飛騨路は今日も雨だった その2


出発から5日目、 高山駅でさわやかと迄はいかない朝を迎える。
なにせずっとコンクリートの上だったからね、あちこちが痛いよ。5時半に起きると雨が降っている。何だよ今日も雨かよとガッカリしていると、すぐに止んでくれる。駅の朝は早い、他の無宿者たちもみんなゴソゴソと起き出している所を見ると、ぼちぼち一番列車がくるようだ。
 6時過ぎ、見物予定の高山陣屋前の朝市に行ってみる。ここの朝市は本当に素人が自分ちで取れた野菜や漬け物などを売っているようだ。中には農業の傍ら土間に広げて作りためたような素朴な民芸品なんかも売っている。お土産は荷物になるから極力買わないことにしてるので、見るだけ。でも、食べ物なら腹に入っちゃうから荷物にゃならんし、名物の朝市にも参加できるような気がするから買わない手はない。それに朝飯代わりにもなるしね。
 何を食べようかなーと物色してみても、朝市で納豆定食を食べさせてくれる筈もない。桃を買って食べることにする、これならまぁ多少は腹にたまるだろし、何しろ旨そうだ。おばちゃんが親切に皮をむいてくれる。リンゴとトウモロコシも買って食べる。名物を食べたって訳じゃないけど、まぁ普通の食事よりは何となく観光っぽくていいかな?それに高山の朝市で食べたってのも少しは思い出になるかも知れないし。

 また雨が降ってきた。まあ毎日良く降ってくれるよ。小雨の中、昨日は閉館して入れなかった飛騨の郷に行く。ここは広大な敷地の中に飛騨のあちこちから掻き集めてきたらしい合掌作りの古い家を移築して見学できるようになっている。馬小屋付きの家や水車小屋など色んな合掌作りの家に入って中を見ることが出来るのだ。美術品て訳じゃないので、中の物は何でもさわり放題。上の階に上がれる家では、中側から合掌作りの三角形の構造も見られる。合掌作りてのも外観は風情があってお洒落な感じがするが、こうして中から見ると大昔の縦穴住居みたいなもんだ。古ーい材木やらワラ、縄などで作ってある。
 小雨なので、ポンチョは入り口に置いてきた自転車の上に掛けておく。このくらいの雨なら気にならない、照りつけるような暑さよりはむしろ涼しくていいくらいだ。だが雨は一向に止む気配はないらしく、時にはバシャバシャと音を立てるほどの降りになる。まともに降られるんじゃぁ暑い方がいいんだけどなー。調度いいのがいいんだよ調度いいのが。

 さて、今後の予定を考えると、今夜はまた高山駅に寝るわけには行かない。もうこの後は帰路につかなくてはならない日程なのだ。高山から松本方面は山また山が続くので、どこで泊まるというのをしっかり確認できてないと一晩中山の中を走らなくてはならないことになり大変な目に遭う。つまり宿場が限定されているのだ。俺の場合は、野宿をするにしたってテントは持ち歩かずに、どっかの屋根の下を借りることにしている小判鮫作戦だから、少なくとも人家がないことには困る。道ばたで野宿はできないぞ。考えるに昔の旅での宿場ってのは、こういう感じだったんだろうなー。まだ時間的に宿に入るのは早いと思っても、次の宿場まで歩って5時間掛かるとしたら適当な宿場で手を打たないと夜道になってしまう。そうならないための計算も必要だったんだろね。車なら次の宿場へ30分くらいだとしても、徒歩や自転車ではそれが数時間ってことだ。だもんで今回としたら、やっぱ帰りも来たときと同じように平湯辺りで一泊するのが最適だろう。そしたら平湯ではまた宿探しに苦労するかもしれないぞ、そうならないためにはここから公衆電話で一昨日泊めて貰った民宿に電話をしてみることにする。と、俺の頭はコンピュータのように現時点でできる最良の策を瞬時に弾き出した。何ちゃって、こん位の計算なら4ビットのコンピュータって所か。案の定、あの、温泉街から一歩外れた民宿は今日も空き部屋があるそうだ。夏の観光シーズンにいつも空き部屋があるのは気の毒だが俺にとってはありがたい。何はともあれ今夜のねぐらが決まっているのはありがたいこった。これで平湯に着くのが何時になったとしても泊まれる宿は確保できたのでまずは一安心。

 名物の五平餅を売店の店先で焼きながら売っているので食べてみる。70円。昨日食べたみたらし団子のでっかいのを平べったくしたシャモジのような食べ物だ。一回食べればいいやって程度。でも、その土地の名物を食べるのは貴重な体験なので、これはこれで価値があるのだ。

