革命記念日

 出発から64日目の7月14日。今日はフランスの一大イベント、革命記念日だ。日本ではパリ祭なんて言ってるようだが、フランスの人は誰もパリ祭なんて言わないようだよ。Kさんはパレードが大好きだそうなので、朝早く6時に場所取りするため張り切って出かけて行った。私はまぁ見られればいいかなとそれより30分遅めに出発する。革命記念日では美術館や地下鉄は全部無料になると教わっていたけど地下鉄に限っては普通に切符が必要だった。切符は券売機でも買えるようになったのでパリ観光能力が更にレベルアップした。券売機から表示される文字は何となく想像で押していくと最後に金かカードを入れろという指示がでるので、そこでコインを入れるとペッと1枚チケットが出てくる。パレードが通るシャンゼリゼ付近の駅は閉鎖される情報だったが、ダメ元でシャンゼリゼ駅で降りたら何ともなしに地上に出られた。ちなみにシャンゼリゼはChampsElysesと書くので知らないとシャンゼリゼと読めないよ。「ゼ」が二つもあるのにZの文字なんてどこにも見当たりません。

 シャンゼリゼ通りに面してフェンスが二重に張り巡らされており、通りに一番近いフェンスにはどこから入るのか分からないので外側のフェンスの前から3番目に陣取る。ここもまぁまぁだからパレードが良く見えるだろうとぬか喜びをすること2時間。私の前の身長190cmはあろうかと思われる黒人青年がどっかに行ってしまったので前から2番目になると同時に視界が一気に開けたので更に期待が高まる。しかし、その喜びも束の間、パレードに動きが少しでもあると最前列に陣取っていた連中は一斉にフェンスに足を掛けて立ち上がってしまうので後ろの人たちは一斉に何も見えない状態に陥ってしまう。あんた達は少しは後ろの人のことを考えんのかいと言ってやりたくなるがこれも国民性の違いか。パレードは何か動きがあってもまた暫く何もないし、あると一斉にフェンスに上るのでここで我慢して待っている意味が分からなくなって後ろに後退する。ここは日なたで暑いしね。

 後ろに行けば自由にウロチョロできるし日陰も選べる。人も密集してないから時折吹く風が涼しい。あーこっちに移動してよかった。ほどなくジェット戦闘機がトリコロールカラーの煙をひっぱりながら上空を通り過ぎて行くのが見える。これこれ、これを見たかったんだよ。続いて大きなレーダーを背負った大型機や戦闘機の編隊が何回もシャンゼリゼ通りの上をゆっくりと通過していくので、こんだけ見られればいいやと思った。欲を言えば戦車やミサイルの行進するところを見たかったのだがもうこんだけ見たからいいや。

 さて次は予定していたオルセー美術館だと歩き始める。そしたら裏通りの道端では沢山の兵隊が固まっていて出番を待っているようだ。一緒に記念写真を撮ってもいいらしいので何枚か撮らせてもらうと、ピースまでサービスしてくれる若い兵隊さんも居た。オルセーに行くにはセーヌ川を渡ってシャンゼリゼとは反対側に行くのだが、渡った先の広場には議杖兵の団体が何やらやっている。練習なのかな?整列して一斉に剣を抜き号令に従って剣を振り回しながらきびきびと動いている。青いグループが終わったら次は赤いグループも同じように練習をしだしたので、あんな暑くて見えない所で頑張っているよりずっと良いものが見られたと溜飲が下がる思いだ。ここでも盛装した兵隊さんと一緒に写真を撮らせてもらう。オルセーに向かう道路には女性の議杖兵が歩いていたので、もうすっかり図々しくなって写真を撮らせてとサインを送ったら、ちゃんと立ち止まってにっこり笑ってポーズを決めてサービスしてくれる。余りに全員が愛想がいいので、軍から市民との友好をほにゃららと言い含められてでもいるのかな?他にも白い服を着た海軍やら陸軍やら女性兵士も混じった色々な部隊が盛んに動き回っていた。空にはヘリ部隊が飛び交っているし、もう祭り一色だ。革命記念日はテロの標的としたら絶好の機会だろから警備も凄いだろなと想像し、一度や二度は職質を受ける覚悟でいたがまったくそういう事はなくて楽しいだけだった。革命記念日が見られて良かったこと。





オルセー美術館

 さて、オルセーにやって来たが、入場無料という情報とは違って、普通にチケットが必要らしく長蛇の列が続いている。さすが人気のオルセーなのでパスを持っていてもすぐ入場とはならなかったがチケットを買う列から見たらずっと短くて済む。今まではパスを持った人は少なくて、すぐに入ることが出来たけど、今回だけは違っていた。私と同じパスを持っている人は実はこんなに大勢いたのかと思うほどの行列ができていたが、ちっとも嬉しくない。

