夏が来たので行ってしまった
           遥かな尾瀬自転車旅行

 1985年8月11日、ゆっくりと午前8時に団地を出発。会社に行くのとおんなじ時間だ。ひたすら国道50号を東に走り続ける。
 2時間走った足利市の陸橋の下で小休止兼ねて雨宿り。そう、今回も雨の中のサイクリングなんですよ。まったくいつから夏ってこんなに雨が多くなったのかなー?
 12時頃、凄い大降りになり、ポンチョを着ていても走るのが辛い。東北道佐野インターが50号と交わるガード下で雨宿りする。この凄い降りにオートバイのあんちゃんも同じガード下で雨宿りしだした。ここでスタミナ持続のためにバナナとおむすびを食べておく。
 栃木あたりのパチンコ屋で雨宿りをかねてちょいと運試しをしてみる。完敗。パチンコ屋の自販機でホットコーヒーを飲む。ずっと雨の中を走ってきたから体が冷えて、真夏なのにホットコーヒーが飲みたくなってしまった。電話で天気予報を聞こうとして時報を聞いてしまう。どうもついてない。2度目にはちゃんと繋がる、2度も間違ったらアホだよ。そしたら今晩の予報は雨が80%で大雨注意報のおまけつきだ。もう最悪。せめてもの救いは明日あさっては晴れたり降ったりだそうだ。

 鹿沼市内に前橋でもお馴染みのスーパー「とりせん」があったので入ってみる。バーゲンでポンチョを売っている。ポンチョの安売りなんて珍しいなー、今使っているポンチョはだいぶ年期が入ってきたのでひとつ買っておく。具合がよければ古いのはポイだ。
 店内のテレビで高校野球をやっていて、大阪はいい天気だ。あの空がこっちに来て明日は晴れないかなー。雨の走行にうんざりしてるものだから、ここでも長いことうだうだしている。でもまさか鹿沼なんかで泊まるのは易きに流れるのもいい加減にしろだから踏ん切りをつけて出発する。
 今市を抜けた山の中でラーメンの夕飯にする。豪華に焼き肉麺だ。更に餃子も付けてグレードアップしてやる。こんな雨の中を一日中走ってきたので、せめてもの贅沢だ。明るくて雨の当たらない店の中にいると、これからまた雨降りの暗闇の中に戻って野宿の宿探しをするのが嫌になってくる。好きでやってるんだから仕方がないと自分に言い聞かせる。

 団地に電話してみるが留守のようだ。実家の昭和町にしてみる。こっちはずっと雨だが、前橋は1時間程前から雨は上がったそうだ。こっちもそろそろ上がってくれると有り難いんだがなー。
 8時半くらい、屋根付きのバス停が上り下りの両方2カ所にあったので、大きい方に泊まることにするが、車がひっきりなしに通るのでちっとも寝ることができない。

 

 

出発から2日目

 一晩お世話になったバス停。ありがとうございました。

 昨日は台風の影響で一日中降り続いた雨も今朝はカラリと晴れ上がり、すがすがしい朝の山並みの中を快適に走ることが出来る。昨日の降りが嘘のようだ。道ばたの開いている店で、パンとジュースを買い込んで朝飯の準備を整え、さてどこか景色のいいところで食べようと走っていると、鬼怒川の奥に竜王峡というこぎれいな観光地があったので渡りに船の気持ちで寄っていくことにする。

 

 

 近所の子どもや大人がここの大きな駐車場で元気にラジオ体操をやってる他には、まだ7時前ということで観光客は数名だ。もっけの幸いと昨日の雨で濡れたポンチョや靴、それにシュラフを広い駐車場におっぴろげて乾かしながらの朝食とする。一石二鳥と言うのは凄く得した気分にさせてくれる。
 長いことサイクリングで野宿をやってるけど、シュラフを濡らしてしまったのはこれが初めてで、勿論ぬれたシュラフで寝たのも初めての経験。今まで濡らしたと言っても、せいぜい湿らせた程度という変な自信が裏目に出てしまったという所だ。雨の日の走行では、でっかいビニール袋にシュラフを入れてがっちり濡れないようにしてる筈なのだが、今回それががっちり濡れてしまった。寝るときは濡れたところにタオルを畳んで敷いたのだけど、しばらくするとそのタオルがジャブジャブ絞れるのには改めてビックリした。でもこの竜王峡で朝飯を食べブラブラしていたら、夏の強い日差しで靴以外はほとんど乾いてくれたようなのでまずはめでたしめでたし。

