。

奇跡的な再会

 ディナーのためにアルベルゲ付属のレストランに入っていったら、エッと言う人が食事をしていて、向こうも私の顔を見て激しく反応している。1ヶ月近くも前のブルゴスで私の化膿した足の手当てを手伝ってくれた中国のジョユウ君ではないか!!もう奇跡的とも思われる再会をハグして喜ぶ。ジョ君は時折私のことをやってくる巡礼仲間に聞いていたそうで、そのたびに「彼はもっと後ろにいるよ」と返事をされていたそうだ。イーデンが「ミッチャンは有名人なの?」と笑っているが、ヒゲ面の東洋人は意外と目立つのだろうとその時思った。同じアルベルゲに泊まっているスペイン人夫婦もいて、一緒のテーブルで食べようというので座ったら、イーデンがチャイニーズも誘えと言っている。こういう所は欧米人はスマートだなと感心する。日本人はつい、独りで食事を楽しむ人もいるだろうからなんて変に気を使ったりするから誘わない場合が多いが欧米人はそこが違うのかも知れない。声を掛けるとすぐ食べかけの皿を手にやって来てくれて、5人で楽しい夕食になった。この写真には6人が写っているが、一人は後からやって来た人で各国からやって来た巡礼者のサインを集めているそうで、日本人は初めてだからと日本語でサインを頼まれた。

 歩き43日目の6月25日。7時半にネグレイラを出発する。ちょっとゆっくり目だ。途中には長いことバルがひとつもなく、持参のバナナやパンを食べて繋いでおく。やっぱりこのルートには村が少ないのを実感する。いつでも食料と水は切らさないように注意しておかないと悲しい目に遭うだろう。
 11時40、小さな村のビラセイロに到着。この村に一軒だけあるバル兼アルベルゲにチェックインする。この村を過ぎると多分15キロ先に宿があるだけなので、これを逃してはならないのだ。ここしかないだけに強気の12ユーロだが、部屋はキレイだった。お昼は外のベンチで殆どイーデン持参の食料を食べさせてもらう。おまけにビールの大ジョッキまでおごってくれた。すまんのう、後でお返しするからの。チーズはドイツ産のチーズで、スーパーで見つけたようだ。緑色の小さい粒が入っているチーズで、何かと思ったらマッシュポテトだそうだ。日本のとは違って緑色なんだな。
 シックなワンピース姿のご婦人が来て、大きく開いた背中といい、腕といい、直径1cmくらいの赤い斑点が規則的に並んでいる。しかも無数に。ベッド・バグにやられたそうだ。ひぇ〜っ、こんなになるのか!どこのアルベルゲか聞いたら、ホテルでやられたんだって。安いからダ二がいる訳じゃないんだな。お気の毒。アーユーペリグリノ?と聞いたらそうだって。ワンピースまで持ちあるっているお洒落な人がいたんだな。

 7時過ぎ、アルベルゲのバルで夕飯にする。ハム・目玉焼き・フライドポテトのプレート6.5ユーロとビール。ベジタリアンのイーデンがハムを大量にくれたので、2枚載っている目玉焼きを一枚上げる。ベジタリアンって卵はいいんだ?
 食後、8時20になってからチェックインしに来た3人娘がいた。朝にコンポステラを出発して40km以上を一日で歩いてきたそうだ。村に一軒しかないこのアルベルゲが万床だったらどうするんだよ。我々が2日に分けて歩いてきた距離を1日で歩いてしまったのだ。まぁ若さって凄いね。


スーパーステファン

 歩き44日目の6月26日。今日の行程は少し多めなので、他のみんなも早い時間からパッキングを始めている。6時40、まだ薄暗い中、ビラセイロを出発する。昨晩遅くに到着した3人娘はまだ起きてこない。そりゃそうだろう前日に40kmも歩いたんだから。
 2時間歩いた村のバルで朝飯にする。隣のテーブルで食事をしていた男性に声を掛けたところ、ドイツの自宅からずっと歩いてきたそうでビックリ仰天。なんと4月から歩き始めて2,243kmも歩いているそうだ。それだけの距離を歩くだけあって、専用のGPSも携帯している。名前を書いてもらったらステファン。ドイツ語と英語で短文まで書いてくれた。大昔の巡礼は交通機関が無いので自宅からコンポステラまで歩くのが当たり前だったが、それを現代でもやっている人がたまに居るのは知っていたが、会うのは初めてだった。凄いぞステファン。バックパックもでっかいのを担いでおり、キャンプ道具も入っていて17kgもあるそうだ。屈強なドイツ軍人という感じがする。同じドイツのイーデンとはドイツ語で喋れるので、まぁ喋る喋る。2時間ほど三人で一緒に歩く間中ずっと喋り倒していた。イーデンも久しぶりにドイツ語でいっぱい喋れたので良かったことだろう。
 途中、イーデンが寄り道したときにはぐれてしまう。ステファンと暫くお喋りしながら待ってみたが来ないのでステファンは先に行くそうだ。私はイーデンはファミリーなのでもう少し待つと言ってみたが、結局来ないのでまた一人で歩き始める。どっかでまた再会するだろう、今までもずっとそうだったので。

