27)賤ヶ岳〜山本山、421m、324m:11月5日、古戦場、近江湖の辺の道 、2016年山の記録に戻る
賤ヶ岳(しずがたけ)は滋賀県長浜市(旧伊香郡木之本町)にある標高421mの山である、琵琶湖と余呉湖を分ける。山域の周辺は琵琶湖国定公園に指定されている。「新雪
賤ヶ岳の大観」が琵琶湖八景のひとつに数えられている。 余呉湖の南湖畔にある国民宿舎余呉荘、琵琶湖北湖畔の飯裏、JR西日本北陸本線余呉駅、南側の山本山から延びる尾根など各方面から山頂に至るハイキングコースが整備されている。コース上には賤ヶ岳の戦いなどの多数の史跡がある。山頂からは北東に尾根が延び、その先には中川清秀の墓がある大岩山がある。北西には尾根が延びその先には、行市山(660
m)がある。南には琵琶湖東畔に沿って尾根が山本山(324 m)まで延びる。山頂からは、余呉湖、琵琶湖、竹生島、伊吹山などの360度の展望が得られる。(ウイキペディアより)
この近江湖の辺の道を歩くには、JR余呉を出発して、余呉湖に沿って稜線を歩き、賤ヶ岳から、今度は琵琶湖に沿って山本山までを歩くのが良い。歩きはそれだけ長くなる。なお、歩きの最終地点になる山本山は毎年一羽のオオワシ(メス)が越冬のため湖北に渡り、山本山をねぐらにしています。
今年で17年連続で、「山本山のおばあちゃん」として人気を集めており、その姿を一目見ようと野鳥ファンやカメラマンが多く訪れる名所である。今年はまだのようである。オオワシの様子などは湖北野鳥センターで入手できる。
JR守山駅(7:02)−長浜駅(7:57、8:00乗り換え)−JR木ノ本駅(8:15、8:20バス)−大音バス停(8:33)−リフト乗り場登山口(8:40、8:50出発)−賤ヶ岳分岐(9:35)−賤ヶ岳(9:40〜9:58)−賤ヶ岳分岐(10:03)−360.4mポイント(10:42)−古保利古墳群A2墓(11:30)−西野水道分岐(11:55)−片山トンネル上(12:22)−山本山山頂(12:57〜13:48、昼食)−登山口(14:10)−山本三条橋(14:17)−JR河毛駅(15:08、15:21発)−JR守山駅(16:16)
守山駅に集合し、長浜駅にて近江塩津行きに乗り換え、木之本駅に到着した。湖国バス、新道野行きに乗りリフト乗り場へのバス停である大音バス停にて下車する。乗客は我々14名のみ、トンネルの上をいく形で階段を登り、学校横を進んでリフト乗り場のある駐車場に着く。綺麗なトイレもあり、身支度を整え、出発する。杉林のうす暗い中を登り始めるが、勾配はそれほどでもない。白い大きなキノコ、腐った木の上にできたキノコを観察しながら行く。頭すれすれのリフトに気をつけながら2度横切る。
大音バス停 スギ林の中のキノコ
足元にはクマササがある。稜線近くになるとヒノキが多くなり、多少明るくなってくる。スギ、ヒノキとも結構な大木である。稜線に出でると琵琶湖が見え、竹生島がポイントになる。七本槍で有名なだけあり、顔が空いた武将の格好の人形板が次々現れる。1.5q、50分の登りである。山頂からは、余呉湖、伊吹山、琵琶湖、周辺の山々が見渡せる。霞みがかかったようで秋の晴天のように、遠くまではっきりというわけにはいかなかった。
山頂写真 余呉湖
これから進む、山本山までの稜線が続く。低山とはいえ、アップダウンの続く道である。山本山まで7.3qである。見通しの良い、広い山頂を出発するとすぐにスギの樹林帯に入り、薄暗い道である。その後、ヒノキの林、マツ林、ブナ、ミズナラ、クヌギの広葉樹林帯が代わる代わる出てくる。足元にはクマザサ、イワカガミも見られる。所々で、「中部北陸自然歩道、余呉湖〜賤ヶ岳〜山本山歩道 近江湖の辺の道」の表示が出てくる。案内もしっかりしている。時々、木々の間から、右手に琵琶湖、左手に長浜市の田園地帯、その奥に湖北の低山が迫る。山頂から45分弱で、360.4mポイントと書かれたピークに着く。途中、振り返れば、賤ヶ岳が見られる。
賤ヶ岳
ピークを過ぎると暗い林の中、やや明るい陽だまりのところなどが代わる代わる出てくる。途中には、琵琶湖側へ下る道、東側へ下る道が出てくる。1時間過ぎた陽だまりでリュックを下ろす。しばらくで、木に蔓が絡まった木の横に小谷山が三角錐に似た秀麗な山容を見せる。このあたり、東の長浜市の田園地帯やその奥の湖北の低山の好ポイントである。古保利古墳群A2墓には11:30に着く。この稜線には100以上の古墳群があるそうだが、その説明文がかかれた表示板が出てくる。
稜線の様子
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蔓が絡まった木の横に小谷山 |
目を引く赤い花 |
山本山へ続くいくつものピーク |
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キノコが行儀よく |
やっと出会った本格的な紅葉 |
竹生島が垣間見える |