 竜王峡をあとにのんびり走っていると「どちらへ行くんですか?」と声を掛けてくる若者がいる。彼は埼玉の高校生で、やっぱり雨の日の昨日出発して新潟県の新発田市の親戚までサイクリングだそうだ。泊まりのサイクリングはこれが初めてとのことで、目を輝かせている。そーかいそーかい、良かったねーと親のような気持ちになる。
 今晩は会津のユースホステルに泊まって、明日親戚の家に到着とのことで「親戚の人たまげるだろねー」と言ったら、顔をくしゃくしゃにして「そりゃもう」との返事。高校生にしてみれば、幾日も自転車で走り続け埼玉から新潟県の親戚まで往復するというのは生まれて初めての大冒険なんだろなーと微笑ましく思う。帰りは別のコースの国道17号ででも帰ってくるんかい?と聞いたら、同じコースの同じユースホステルに泊まるんだそうだ。なんでぇ詰まらないことするなーと思っただけで口には出さないでおく。高校生にしたらそれが安心していいのだろう。

 実は俺も6年前に新発田市から同じ会津若松経由で前橋まで走ったことがあるんだよと、自転車にとっての道路状況なぞ説明してやり、大した山越えはないよ、川沿いの走りやすい道ばっかしだと昔の記憶を紐解いて気休めを言ってやる。車が少ない山の中の道なので、あれやこれや話しながら暫く並んで走る。五十里湖の側に小さな食堂があったので一緒に昼飯を食べることにする。俺の食べたかけそばをおごってくれるそうだけど、いい大人がそうもしてられないと思うが、高校生の気持ちを察してご馳走になる。お返しに俺もアイスをおごってやる。食後、互いの健闘を祈って別れる。高校生は五十里湖まで登る間、若いに似合わず馬力がないなぁと思ったら、どうやら腹が空いてたらしかった。ソバを食べたら俺より後からスタートして、俺を抜いてそのまま行ってしまった。サイクリングでの出会いはいつも一期一会だ。

 そういえば6年前に走ったときより、道路は格段に良くなっていて、そこかしこに新しい道路ができている。長いトンネルが出来たおかげで当時の山王峠は越えないですんでしまった。楽できて嬉しいような、峠に再会できなくて残念のような気持ちだ。トンネルの出口で暫くで涼んでいく。

 会津と桧枝岐への分かれ道を桧枝岐村方面に左折すると、空がまたもや異様な雲行きになってきて、とうとう昨日同様ポンチョのお世話になる羽目になってしまった。だが、ずっと降り続けるてのではなく、降ったり止んだりをを繰り返すだけのようだから昨日よりはずっとマシだ。何しろ昨日は、朝から降り始めた雨は一日中止むことなく、ときどきは豪雨となって雨宿りを余儀なくされることもしばしばだったから、写真も殆ど撮れない一日だった。おまけに走ってきた例幣使街道では延々と続く杉並木の、暗い、狭い、水浸しの三重苦の中、車に水をぶっかけられながら走ったのを思えばこんな程度は屁のかっぱだ。

 あんまり腹が減ったので道端で羊羹を食べ、4時頃には桧枝岐着。最初から桧枝岐では民宿に泊まる予定だったので、まずは今夜の宿の民宿探しで村営の観光案内所へ行く。丸八という民宿に難なく決まったのでまずは一安心。次は隣の農協売店で明日から過ごす尾瀬内での食料を調達する。尾瀬では2泊する予定で、2泊とも山小屋には泊まらず野宿の積もりだから食料は多めに買っておくのだ。チョコレート2つ、ビスケット1箱、チーズ蒲鉾1パック、バナナ一房、木の実1袋を仕入れる。その他、前橋から乾パン等持参してるし、こんだけ持ってりゃ安心ってものだ。人間、食料と水さえあれば何とでもなる。尾瀬は水jの宝庫なので、今回水の心配はないし。