 飛騨の郷の隣にある、飛騨民芸館にも入ってみる。飛騨の郷と共通入場券で入れるので入らない手はない。でも共通なのは入場券だけじゃなく内容も共通で、似たような合掌作りの建物が2軒あるだけ、飛騨の郷からは100mほど離れているのでただ別物にしてあるだけのようだ。
 高山市内に戻って、昼飯にロースカツ定食を食べて12時15分、平湯を目指して出発。ポンチョを被ってひたすらペダルを漕ぐ。やっぱり雨の中でも同じようなサイクリスト達に時折すれ違う。安房峠、平湯峠を越えてきた頼もしい連中だ。そのたびに挨拶を交わして元気を分け合う。見ず知らずの連中だけど、一人じゃないんだぜって気になるから、ホントに元気を分けて貰えるってもんだ。

 高山市街を抜けるとすぐに登り勾配になって、それが延々と続く。雨が降っているので気温は涼しいから助かるが、ポンチョの中は湿度100%のようで非常に蒸し暑い。でも、兎にも角にも今夜の寝床が決まっている所に向かっているのは非常に心強いものがあり気持ちに余裕が持てる。「今夜の宿は予約済み」ってキーワードを何度も思い返しては不適な笑いを浮かべる。それじゃぁいっそのこと、サイクリングに出発する前に全ての宿を予約すればいいじゃないかて思いそうだが、それはまた別物で、行き当たりばったりの旅の途中でねぐらが決まるからこそ有り難みが増すってもんです。

 平湯峠が近づいてくると、勾配は一層きつくなり吐く息も荒くなる。濃い霧も立ちこめてきて雰囲気を一層盛り上げてくれる。こういう所が車のドライブと決定的に違うところで、少しばっかりの坂でもペダルに掛ける力を変えなくてはならず、霧が出ればその水滴が顔や体に掛かってきて冷たさを直に感じることが出来る。行った先の風景のまっただ中にいるのが体にモロに感じられるのだ。勿論それは苦労と引き替えに頂けるモンなんですけどね。

 フーフーハーハー上っていくと、そろそろ頂上らしき風景になってきた。自転車旅行していると、峠頂上に対する期待が強いために、その付近の風景にとても敏感になる。で、空の見え方などからもう少しで頂上になるなぁと大体予想ができるのだ。もっともこれは車の運転でも分かることだろけど、自転車の場合は峠に着けば上り勾配からは解放され、おまけにダウンヒルの楽しみが待っているって喜びがあるものだから、峠頂上への思い入れは車の比ではなく、峠近くになると、もう頂上のことしか頭にはない。「ちょーじょーちょーじょー」とうわ言のように繰り返す。

 平湯峠の頂上は濃霧に包まれ強風が吹き荒れていた。こりゃ凄い風景だで、まるで映画のワンシーンみたいだ、記念に何とか写真を撮っとこう。俺のような自転車が沢山並んでいるドライブインに入って時計を見ると、3時45分だ。てことは高山からは3時間半で着いたってことか。パインジュースを飲んで平湯温泉までの急坂を一気に下る。ホントに下りはありがたい。上りと比べると正に行って帰るほどの違いだ。

 民宿には4時半につく。「予約してある奥野ですけど」何ていい言葉だろう。滅多に使うことのないその言葉にじーんとくる。ついもう一回言ってみたくなるが、そりゃ間抜けと言うモンだ。
 すぐ風呂に入らせて貰い、汗を流させて貰う。あ〜極楽ごくらくだ。昨日は高山駅泊まりだったから勿論風呂はなし。その前に風呂に入ったのは、やっぱりこの民宿の風呂だった。真夏にサイクリングしてんだから大量の汗をかくけど2日風呂に入らないくらいはへーき。不潔平気症という特異体質なのだ。

 歩いて平湯温泉街に散歩に行く。温泉街といっても山あいの小さな温泉なのですぐに全部を見て回れてしまう程だ。平湯にしてはいい旅館もある。こういうところは高いんだろなーと玄関前に立ってチョット憧れるが、自分にはあの民宿が分相応と納得してスゴスゴと引き返す。
 大きなバスターミナルがあると、どうしてもそこのベンチに目が行ってしまう。あぁ、あそこなら雨に濡れないで寝られそうだななんてね。それから見りゃぁ民宿泊まりは豪華豪華。
 土産物屋の店先に「はんたい玉子」なるものが温泉のお湯の中に入って売っている。はんたい玉子の名前につられて食べてみると、白味がやわらかく、黄味が硬いゆで卵だ。うん、こりゃ確かに反対玉子だ、ぐちゃぐちゃになってチョット食べにくいけど。3つで100円、安いし栄養補給にもなって調度いいかな。珍しくお土産に朴葉味噌なぞ買ってみる。普段は荷物になるからお土産なんぞは買わないのだが、もう帰路になってるので気楽モードに入っている。それに大した荷物でもナシ、おまけに安いしってことで。何でも安い物には食指が動く。


