41)笠塔山 1049m : 2018年11月27日 2018年山の記録に戻る、 笠塔山は和歌山県田辺市にある山。果無山脈(注)に属し、果無山脈は、西から行者山、笠塔山、安堵山、冷水山、石地力山、果無峠と続いて十津川に達する。果無峠は、熊野古道の小辺路ルートが通じている。平安時代の陰陽師・安倍晴明が魔物を笠の下に封じ込めたという伝説が残る山としても知られている。龍神村谷口にある笠塔山登山口には安倍晴明に由来する小さな祠が祀られている。南斜面一帯にはモミやツガの原生林があり、国有林として保護さている。 今回は、今年3月に登ったとWebに出ていた山行記録をもとに、笠塔森林公園入口からスタートした。公園管理棟には、笠塔森林遊歩道の説明が掲示されている。距離の短いC地点〜I地点を経て山頂を往復した。白浜に災害をもたらした台風の影響は大きく、出だしから舗装道の崩壊、登山道や沢の崩壊に出会い、倒木のせいもあって、ルートファインディングに苦労した。 守山駅(5:36)−尼崎(6:51、7:00出発)〜阪和自動車道、紀伊田辺IC〜森林公園入り口に駐車(9:50、10:08出発)−森林公園管理棟・笠塔山遊歩道口A地点(10:33)−Cまで300m、Bから600mポイント(11:15〜11:25)−C地点(11:35〜11:40)−I地点−山頂まで400m、I地点まで600m(12:55)−笠塔山山頂(13:06〜13:47)−C地点前の急坂を下った場所(ショートカット)(14 51)−Cまで300m、Bから600mポイント(15:16)−笠塔の滝(15:42〜15:46)−森林公園管理棟(15:54)−森林公園口(16:20、16:30出発)〜JR尼崎 待ち合わせの尼崎駅に集合し、Kさんの車で和歌山に向かう。阪神高速から阪和自動車道、途中、みなべSAにてトイレ休憩とお土産を買う。山頂で食べるミカンも忘れずに手に入れた。高速道から、国道311号線を東に進み、371号線に入り、笠塔森林公園口で駐車する。以前は林道を管理棟まで入れたが、台風の被害で道路が崩壊し、入り口はフェンスで施錠され、入れない。入り口に駐車し、準備を手早くし、フェンスの横の谷そばを抜け、綺麗な舗装道を下る。この道も5分ほどで、谷の部分が崩れ落ちている。大きく迂回し、2m以上の深くて広い排水設備を下って登り返す。 道路が崩壊、まわりこんで通過 その後の道は、岩や吹き飛んだ木々が散乱されている。下りの道を進み、橋を渡ったところが笠塔森林公園の管理棟だ。今は利用できない状態になっている。その裏側に、遊歩道と森林公園の説明がある。遊歩道と書かれた掲示板を確認後、進む。道にはマツカゼソウの白い花が残っている。大きな川の付近にはイロハモミジや他の広葉樹が植えられ、そこそこの紅葉が楽しめる。橋を渡り、いよいよ登山道だ。風で吹き飛ばされた木々や倒れた樹木、一部川岸も削airれている。しばらくでB地点、笠塔の滝は帰りに寄ることにして、右手の岩がごろごろとした中を進む。遊歩道で、コンクリートの丸木風の階段が残っているが、水害の影響だろう、崩れたり、埋まったりしている。気を付けて進む。時々は崩壊した沢を注意深く横切る。管理棟から45分のCまで300m、Bから600mポイントで小休止を取る。その先も深くえぐられた沢があって、苦労して横切る。川の対岸や川そばには紅葉が美しいが、登山道には常緑樹があって、木々の間を通してみることができる程度だ。時々、開け、紅葉が楽しめる。 木々の間を通してみる紅葉 崩れ落ちそうな狭い道は続く。C地点は大きく2手に分かれる。D地点とI地点への重要点にあたり、全体のルート図が細かく表示されている。左手に谷を渡る道が通常のルートで、I地点に向かう。今年登った記録によれば、この右の谷を登った記録があるが、もちろん大きくルートから外れている。戻るような格好で谷を渡る。倒木やがけ崩れの岩が転がり、谷は荒れている。崩れた沢の崖を横切り、対岸にでる。 右奥にC地点の表示、荒れ果てた谷筋を渡る 帰りはここのC地点を通らず、手前途中の急坂を下り、登山道に合流した。 ここで、石積の崖が何段かにあり、その一つが山の斜面を巻くように進んである。4人は2手に分かれ、支尾根と思われる斜面に、急な崖をよじ登り、もう2人は石積に沿って水平に大きく回り込んだ。結局は上で支尾根に出るのだが、そのまわりこんだ道は、遊歩道がつけられてはいたが、半分以上は崩れて分かりにくく、倒木が道をふさぐ。