 民宿は「まるはち」という屋号の、ホントに普通の家がやっている民宿だった。早速風呂に入らせて貰い洗濯もしておく。来るときに目を付けておいた村内の酒屋に足を運んで缶ビールなぞ飲みながら川岸でのんびりする。時間はまだ早いし、雨もあがったし、昨日が昨日だったから何でもありがたい気がする。

 民宿の主人が夕食の時に「お飲物は?」なんて聞くものだから反射的に「じゃビール」なんて出てしまった。宿のビールは高いからその分、外で飲もうという先ほどの作戦が吹っ飛んでしまったぜ。民宿の料理は豪華ではないけれど、桧枝岐らしさがたっぷりと出ていて民宿にして良かったぁと思った。桧枝岐名物の100%そば粉のそばは勿論、そばがきや山菜、岩魚の塩焼き(初めて川魚の塩焼きが旨いと思った。ホントは魚は嫌い)。驚いたのは山椒魚の唐揚げが出たこと。トカゲみたいに手やしっぽがそのまま付いている。いかにもだけど珍しい経験だから頭からポリポリ食べてみる。割合いける味だった。
 民宿には俺の他に2家族宿泊していて、集まって一緒に食べたけど、そこの双方の子供がサイクリングに憧れてるそうで、俺の愛車が玄関にあるのを見るなり「カッコいーっ」。サイクリングの話も食事中に出たりしてここら辺りが民宿の良さだ。
 外は雨雨雨で、時折雷も光っている。民宿にして良かったこと。民宿にあった「思いでノート」に一筆したためる。

 

出発から3日目

 民宿の窓ガラスが薄明るくなってくる。時計を見るとまだ4時半だ。ピチャピチャピチャという雨音を寝ながらずっと聞いているんだけど、さっぱり止まないので今日は朝から雨の中かなーと憂鬱。しかし、起きて窓の外をよく見ると東の空がほんのり明るいではないか、おーこれは晴れるな!と直感的に分かる。こういうのを希望的天気観測と言うのだろうか。ではあの音は何だったかというと、窓のすぐ下の池に水が注いでいる音だったのだ。寝るときには疲れてたものだから気が付かなかったようだ。天気も上々でまずはめでたしめでたし。
 5時を過ぎると雲の切れ間から青空も覗いてきて、今日は一日何とか降らないでくださいと祈る気持ちになる。こんなんで祈られたら神様も忙しくて仕様がないだろから祈らないですけどね。本日の標高差は、この桧枝岐から尾瀬の沼山峠までが805m差で、その先は山道になるので自転車は担がなくてはならない。だから是非とも雨には遠慮してもらいたいのです。

 階下に降りて昨夜の2家族と朝食をご馳走になっていると、横浜のお母さんが「えらい事故があったらしいですよ。長野にヒコーキが落ちたらしいってニュースで言ってました」と。それには歌手の坂本九も乗っていたとか言っている。聞いてても何だか遠い世界の話みたいだったのが、それがあの群馬県上野村の日航大惨事になることに気づくのは前橋に帰ってからのことでした。

 民宿を後に沼山峠目指して川沿いの道をのんびり走っていくと、キリンテキャンプ場というのがあって、ここはまぁテントテントの大賑わいだ。よくもまぁこんな山の中にこんだけ人がいたもんだと感心してしまう。この人達、昨夜の豪雨をテントでしのげたんかなぁと余計な心配をしてしまう。そこを横目で見物しながらずんずん進んでいくと、七入りという所から道は川を離れ、急に完璧な峠道になってしまった。この山道がまたもの凄い勾配で、標識には10%11%と遠慮無く書かれてある。それでも道幅が広くて自転車用の登りやすいルートが取れるようならまだマシなのだが、車1台がやっとという道幅では何の手だてもできない。やっぱりこんな人の来ない山の中にいい加減な道を作るとこんなひどい道路になってしまうんだ、馬鹿ったれと福島県を叱りとばしてやる。