 ゴッホ、ルノワール、ロートレック、ゴーギャン、ドガなど、私でも知っている超有名な作品がいっぱいあって、オルセーの方がルーブルより中身が濃い感じでずっと良かった。ゴッホの有名作品だけでも「自画像、オーヴェルの教会」など、テレビや本で何度も見ている本物の絵があるので顔を近づけてマジマジと見るのだが、筆の跡がこんもり認識できてとてもリアルだ(だって本物だし)。こういうのはハイビジョンテレビで幾ら近くから撮影したのでも、実物を見ないと絶対に分からないだろうと思った。

 昨日、オランジェリーで昼飯を食べたらパワーが復活したのでオルセーではどうかなと覗いて見たところ、こっちはちゃんとしたレストランなので値段的に無理。その代わり、青空の下でも飲み食いできる簡単な食事スペースがあったので金のない人たちはここで食事にしているようだ。私もスーパーで買うより7倍もするコーラを1本だけ買ってホテルから持ってきたパンをかじってお昼にする。ゴッホも生きている間に売れた絵は1枚だけと聞いたので、生活はこんなもんだったろう。オルセーに相応しい食事なのかも知れない(うそ)。


パンテオン

 オルセーを堪能して次に目指すはパンテオン。タブレットの地図を頼りに裏通りみたいな所をガシガシ歩く。途中、大学の建物をパンテオンと勘違いしてしまって、入り口はどこなんだと大きな大学を一周してしまった。一回りしたところで可笑しいなと気づき、地図を良く見たらここはソルボンヌ大学(写真)らしい。ソルボンヌってこんな所にあったのか。
 着いたパンテオンもチケットを買う列が長く続いていたが、パスを持っているとすぐ入ることができた。パンテオンって何で見物リストに入れたのか忘れてしまっていたが、中に入っていったら「フーコー振り子」と言う冗談みたいな名所がここだった。フーコーと言う女の子みたいな名前の学者が地球の自転を証明するための実験をパンテオンの高ーい天井から吊るした鉄球を振り子にして一日でそれが部屋を一周することで自転を証明したそうだ。短い振り子ならすぐ止まってしまうだろうが、重い鉄球を数十メートルの紐で吊るしたら24時間揺れていそうだ。それくらいドーム型の天井が高い(写真下左)。

 ここの地下には有名人の墓もあって、キューリー夫妻の墓(写真上右)もあった。地下にならんだ石棺にはマリーキューリーと言う文字も見えるし、その夫のピエールの石棺も下にあった。こんなところにマジかと思えるほど普通に置いてある。じゃぁこの蓋をずらしたらキューリー婦人の骸骨があるわけ?と、ちょっとビビル。他にもパリゆかりの有名人の石棺が何十と置いてあるので、ここは本物の墓場と言うことだ。地下室だし薄暗く、一人だけなら絶対に入りたくない。

 まだ時間は4時半だが、朝の6時半から動き回っているので疲れてきたから地下鉄で帰ることにする。路線図も持って来たのでこういうときは便利だ。路線図で見るとひと駅歩くと乗り換えが一回減るので10分ほど余計に歩いて地下鉄路線をひとつまたぐ。さて、また乗り換えるためのモンパルナス駅にやって来た。ここでは地下鉄でも一回改札を通らなくてはならない。自動の改札機にチケットを通すと出口が開くのだが、前の人が終わらないうちにチケットを入れたタイミングが悪かったのか、私のときには開かなかった。でもチケットは戻ってきているので再度やってみることに。また開かない。3度やってもダメなので、どうも一度失敗すると使われたと言う情報がチケットに記録されるようだ。仕方ないから前の人が出るのに続いて一緒に通過してしまえ。パリの改札ゆるゆる。
 ホテルの部屋では私の下にいたコリアの子がチェックアウトしていたので、さっさと下に移ることにする。Kさんも下が空いた昨日、すばやく下に移動していたので、これで日本人二人とも下のベッドに落ち着くことができて喜ばしい。今日で二色ボールペンの黒が尽きた。よく頑張りました。赤は引き続き使うけど、黒はスペアと交替だ。

 そのKさんはまだ帰って来てなくて、今晩は早朝から夜まで革命記念日を満喫してるようだ。食堂のテレビでは革命記念日のアトラクションがエッフェル塔広場で開催されてる様子を写しだしている。あとでKさんに聞いたところ、そのアトラクションはエッフェル塔側の舞台裏側から見ていたそうだ。