出発から6日目    民宿の朝。6時45分に起きる。今日も一日雨になるような空模様だ。なーんだ今日も雨か、さて出発の準備でもしよう。こんだけ連日雨に降られていると、そっちの方が普通のように感じてしまい雨も気にならなくなってきた。人間よくしたもんだ。
 朝飯を食べて8時に出発。宿代は3700円。宿の人に機械油を借りてチェーンに差しておく。さすがにこんだけ雨の中ばっかり走り続けているとチェーンも油が切れてギシギシ言い出してきたのだ。これからはロングランの場合は油差しも携行しないとだなー。

 道路に出て珍しく準備体操なぞしていると、単独のサイクリストが通りかかりに声を掛けてくる。昨晩は例のバスターミナルに泊まったらしい。宿を探したが、どこもいっぱいで見つからなかったそうだ。俺の民宿なら空きがあったのにーと言ってみても後の祭り。そういうこともあるわいな。この後、このあんちゃんとは抜きつ抜かれつを断続的に繰り返すことになる。と言っても、互いにスピードを出して追い越すってのじゃなく、坂を上るのは時々休憩をいれなくてはならないので、そのときに追い越されるだけなんだが。初めの内はすれ違うときに「頑張って」なんて言葉を互いに掛けてたが、何度もそれが続くと間が持たなくなってしまい気まずい。んー、今度は何て言おうかなぁなんてね。

 9時20分、安房峠頂上に到着。やっぱりこっち側からだと安房峠も軽いもんだ。反対側から来たときにもお世話になった頂上の茶店でヤクルト2本を飲む。峠の頂上に店があるのはとってもありがたい。多少品物の値段が高いとしても是非あってほしい。

 峠から向こうは、来るときに散々苦労した下りに入る。ここの急坂だけは一気に下るってことはできない。急坂急カーブで路面状態も悪い狭い道路なのでブレーキを掛けっぱなしで下っていく。ガードレールなんかないので、下手するとこの前のサイクリストみたいに崖下に落っこちてしまうぞ。せめてもの救いは、まだ朝早いので交通量が少ないってことだ。でもさすがに下りは早い。あんだけ上るときは苦労した坂を25分で下り終えてしまった。

 坂が急にストンと平らになったような所は上高地への分岐で、帰りには上高地見物の予定なのだ。知る人ぞ知る上高地の釜トンネル。車は1台しか通る幅がないため、出入り口の信号で一方通行が切り替わって通る仕組みになっている。どのくらいの長さなのかなー?何だかこっから見ても凄いトンネルらしいので自転車では簡単に通過できないようだ。向こう側に着く前に反対側から車が大量に入ってこられたら嫌だなー。でも行くっきゃないので、信号が切り替わったら最後尾の車の後について急いでトンネル内に入っていく。案の定トンネルは素堀りで壁も路面も岩がゴツゴツのむき出しのままだ。天井から時折ピチョーンと水滴が落ちてきて体に掛かる。ヒェ〜。おまけに明かりもなし。ごつごつした未舗装の登りでもあるし自転車を漕いでいくことは危険のようだ。と、少し行くと真っ暗闇の中に小さな赤い尾灯が見える。おっ、あれは自転車の尾灯じゃないか。あの明かりの側にいれば少なくとも自分の位置くらいは車から発見されやすい。急いで先行の自転車野郎を追いかける。彼は関西の学生で、色んな所を回りながら最終的には仙台からフェリーで北海道に渡りたいらしい。大阪ってのは自転車が大変盛んなんだそうで自慢していた。そう言えば、彼の点けている小さな赤色灯も乾電池でつくので、俺のダイナモランプのようにペダルを漕がなくても明かりが点けられる。大阪にしか無いってことはないだろけど、色々便利なサイクリンググッズがあるもんだ。前橋に帰ったら探してみようっと。
 釜トンネルを出れば普通に走ることができる。小雨の中、もやの掛かっている上高地は中々幻想的。おー、写真で見るのとおんなじだよー。でも景色はチョット小振りだね。

 少し走ると有名なカッパ橋にでる。この辺りは車やバスがいっぱいで、あのおどろおどろしい釜トンネルのこっち側に別世界があるようだった。桃の木でもあれば桃源郷と言っても信じられるか知んない。

 カッパ橋を背にいつものように、カメラを適当なところに置いてセルフタイマーで自分入りの写真を撮っていると、例の学生が「みんな同じことしてるんやなー」と言ってくる。やっぱ単独の旅人ってのは写真を撮るときはみんな同じような工夫をしてるんだなーと、こちらも思いを新たにする。
 甘〜いピーチネクターなる物を飲んで、11時半、上高地を後にする。来たときと同じように、山また山の中をもくもくと自転車を漕いでいく。帰りも同じ雨の中ってのが憎い。