こんな格好で支尾根に出て、少し登った先で一旦は水平になり、テープが確認できる。ただし、踏み跡はなく、右手の崖に沿って、岩の急坂を進む。やがて、木につかまる必要があるほどの急坂が続く。登り切れば山頂かと思いきや、これから先がまだまだ続く。山頂まで400m、I地点まで600mのポイントは、携帯が通じるポイントで表示されている。1時近くでお腹もすいてくる。道は時々踏み跡が現れ、テープがあったり、矢印表示があらわれたりでホットしながら進む。このあたりからは、踏み跡もはっきりし、つづら折りに急坂が続く。登り切った先には、スギ林から、アセビの多い道になる。一部、ヒメシャラの純林が現れ、常緑広葉樹の中でその部分だけが枝ばかりの明るい部分となって、印象的だった。 ヒメシャラの純林 ここからしばらくはアセビの中を進む。明るいところに出ると、正面に電波塔の大きな建物が現れる。ススキの原になっており、左手の少し高くなったフェンス脇からは、西〜西南方向に山並みが見られる。南方向は、法師山〜大塔山の山並みがあるのだが、スギの木で視界がふさがれている。 電波塔横から西〜西南方向の山並み 山頂はここからすぐで結構な広場になっている。周囲はアセビや木々で囲まれ展望はない。これまで思ったよりも時間がかかり、険しい登りに皆疲れ切った。ゆっくりと昼食休憩をとる。 山頂写真 1時間遅れの昼食をゆっくりとリ、元来た道を引き返す。登りでは疲れた体も、下りは軽く、木々につかまりながらの歩きになった。C地点はショートカット、崩れた谷筋も気を付けて通過する。B地点は笠塔の滝の分岐、一部崩れた川岸を進む。2段になった滝は、紅葉も手伝ってそれなりに魅力あるものだった。写真撮影だけの寄り道になったが、寄ってみて良かった。 笠塔の滝 2段で30m その後は駐車場所から一直線に大阪に戻った。A−COOPでビールを仕入れ意外は‥‥ (注)果無山脈(はてなしさんみゃく): 和歌山県と奈良県の県境沿いに位置する山脈。最高地点は冷水山(1262メートル)。果無山脈は、紀伊半島の中央部に位置する。広義には、田辺市から北東に向かい西牟婁郡と日高郡の境の虎ヶ峯山脈の山々(行者山、三里ヶ峰など)を含むが、一般には笠塔山より東に転じ、和田ノ森から、安堵山を経て、東端で熊野川まで東西18kmにわたって列なる山脈をいい、古くは大和国と紀伊国の国境であった。また、この間、熊野川・日置川・富田川・日高川の4つの分水嶺を分け、地質は中生代日高川層群丹生川層に属する。果無山脈の山々は、最高地点でも1000mをわずかに超える程度である。そうした山々に果無という名が生じたのは、江戸時代の地誌『日本輿地通誌』に「谷幽かにして嶺遠し、因りて無果という」と説かれたように、行けども行けども果てなく山道が続く様子からであると言われている。ただ、地元の民俗伝承は果無の名を地理的な特徴ではなく、この地方に伝わる一本だたらの怪異譚によるものとしている。それによれば、果無山脈にはある怪物が棲んでいた。その怪物はハテ(年末20日過ぎ)になると現れ、旅人を喰ったことから、峠越えをする者がなくなった(ナシ)という。ここからハテナシの名がついたという。果無山脈の尾根道は山頂平坦面が直線的に続き、比較的歩行が容易であったことから、果無山脈伝いに龍神方面(田辺市龍神村)および日高郡からの往来があったという。この道を龍神街道 果無越といい、龍神方面と吉野・熊野および高野山とを果無峠および本宮(田辺市本宮町)を経由して結び、修験者や大峯参りの人々が行き交ったと伝えられ、近代になっても大正時代頃までは生活道として利用されつづけた。また、果無山脈東端の鞍部である果無峠は、熊野参詣道小辺路の一部であるとともに、十津川(奈良県吉野郡)と本宮を結ぶ生活の道であった。1921年(大正10年)に新宮と折立を結ぶプロペラ船が就航してからは、通行人が減ってゆき、昭和30年代の電源開発とともに五條からの国道168号線が本宮町まで開通したことで、果無峠は生活道としての役割を終えた。登山道としては、田辺市龍神村の小森集落から和田ノ森を経て、果無峠に至る、東果無縦走路が一般的で、1971年(昭和46年)の黒潮国体における登山部門のコースとして整備されたが、以後の利用に乏しく深いブッシュが再生している部分がある。(ウィキペディア(Wikipedia)より引用) 行程MAP (国土地理院の地図を引用) (Google Earthより) 2018年山の記録に戻る、 作成日:2018年12月4日 |