 このホテルにはKさんの他に日本人女子が二人いる。二人ともソロで外国を旅している人たちで、一人は20代半ばだろう、背が高くタレントのような美人顔をしているので韓国人かと思った。私が日記を書いていたら話しかけてきたので話し相手が欲しいようだった。こんだけ美人なのにアジア顔だと欧米人からは話しかけて貰えないと言っているが、そんなこともあるんか!もう一人は30代半ばと言うところか、イタリア人の旦那と里帰りしていたが、自分はパリで買いたいものがあると一人でやって来てしまったそうだ。イタリアの義母さんは、もっとイタリアに居ればいいのにと言ってくれたが、もうイッパイイッパイと言っていたので嫁姑の間柄は洋の東西を問わずというところか。Kさん共々、ソロで旅している女性はみんな逞しい。


ふしぎなメダイ教会

 出発から65日目の7月15日。もうパリ・ミュージアムパスは使えないので、これからは入場料の要らない施設をなるべく見て歩く作戦だ。Kさんはモンサン・ミッシェル日帰りツアーに行くので6時に出発していった。私も行ってみたい所だけど、二度も甘えるのは気が引けるので言い出さなかった。と言うことで、今日は不思議なメダイ教会へ行こう。GPS便りにテクテク歩きで行ってみる。途中に無料の公衆トイレがあったので物は試しと利用してみることに。緑のランプが点いていると空きだそうで、ボタンを押すと扉が開く。中は鏡まであって無駄なほど広々していた割に便器がなんでこんなに小さいのか理解に苦しむ。お目当ての教会はちょっと入り組んでいるので少し迷ってしまったが無事に着くことができ、本当にタブレット大活躍だ。

 修道院併設の教会なのかな?入り口は本当に質素で聖なるところはこうありたいもんだと感心する(なぜ上から目線?)。でも聖堂の中は立派で、中にいる一般の人たちも今までの観光客とはまったく違っていた。熱心に祈っている人がいたり、祭壇の前では両手を広げて不思議ちゃんモードに入っている女性もいるのでちょっと緊張する。昔、パリにペストが大流行したときにマリア様がこの教会に現れて、このメダイ(メダルね)を作って配れとか何とか伝えたらしい。そしたらペストが終息したそうな。

 マリア様が現れた修道女は聖カタリナさんで、今も聖堂の片隅に遺体が安置されてるそうだ。昨日のパンテオンの地下墓場もそうだし、フランス人って遺骸をその辺に置くのに抵抗がないようだね。極めつけはカタコンブで、地下に何万人もの骸骨が積み上げられて観光名所になってるそうだ。お、恐ろしい。
 聖堂の外には売店があって、不思議なメダイを売っていた。来る前からお土産にするならここでと思っていたので、いっぱい買いまくる。近くには前橋ゆかりのパリ・ミッションという修道会の本部があるそうなので行ってみようと思い、歩道を歩いていたシスターを呼び止めて教えてもらう。でも、着いた受付ではさっぱり言葉が通じなくて相手にされないので諦める。

 さて、この後の無料で見物できるところはと・・・プチパレが無料だったので隣のグラン・パレも無料だろうと期待して行ってみる。セーヌ川を渡る橋の上には本物のモデルがポーズを決めて写真を撮っている光景に出くわす。おぉ、これぞパリジェンヌかと一枚撮らせてもらう。さすがにスタイル抜群でカッコいい。ええもん見られた。
 30分歩いてグラン・パレに着いてみると、もう行列ができていた。ま、無料なら並ぶのでもいいやと30分ほど待って受付まで行ってみるとチケットが必要だそうだ。しかも、美術の展示じゃなくてファッションの企画展らしい。え、絵はないの?と受付に聞くも絵はないそうだ。でもなぁ、30分も待ったんだから入ってみるかと大枚13ユーロも出して入って行くと、本当にファッション関係しか展示してないようだ。突拍子もない服を着たマネキンばっかでチーンだ。
 特に予定も見るところもないのでベンチで地図を眺めていると、この近くにはオードリー・ヘップバーン主演の映画「シャレード」に登場した青空切手市場があるそうなので行って見る。こっち方面だよなと通りを渡ろうとすると警官がこっちに来るなと合図をしている。この辺りはやたらと大使館があるのでそれで警官があちこちに立っているようだ。そんなこんなで結局見つけることはできなかった。もし場所を見つけても市場が開かれてるという保障ないしね。諦めてまたシャンゼリゼと凱旋門方面に歩いて行く。そのへんの公園内を通り抜けようとすると、この辺りのビジネスマン・ウーマンがベンチで昼飯を食べている。あ、いまお昼なのかと気が付くがシャンゼリゼが近い街中では庶民の店なんか見当たらないので倹約旅行者には辛いところだ。