 サイクリングの事前トレーニングなんて面倒がって一切やらなくなってしまったので、急な登り坂には心臓がとてもついていかない。もうドッキンドッキンと半鐘の早打ちみたいに弾んできちゃいます。でも心臓というのはたまには早打ちさせた方が流れが良くなっていいんだとどっかの本で読んだ覚えがあるので、これは体にいいことなんだぞと自分に納得させながら登りを頑張ることにする。

 10時に新潟と福島の分岐点に当たる御池ロッジ到着。ここで一息入れて尾瀬沼山峠へ走り出すと、道は今までの登り一方だけでなく、時々は下ったりしながら高原の景色の中をくねくねと続いていく。こういう道を走っていると、あー来て良かったと思う。・・・と、突然、ガチャと音がしてウンともスンともペダルが回らなくなってしまった。自転車を降りてみると後ろの変速機の所でチェーンが引っかかって絡まっている。この愛車は8年も乗っているので、変速機もだいぶくたびれて調子が悪いからギヤの切り替えは注意してやってるのだが、どうもこりゃ困りましたな。ドライバーで直そうとしてもビクともしない。かといって、ここで力任せにやってチェーンを切ったり変速機を壊したらそれこそ取り返しの付かない結果になってしまう。細心の注意を払って慎重に慎重に直すことしばし、やっとなんとかチェーンを元に戻すことが出来る。あーほっとした。

 走り出すとほどなく沼山休憩所につき、さてこれからが本日のメーンエベント自転車担ぎの始まりだ。何やらかすかに戦慄を感じる。まず重たいカメラや水のボトル、その他重たい諸々は用意のザックに入れて背中に担ぎ、自転車をなるべく軽くする。そしてフレームが当たる肩にはタオルを幾重にもたたんでザックの肩紐の間に挟んだら、ヨイショとかけ声も勇ましく自転車を担ぎ上げ、元気に木製の階段を上っていく。しかし、自転車を担ぐのも5分10分ならまだしも、それ以上となると想像以上に重たいものだ。さっきの勇ましい元気はどこへやら、こまめに下ろしてはしょっちゅう休憩を入れることにする。

 

 

 尾瀬には20回くらい来たけれど、福島県側からは今回が初めてなので、こっから峠までどのくらいの登りがあるのだか見当も付かない。だが、それなりの覚悟をして意気込んでた割に沼山峠は意外と早くやってきた。熊笹の間から突然尾瀬沼が見えたのには感激。美しさもさることながら、ガイドブックには「展望が急に開けて尾瀬沼が見えるところが沼山峠」とあるのを良く覚えていたからだ。峠と言うのは普通は頂上にあるもので、登りはそこでおしまい。あとは下りになるから負担もグッと軽くなるってもんです。
 峠で記念写真のシャッターをハイカーに押して貰い、ゆるい下り坂を今度は自転車をころがしながら下りて行く。これなら思いのほか楽なので山道も気楽なものだ。

 大江川湿原の木道に出たところで12時過ぎたのでお昼にする。と言っても持参のチョコレートや乾パン、それにボトルの水だから大したことはない。一番旨かったのは、桧枝岐農協で仕入れた半分黒くなったようなバナナ。ピーナッツやら乾パンなどの乾いた食べ物ばっかりなので、こういう水分を含んだ食べ物はここでは貴重ってことだ。

 長蔵小屋には間もなく着いて、小屋(と言ってもでっかい建物です)の脇へ自転車を立てかけ、今夜のねぐらの下見をかねてそこら中をブラブラしに出かけていく。
 山小屋の料金表を覗いてみると、素泊まりで2600円で自分のシュラフで寝るなら1600円だそうだ。金取った畳の部屋でシュラフで寝るってのは変なもんだなぁ。
 尾瀬沼ヒュッテで高い缶ビール350円也を買って、ちびちび飲んでいたら、本日もおまたせの雨が音を立てて降ってくる。しばらくはこのヒュッテの軒先で雨宿りをさせてもらおう。でも、ちっとも雨は止みそうもないので、こんな軒先にいるよりは無料休憩所の方が椅子もあるしいいやと雨の中を走り出す。途中、立て掛けてある自転車にポンチョをすっぽりかぶせてやり休憩所に入って行くと、中は大分すいていて長椅子の上でゴロリと横になってても大丈夫だ。しばらくそんなことしてたら段々寒くなってきたので、長袖長ズボンを重ね着しておく。高いけどあったかい汁物でも食べよかなと思ってる内、お客は数人になってしまい、とうとう店じまいしてしまった。食べられなくなってしまったと思うと余計食べたくなるもんだ。残念なことしたなー。

