17)押立山 772m :2021年2月25日 2021年山の記録に戻る  
 押立山は湖東平野の端、鈴鹿山脈の御池岳から西に張り出した山塊である。山麓には、湖東三山の一つ、百済寺がある。北の宇曽川ダムからアプローチができる。注ぎ込みます。登山道は、4コースあるが、案内標識が少ない。いずれの進入口も、ゴミの不法投棄防止の理由からゲートで閉鎖されている。標高500m付近から山頂手前までは急勾配で、イバラが邪魔をする。どのルートも視界が乏しく、山頂からの展望も東方向に樹間から鈴鹿山系がやっと見える程度である。麓から眺めた山容は堂々として、一帯のシンボルとなっている。

 今回は百済寺町からの周回コースを歩いた。人が通ることの少ないルートと思われる。最後のピークには北坂本城址がある。大峠へのルートは踏み跡が乏しく、地図に記載されない谷筋が出てくる。最も苦労する部分である。押立山への稜線はテープが先導してくれる。押立山からの尾根筋歩きは急坂だが分かりやすい。北坂本城址(512m)からは西側のピンクテープがスタートになるが、途中から踏み跡が分りにくく注意が必要となる。地図を確認しながら歩き、最後は適当に山腹を歩き林道にでた。

岩上神社駐車場(9:20、9:26出発)−堰堤部(9:40)−谷間違い引き返し部(10;43)−大峠(11:16〜11:19)−稜線部分(11:44)−712mピーク(12:10)−コル部(登山道分岐)−押谷山山頂(12:33〜13:15)−分岐点(13:37)−P512(北坂本城址)(14;00〜14:10)−尾根筋分岐(14:20)−破線部分歩き−破線部離れ(14:36)−山腹を歩行−林道(14:46)−林道終点(15:00)−百済寺集落−岩上神社駐車場(15:25、15:30出発)−自宅
           行動時間:5時間59分  歩行距離:8.0q  累積登高:820m

集落内を詰めて、岩上神社に到着する。冷たく、地面は凍ったように硬い。準備を整え出発する。神社の写真を撮り、通過する。あまり歩いているようには見えないコケの付いた道を進む。集落跡か寺院跡か石垣で仕切られたいくつかのヶ所を通過する。

岩上神社

石垣の残る遺跡

比較的広かった道もやがて分かりにくい道になり、堰堤のある谷筋に出る。山腹を登り、踏み跡らしき道を進む。谷が行く手を遮り、越えられそうな上の部分から対岸に出る。谷筋に沿って進むが、地図で確認した所、もう一つ下の谷筋だったため、谷を横切り、更に支尾根を乗り越えて、谷筋に下りた。谷を左手に見て、歩きやすい所を歩く。倒木や荒れた部分があり、心もとないが地図ナビを頼りに進む。
渡渉点にはテープで目印があり、対岸に出る。再度渡渉を繰り返し、最終的には谷を右手に進む。
渡渉ポイント、赤テープ

当初は谷そばを歩いていたが、急な崖になったり、谷筋を歩けないため、急な斜面を恐る恐る通過する。テープもなく、踏み跡が頼りだが、大峠方面だけの踏み跡でもないらしい。途中で方向調整を加え、何とか谷筋を行く。谷を上流に辿ると大きな二俣の出合となる。下流から見て左手がおおきい谷でそちらかと思い進むが、途中でチェックすると逆だった。もとに戻り左俣(下流から右手に)を選びさらに、2月分離した右手の細い谷筋を選ぶ。道の痕跡はほとんどなく、谷筋にそって登る。谷の水はすぐになくなり、峠方向に山腹を登る。樹林帯の切れた峠が大峠になるが、峠を示す表示は全くない。
大峠まであと少し