最初で最後のまともなレストラン

 凱旋門へ続く地下道には今日も長い行列ができていた。まぁ皆さん大変ですねと横目で見ながら凱旋門の真下へ。屋上に上がらなくても凱旋門は十分に見ごたえがあってグーだ。あちこち写真を撮りまくる。さて今度はどうしよう・・・昼飯を食べたいのでパリ経験のある知り合いに教わったギャラリー・ラファイエットの屋上に手ごろなレストランがあるというのを頼りに歩いて行く。25分歩いたのでそこそこの距離があったがどうせ当ての無い暇人だ。ラファイエットの中は、まぁデパートとは思えない凄いことになってました。屋上まで吹き抜けの広い空間があって、その天井はパラダイスのようです。パリに来たら是非来るといいと思います。デパートなので入るのはタダだし。

 さて、教わった屋上まで来てみたが、インド料理のレストランが一軒あるだけだ。メニューが入り口にあったので見てみると、これが手ごろと言う値段じゃないんだよね。知り合いにしたらこれが手ごろ価格なんかと観念してなるべく安目なのを頼む。腹いっぱいになりそうもないプレート料理が11ユーロでハイネケンの小瓶が何と7ユーロもする(スペインならビール5リットル飲める)。でもここまで来て飲み物なしでは自分が可哀相なので合計18ユーロも出してしまった。せめてのも救いはテーブルのすぐ前にはオペラ座の建物が見えてロケーションは抜群ということか。
 降りるときは違う階段から降りてみようと入って行くと、そこはプレートを持って沢山の料理の中から自由に食べたいものを好きなだけチョイスして会計したらすぐ近くの席で食べられると言う素晴らしいシステムのレストラン(みたいな)だった。ここのことを言ってたのかと、とても残念な気がする。ここなら本当に手ごろな値段でお昼が食べられたことでしょう。ちーん。


パリのスリ

 ここからホテルに帰るには乗り換え無しの13番線に乗ることができる。二度目なのでもう勝手知ったるなんとかだ。構内はいつもよりずっと混んでいて、壁際で子供が3人ゲーム機で遊んでいたので、こいつらがスリかとピンと来る。パリのスリは子供が多く、何故かというとフランスでは13歳以下の犯罪を罰する法律がないそうだ。だから大人は実行せずに子供にスラせて近くで見張っているんだとか。ガイドブックでも子供が数人で地下鉄にいたらスリと思った方がいいと書いている。おまけに今日の地下鉄車内では日本語で「スリに注意してください」とアナウンスしている。何度か地下鉄に乗ったが、こんなアナウンスは初めてなので、当局も今日はスリが出張っていると把握しているのだろう。被害に遭うのは平和ボケしていて金を沢山持っている日本人が多く、更にツアー客が狙い目だそうだ。ツアー客は団体なので廻りにいっぱい一緒のツアー客がいるので注意力が欠如してるため、そこを狙うのだと。確かに昨年のカンボジアツアーで一緒になったご婦人はツアー中にルーブルでスリ被害にあったと言っていた。それに対して個人旅行者は頼れるものが自分しかいないので常に廻りに注意を払う傾向がある。Kさんも人ごみでは必ずリュックを前にしてるし、貴重品が入ったリュックのポケットにはダイヤルロックのカギを掛けている徹底振りだ。もちろん私もリュックは必ず前に抱えている。スリが誰をカモにしようと品定めをするとき、リュックを前に掛けて注意してるぞオーラを発している人と、見物に夢中になって平和ボケした人のどちらを狙うかは言わずもがなだろう。

 いつもの駅に着いたので、またスーパーで食料品を調達する。明日はとうとう帰国便に乗る日なので、明日の朝と昼用の分も買っておく。空港の食事はどこでもメチャ高なので、空港内では買った食糧で凌ぐ作戦だ。ユーロを温存する作戦が功を奏し過ぎて、まだ200ユーロも残っている。とても使い切れないが、今度の冬にはうぶちゃんとイタリアに行こうと計画しているのでその時に使うことができるから幾ら残ってても問題なしだ。買った食糧をホテルで食べながら明日の作戦を練る。
写真は合計9泊したArtyParisホテル。

さらばパリ へ続く