 本日の午後はひたすら時間つぶしの暇つぶしだけど、他の観光地と違い尾瀬での暇つぶしも満更じゃない。尾瀬に来るのに馬鹿野郎はいないから、そういう面では街よりはるかに安全だし、何しろどこを見渡しても景色は抜群なのだから、ハイカーの少なくなった尾瀬の夕景を飽きるほど見ていられる。
 雨が上がった尾瀬沼にモヤがかかって燧ヶ岳が夕焼けに染まり、段々とそのモヤまでもがピンク色に染まりだした。こ、これは正に値千金の景色じゃないですかー。

 もうすっかり暗くなって人影も見えなくなってきたので、昼間の内に目を付けておいた今夜の野宿ポイントへシュラフ片手にお邪魔することにする。ここは長蔵小屋の離れの売店になっていて、夜は無人になるらしい。地べたより1m程高くなっている高床式の造りで、広いベランダ風休憩所にもなっている。売店の長いひさしの下にお土産を並べるためのビニールが掛かったテーブルが2つ出しっぱなしになっている。勿論、無人になる夜は品物は売店内の小屋にしまって戸を立ててあるが、有り難いことに大きなテーブルはそのまんまだ。その上にシュラフを敷くと、なんとこれは今までの野宿で一番贅沢な寝台ができあがったではないか。テーブルは後1つ人が寝られる分まるまる余っている。あーもったいない、誰かほかの宿無しさんを招待したい気分だ。
 大体、駅やバス停のベンチというのは、人のお尻分しか幅がないのでその上に寝るのは狭さとの闘いなので、こんなに広々とした寝台は後にも先にもないのじゃないかと大変贅沢な気分になってしまった。

 昼間、近くをぶらついた時にキャンプ場も見物しに行ったのだが、うっそうとした木立の中、沢山の人たちがキャンプしていた。雨続きのため下はグショグショでテントの下にスノコや段ボールを敷いているらしいけど、何だか惨めっぽい。中には屋根だけ付いた材木集積所の上に陣取ってるグループもあった。テントはキャンプ場に張ったのだが、雨で濡れてビチャビチャなので、今夜は全員で材木の上に寝ることに決めたようだ。あんなんよりこっちの売店の方が何倍も快適だぞと一人ほくそ笑んだりして。
 そういえば、キャンプ場である親子連れがこんな会話をしてた。「旅館に泊まれば一人1万円で何人で何万円だろー。それよりお父さんは同じお金でテント買ってこういう所に泊まる方がいいと思ったんだよ。それでテント買ったんだ・・・」なんともいい話じゃありませんか。こういう山の中に親子連れでキャンプに来られる子供はやっぱり普通の旅館に泊まる旅行しかしたことない子供より貴重な体験をする訳だから、幸せなんだろなーと思ったり、明日の予定を考えたりして快適な尾瀬の夜は更けていくのでした。


出発から4日目の朝

 やっぱり4時頃になるとほんのりと明るくなってきて、4時半になると辺りが白んできた。心配していた蚊もいなくて売店の大きなテーブル寝台での一夜はもう最高でしたばいてん。
 この売店の小さな看板には5時開店とあるので、その前に起床しなくちゃなんだけど、5時過ぎても誰も店を開けに来ない。もうお盆なので夜明けにはハイカーがどっとやってくるかと思ったが、それもまだのようだ。売店もきっとハイカーが来始めてから開けるんだろうか。
 今日はこのあと三平峠を越え大清水へ出て帰ってしまおうかどうしようかと迷ったが、尾瀬へ自転車で来るのはもう有りっこないのだし、折角だから原っぱを横断し鳩待へ出てしまう尾瀬満喫コースに決める。そして、山の鼻あたりで一泊して、あさってゆっくりと前橋まで走ればいいやってことにする。