踏み跡は、前方に一旦下りまた上がって、その先からも支尾根が出ている。こちらからも、支尾根に踏み跡があり、先にテープがありこちらを登る。踏み跡らしきものだが、やがてテープはなくなり、支尾根の左の山腹から稜線に進む。行った先でテープが現れ、稜線に出た。ここからいよいよ
押立山を目指して稜線を縦走する。もう少し行った先で、ピンクのテープが現れる。ちょうどT字路になった格好でどちらかを選ぶ格好だ。いずれも先で一旦は下り登り返して合流するように見える。正面方向に押谷山である。左手も選び不安になるが、やがて軌道修正で右手に戻る格好になる。足元は落ち葉で下草もなく歩くには問題がない。ピンクのテープはくどいほど出てくる。樹林帯の中であるが冬で落葉し明るい。稜線の道で、アップダウンを繰り返す。あと1ヶ所2つに分かれるが、山頂方向に進む。地図を確認する。P712地点を過ぎるが、まいた格好のようだった。ここからは行く手に大きな山塊が現れ、目指す押谷山の登りになる。植林帯の道で、左手に踏み跡が出てくる。随分前に歩いた道だ。視界が開ける。ここからすぐと思ったが、スギ林の中の道は結構長く感じる。やっと登り切って山頂に着く。
山頂手前には2人の登山客が昼食を終えていた。挨拶を交わす。反対のダムから1時間50分かかって着いたとのことだった。この山に詳しく、下山道を話すと、急坂が待っているとのことだった。押立山の山頂は狭く、スギ林が西側、東側はアセビや広葉樹林帯となっている。樹間を通し、御池岳やその南の鈴鹿山系が白い姿で確認できる。山頂表示に、足元に西堀榮三郎氏の生誕100年を祝った記念の表示が置いてある。ここまで約3時間、精神的にもやや疲れ、ゆっくりと食事をし、元気を回復させる。

山頂

西堀榮三郎氏の生誕100年記念の表示

長い昼食タイムを追え、山頂から西方向にスギ植の中を進む。道は明瞭な踏み跡があり、テープもあって安心する。西尾根の急坂が始まるが一気に下る。100mくらい下った一旦平坦になった部分で、直行する支尾根と、右手(北西)に山腹を通りしっかりとした道が分岐する。今回は北坂本城址(P512)に行くため、こちらの支尾根をはずれ、右手に進む。踏み跡はそのまま
p512への支尾根に入ることができた
。概ね下りの道で、一旦下り、左手に尾根筋が出て登って行くとP512方向になる。振りかえれば押谷山が見える。
P512までは踏み跡はしっかりとしている。北坂本城址(P512 )はそれらしい平坦な大きな部分で、枝で網上に囲った造作とブランコがあった。あまり人が来ているとは思えない様子であった。西側は開け、比良山系を中心に、高島の山並み、大津方面の山並みまで一望できる。ここで休憩を取る。

北坂本城址(P512 )

西の風景

下りは、ほぼ中央部、ピンクのテープの所から下る。右手に新しい、赤いテープもあるが、うまく下まで行けるようには見えなかった。すぐにしっかりとした踏み跡になる。しばらくで踏み跡が分岐する。直進方向にピンクのテープがあるが、その先はテープは確認されず、右手に分岐する道が結構はっきりしていた。地図の破線に合流を目指し、急な直進方向の支尾根から外れる。(結果的にはここを直進すれば北坂林道へ合流できると思われる)。
進んだ道だが、やがて、倒木が道をふさぎ、踏み跡も極めて乏しい。地図では林道まで300m位と思われ、シダ類の多い斜面を高度を保った格好で歩く。歩きにくい部分や、谷筋もあるが、適当にかわし、やっとのことで林道にであう。林道に出るには斜面を登り返す必要があるが、見つかったことでホッとした。地図がなければ苦労するところだった。

後は林道を歩いて集落に出た。高い施錠されたフェンスが入口で待ち構えていたが、左手の鋭角に突き出た部分が開閉できるようになっていた。これは、高いフェンスを乗り越え舗装道に出てから分かったことである。何か書いていてくれればと思った。ウメの咲く舗装道
を歩いた。押谷山の山容が綺麗だった。

押谷山の山容

注釈:(ウイキペディアより)

コースマップ(YAMAPより引用)

(国土地理院の地図を引用)

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作成日: 2021年2月27日