 オルベイロアの村に入ってきたので公営アルベルゲを探しながら歩く。どんなアルベルゲなんだろうと、いつもワクワクする時間だ。迷うことも無くアルベルゲ前に到着すると、なんと突然イーデンから声が掛かったのでビックリ。後ろを歩いているものと思っていたが、既に先に到着していてバルのテラスでステファンと昼飯の最中だった。アルベルゲのベッドは私の分を既に取ってあるそうだけど、受付は夕方からだそうだ。どういうこと?訳が分からないが、そう言ってるんだから心配いらないだろう。自分も同じ巡礼定食を食べることにする。2皿目の豚肉が骨付きで食べるところが少ないが、相変わらずフライドポテトはどっさりだ。イーデンは腹が空いてないのか、2枚ある卵焼きを私とステファンにくれてしまった。イーデンとはぐれてしまった件(くだり)を聞こうとするのだが、イマイチ話が見えずで分からずじまい。良く分からないまでもショートカットの道があったようで、遅れたイーデンはそこを歩いたらしい。だから追い越されることも無く先に着いていたのか。そんな道、良く見つけたな。
 このバルには隣の小さい倉庫が売店になっていて、そっから欲しい物を持って少し離れたバルのカウンターで支払うと言う、なんとも呑気なシステムになっていた。ペリグリノはズルしないだろうとの前提なしには出来ないシステムだ。棚の商品は極端に少ないが、その中から明日の食料を少し仕入れておく。
 アルベルゲはチェックインしなくてもみんなベッドを確保して寛いでいるし、シャワーも洗濯も普段と同じに出来る。チェックイン前なのに私の分のベッドを取ってあると言うことは、単にベッドの上にイーデンの帽子を置いといただけのことだった。普通のアルベルゲではチェックイン前には入り口の扉が閉まっているので入ることはできないが、ここのように出入り自由なのは合理的でいいなぁ。
 夕飯は外にある大きな石のテーブルで持ち寄った食料を食べることにする。オイルサーディンの缶詰を出してきたので、こういうのは得意じゃないのでビビッていると、パンに載せて食べると旨いんだと渡してくれる。ドイツではこれが普通らしいがやっぱり苦手なので、この後はもう一生食べることがないだろう。そう言えばドイツでは良く食べられるという白い花が道端にあって、勧められて食べてみたが旨いものではなかった。フライにしたりサラダにすると美味しいと言ってるが、生のまま食べたのでは旨いと言われても想像が付かない。でも、これも教わらなければ一生口にしないだろうから良い経験だ。
 ここのアルベルゲにはキッチンがあって、調理するための道具も揃っているのにイーデンは「ノークリーン」と言って利用する気にならないそうだ。他の人はここのキッチンで料理を作っているし、私にしてみれば何てことないキッチンと思うのだが、よっぽどキレイ好きなんかのお。
 明日は短い距離だけど、やっぱり6時半にスタートしようと提案している。自分一人なら7時半にするところだが合わせることにする。一人旅とは色々勝手が違うが乗りかかった船だ。アルベルゲから牛小屋が近いらしく匂いが結構きついし、何やら機械が発する音がずっとしていて良い環境とは言えないが仕方なかろう。夕方になったらホスピタレラがやって来たのでやっとチェックイン。紙製のベッドカバーと枕カバーを貰う。その後ホスピタレロは各ベッドを廻って、まだチェックインが済んでいない人がいるかチェックしていた。ベッドカバーがない人が受付前ということなのだろう。大雑把なようでもちゃんとしている。


ふたつのルート につづく