 昨日の無料休憩所へ行って300円のなめこ汁を頼み、持参の乾パンやらチーズ蒲鉾、バナナやチョコレートで朝飯とする。やっぱり山では汁物が一番旨いなー。今日はこの後、ボトルに前橋から持参の粉末ポカリスエットを入れて持ち歩くのでちょっとおまけの楽しみがあるのだ。乾パンは水なしでは食べづらく、一度に沢山食べられないのも分かった。

 歯磨きをして7時に長蔵小屋を出発、尾瀬ヶ原を目指して歩き始める。沼沿いの道は結構デコボコがあってくねくねと木々の間を縫って続き、多少の登り下りがあるので、自転車もそれに応じて担いだり転がしたりとこまめに上下しなくてはならない。そんな道をのんきに歩っていると、50分で反対側の沼尻休憩所に着く。自転車は木道にころんと転がして小屋の中に入っていくと、缶ビールが天然の水でチョロチョロと冷やされていて旨そうだ。まるで俺に飲んで貰いたくて出番を待っているかのようだけど、いやいやまだまだこの先は尾瀬ヶ原へ抜けるための難所の山越えが控えているので飲むのは早いのだよ。じっと我慢の子でいなくてはならない。次の山小屋がある見晴らしまでは、まだ山の中を2時間も歩かなくてはならないのだ。そしたら原っぱに出たお祝いに飲むことにしよう。代わりにボトルのポカリをチビチビ飲む。これだってビールに負けず旨いのなんのって、こんなに旨いのならもう一袋持ってくれば良かったかなー。サイクリング小物に新たな発見をしてしまった。

 沼尻をあとに本日の最高の難所、いや、今回サイクリング最高の難所である尾瀬ヶ原へ抜ける山道へ入っていく。いささか戦慄を覚えて鳥肌が立ちそうだ。
 しかし、さすがこの道は凄い!!嫌になる程めちゃくちゃの道です。10年前にもこの道を歩った事があって、空身のハイカーでも結構大変なコースという道だったのを覚えている。こういう道で大小4つのバッグを提げたいかにも重そうな自転車なんか担いでいると、すれ違うハイカーが何やら声を掛けてきます。「頑張ってくださーい」「凄いですねーっ」「大変ですねー」「頑張りますねー」と言うのがその多くだけど、中には「たまげたーっ何担いでるのかと思った」とか「うへーっ自転車だよ!」「ちからもちーっ」。ある親子連れなんか「○○ちゃんもあーいう事する位にならなくちゃ」なんて小さな子供に言っている。いやー俺なんかが人生の目標なんかに例えられちゃっていいんかねー。その内こっちもすれ違う人の反応が楽しみのひとつになったりしてね。何しろ出会う人で声を掛けてくれない人の方が珍しいほどの人気者なんですよ。もしかして今日が人生最良の日?