それを過ぎるとすぐに西野水道分岐に出る。旧木戸港あとと西野水道に左右に分かれる。峠である。ここから山本山までさらに2.5qだ。古い看板と、新しい看板で距離が違い、訝しくなるが、新しいほうの長い距離が本当だろう。峠から登りの道にはイワカガミが多い。登り切り、雑木林を進む。A2墓以降、B、C、Dで始まる古墳墓が出てくる。全長、数十〜100m近くに及び、うまく地形を利用したものだ。勿論、巻いたかたちで道は通じている。
西野水道分岐
12時も過ぎ、エネルギ―切れになってくる。山本山への最後の登りと思われるところでついにお昼にすることにした。私は、山頂での鳥やその他の写真を撮りたいため、一人で先に進むことにした。すぐに、山頂300mの表示が出てきて、7分ほどで山頂に着いた。広々とした山頂である。琵琶湖方面、竹生島が見えるが、遠くの高島方面の山々はかすんで良く見えない。草原の山頂は、アキアカネ、ウラナミシジミが結構な数だった。折角の望遠レンズを使って写真におさめた。45分ほど過ぎたころ、他の人たちが到着、しばらく休む。
1時間に1本の電車を気にしながら、13:45過ぎに下山する。800mの歩きにくい道を一気に下り、常楽寺で常夜燈、奇妙な地蔵(?)を見学し、4qの道を河毛駅に向かった。予定時間通りの15:10に到着、21分の新快速電車で守山に戻った。
常楽寺の石仏 常楽寺参道の紅葉
解説
@近江湖の辺のみち(びわ湖周遊自然歩道):
琵琶湖の周辺には、古くからある集落のたたずまいから自然豊かな湖岸まで様々な魅力を持つ景観が展開しています。環びわ湖周遊自然歩道は、こうした琵琶湖の優れた景観と我々の深い関わりについて、見る、聞く、触れるといった人間の五感を最大限に活かしながら体験することのできる自然歩道です。この歩道は、志賀町近江舞子集団施設地区と近江八幡集団施設地区を北まわりに結ぶ約140キロの遊歩道で、湖岸緑地等を連絡し、琵琶湖の優れた景勝地や沿岸の観光地、文化財など、恵まれた自然環境や価値ある文化遺産と触れあうことができる自然歩道です。『近江湖の辺の道』の名前とシンボルマークは、この遊歩道が末永く親しみ、愛される施設となるように広く一般から募って決められました。(長浜市の案内より)
A賤ヶ岳の戦い:
天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長が築き上げた権力と体制の正統な継承者となることを決定づけた。(ウイキペディアより)
B賤ヶ岳の七本槍:
秀吉方で功名をあげた兵のうち以下の7人は後世に賤ヶ岳の七本槍(しずがたけ の しちほんやり)と呼ばれる。実際に感状を得、数千石の禄を得たのは桜井佐吉、石川兵助一光も同様である。7人というのは語呂合わせで、『一柳家記』には「先懸之衆」として七本槍以外にも石田三成や大谷吉継、一柳直盛も含めた羽柴家所属の14人の若手武将が最前線で武功を挙げたと記録されている。後年七本槍は豊臣政権において大きな勢力を持つに至ったが、譜代の有力な家臣を持たなかった秀吉が自分の子飼いを過大に喧伝した結果ともいえる。福島正則が「脇坂などと同列にされるのは迷惑だ」(中傷の意図も否定できない)と語ったり、加藤清正も「七本槍」を話題にされるのをひどく嫌った(今日の研究では清正の立身は羽柴家の財務・民政における功績の部分が大きく、賤ヶ岳の戦功は異例に属していたとされる)などの逸話が伝えられており、当時から「七本槍」が虚名に近いという認識が広まっていたと推定される。脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明(ウイキペディアより)
C古保利古墳群:
、びわ湖の最北端、塩津湾に面する低く細長い山上にある大規模な古墳群である。「古保利」という名称は旧古保利村から名付けられている。古墳の総数は現在132基で、古墳時代初頭(1800年前)〜終末期(1400年前)に造られたものと推定される。約3kmにわたって自然地形にしたがって列状に南北方向に並んでいること、琵琶湖に直面する山上に立地すること、長きにわたって造り続けられていることに特色がある。さらに前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳といった基本的な形の古墳が全て揃っているのだ。特に有力(首長)墓と考えられる前方後円墳・前方後方墳が現状で各8基、計16基も含まれている。
古墳の中で最も少ない形の前方後方墳が多い点も大きな特徴である。円墳と方墳はそれぞれ79基・37基確認されている。また、この古墳群周辺には前方後方墳大森・姫塚古墳、前方後円墳若宮山古墳、石棺が納められた松尾宮山1号墳など有力な古墳がある。
つまり、古墳時代(1800年前〜1400年前)のそれぞれの時期の様々な形をした有力な古墳が集中し、あたかも「古墳の野外博物館」のような地域なのである。(長浜市の案内より)
行程マップ(栢さんより拝借)
(国土地理院の地図を引用)
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作成日: 2016年11月6日
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