 松本をすぎた国道19号で、朝の平湯温泉から後になり先になりして走ってきた自転車の大学生とまた一緒になる。俺は上高地に回ったため途絶えてしまったのだが、彼は松本城を見物してたのでお互いの時間がまた重なったようだ。嬉しそうに後ろから声を掛けてきた。油差しを持っているというので借りてまたチェーンに差す。彼も諏訪方面に行くってことなので、しばらく一緒に走ることにする。山の上りではそれぞれ体力も休憩サイクルも違うので一緒には走れないが、平地ではへいち。なんちゃって。

 岡谷市に入り、夕飯を一緒に食べようってことにして、坂を市内に向かって下っていく途中、後ろを走っている彼が突然転倒する。パンクで転んだらしい。尻を打って腕に擦り傷を負ってしまったのでカットバンを2枚貼ってやる。パンク箇所はすぐには分からないので、近所の家で洗面器を借りてパンク直しをする。この学生は、ゴム糊を携帯用じゃなく、缶で持ちあるっている。随分でっかいのを持ってるねーと聞いたら、チューブのが手に入らなかったんだそうな。自転車も、購入後3日目で今回の旅に出発したそうだ。これまた随分あたふたと出てきたんだねー。その後、町の大衆食堂に入って夕飯にする。俺はカツ丼、大学生はオムライスに月見うどん。毎回2食を食べるそうだ。
 彼は出発してから5日目で、合計半月掛かりで北海道までいくそうだ。仙台からフェリーを利用するらしい。俺は明日には帰れるので資金に余裕があるからとおごってやる。彼は今夜の宿はユースホステルを予約しているそうなのでここで別れる。何だよ結構リッチな旅してんじゃん、そう言えばシュラフを持ってないようだったなぁ。全部ユース泊まりのツーリングかい?

 宿無しの俺としては寝るとこ探しを始めなくてはならない。まず、諏訪湖まで行ってみる。特にこれと言った野宿ポイントは見あたらないが、取りあえず明日の朝食用にパンと野菜ジュースに缶詰を買っておく。ついでに缶ビールも一本飲んでおく。
 8時半、雨が降ってきて無宿者の身に更に追い打ちを掛ける。9時半、湖岸にあるでっかい岡谷市民体育館の軒下で寝ることにする。ここなら雨でも大丈夫だろう。


出発から7日目、昨日から飽きもせずまだ雨が降り続いている。いい加減に飽きればー、空。

これで今回のツーリング日程7日間の内、雨の日が4日間てことになってしまったじゃないか。ま、今日帰れるんだからどうでもいいけど。

 6時半に起きて、歯磨きをする。こういう公共の建物はトイレも水道も大体あるのでとても便利だ。自転車の上に掛けるための大きなビニールと新聞紙が風に吹っ飛ばされてビチョビチョになっていた。ビニールは拾ったが、新聞紙は使い物にならない。ま、今日帰るんだから新聞紙はもういらないや。帰る日は何でも気楽。峠の親切なおばさんに貰った新聞紙さん、どうもお世話になりました。
 下諏訪を8時に出発。道路にあるコインスナックで天ぷらうどんとハンバーガーを食べる。ホントに腹に何か入れときゃいいや程度の朝飯だ。諏訪湖を出発すると、すぐに登り坂になる。山の湖だからどうしても出入りする時には坂があるんだろう、群馬の湖でもおんなじだ。エッチラオッチラと和田峠を目指す。その和田峠には10時半に到着。食堂がある。まだ時間は早いが、喰えるる所で喰っとけと親子丼の昼飯にして、牛乳とサンキストレモンも飲んでおく。山の中ではいつ腹が空いて、こないだの安房峠のようになるやも知れないから教訓を生かさなくては。この辺りの道路は車も少なくて薄暗く寂しい道だ。特に雨降りなので一層そう感じる。こんなところで自転車のアクシデントでもあって立ち往生するのを考えるとゾッとする。

 中軽井沢のアントニオ山荘に3時過ぎに着く。管理人をしている大司さんにシャワーを借りてさっぱりしてから、ビールとコーラを飲む。まだ前橋までの残りが60Km近くあるのだからこんなにくつろいじゃ走るのが嫌んなってまずいんだけど、難所の碓氷峠も軽井沢側からなら下りばっかりなので気楽だ。こんなところに知り合いがいるってのも便利で嬉しいね。
 碓氷峠を自転車で下るのも2回目だ。相変わらず下りは快適。もうずっと下っていたい気分になる。前橋には夕闇が近づき始めた7時少し前に入る。利根川に掛かる群馬大橋を渡ると、帰ってきたーって気がしてくる。

   お わ り