 小さな山あり谷あり倒木を越えたりのほか、川にかかる木道の橋を渡るときは自転車ごと落ちないように真剣そのものだ。何だかこの山道で体力を使い果たしてしまった気がする。特に担いでいる右腕と肩の消耗が激しく「こりゃもー限界だぜよ」なんて言ってる内に、あーら嬉しや木立の間から派手な山小屋の屋根が目に入ってくる。そうなると最後の元気がでてきて、幾分足どりも軽くなったような気がする。もうすぐ休める、ビールが飲める。
 沼尻からここまでの所要時間が2時間弱で、ガイドブックの予定所要時間が1時間半だから自転車同伴を考えればまずまずってところか。
 このあとは、まっ平らな尾瀬ヶ原を2時間も歩いて山の鼻まで行けばいいんだから、ホントに散歩みたいなものだ。ここでお待ちかねの缶ビールを大枚400円出して飲むことにする。顔を洗いさっぱりした所で、外に沢山並んでいるテーブル付きベンチで持参のピーナッツ肴に飲んでいると親子連れが同席してきたので話し始める。何と九州からわざわざやってきたそうだ。当然尾瀬は初めてで、このあと三条の滝を見て尾瀬沼へ行き、三平峠を越えるなんてとんでもないことを言ってるから、時間的にまったく無理だ。滝なんか見てもしょーがないから止めにして、直接沼へ向かった方がいいとガイドブック片手に尾瀬のアドバイスをしてやる。
 民宿の横浜の人たちといい、この九州の人たちといい、まったく遠いところから尾瀬に憧れてやってくるもんだ。そー言えば数年前に京都であった地元のおっちゃんも群馬から来たと言ったら「一度尾瀬に行きたい思ーてるんや」ゆーてたん思いだしたわ。こっちは地元だから尾瀬なんかは泊まりで来るもんじゃないと有り難みがないのだが、遠くの人から見たら随分と羨ましい話なのかも知れない。文字どおり遥かな尾瀬、遠い空なのだろう。

(写真 右:燧ケ岳、左:至仏山)
 尾瀬ヶ原は予想通り何のことはなく自転車をころころ転がしていれば良いので、これで大分体力の回復ができる。唯一の難点は、自転車を転がすのは木道2車線を使ってしまうことだ。だから向こうからハイカーさんがくると立ち止まって道を譲ってやらなくてはならない。それと、自転車を転がしてるだけじゃ誰も誉めてくれなくて、ちょっと珍しそうな顔をされるだけだから張り合いがない。ま、ここじゃ何の苦労もしてないのだから当たり前か。
 途中、唯一の山小屋である竜宮小屋を通過して、原っぱの終点である山の鼻に着いたところ、まだ1時半なので、ここで一息入れて鳩待まで登ってしまうことに決定。
 ここから鳩待までは登り一方なので、ひとつ馬力のつく物を食べておこうとカレーライス650円とオロナミンC200円を奮発する。残りのポカリ粉末でボトルを一杯にして自転車の所に戻ると、尾瀬の係員みたいのが来てて「ここは自転車は入ってはいけないんです」とのこと。あーそうなんですかー、これから鳩待へ帰るところなんですー。なんてとぼけといたが、こっちは尾瀬へ来る前からそんなことは承知の助でして、沼にも環境庁の出張所があるから、沼で捕まると先へ進めないからやばいなーと思っていたのだ。ここでだったら何のことはありませーん。

 2時半に鳩待峠目指していざ出発。最初の内こそ木道の割合平坦な道が続くが、その内自転車を担がなくてはならない山道になるはずなので、気がぴりぴり張っている。しかし自転車は小川を渡る橋などで何度か担いだ程度で坂道もほとんど木道が続いているから転がして登ることができる。だけど担ぐと途端に道行くハイカーが誉めてくれる。うーん、やっぱり気分がいい。誉めてもらえるのならもっと担いでもいいのだけど、やっぱり必要に応じてだ。
 意外や以前来たときよりも格段に道は整備されていて、ガイドブックでは山の鼻まで1時間半の所要時間だったのに何のことはない1時間で登り切ってしまった。ここは3時間掛かるものと覚悟してたのだが、予想外のハイスピードでクリアしてしまった。だからボトルのポカリもいくらも飲まないで殆ど残っているという勿体なさ。

 尾瀬ゴールにあたる登山道入り口に立ち、福島県側から自転車を担ぎながら沼へ入って、尾瀬ヶ原を縦断し鳩待まで来られたことに大満足の爽快な気分に浸りました。おまけにまだ4時前というハイペースに、最近体力落ち気味の心に自信を取り戻せた気もする。
 バッグの中にまだ羊かんが残っていたので、それとポカリを飲んで一息つき、この辺りで1泊という予定を繰り上げて前橋まで帰ってしまうことにする。ここから前橋までは80数キロ、今出発すれば今日中に帰れると、4時15分鳩待峠をあとに前橋目指して元気にペダルを漕ぎ始める。

 おわり