6) 賀名生の梅林(奈良県五條市) : 2万本、奈良県一の規模 2016年花・鳥・その他に戻る

1)賀名生(あのう)は、奈良県五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷である。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都(ただし行宮であるため正式な首都ではない)となった地域の一つ。もと「穴生」(あなふ)と書いたが、後村上天皇が皇居を吉野(吉野山)からこの地に移した際に、南朝による統一を願って叶名生(かなう)と改め、さらに1351年(正平6年、北朝の観応2年)、いったん統一が叶うと(正平一統)「賀名生」に改めたという。明治になって、読みを「かなう」から原音に近い「あのう」に戻した。後村上天皇の遷幸より前の1336年(延元元年、北朝の建武3年)12月21日、後醍醐天皇は京都の花山院から逃れ出て、同月23日穴生に至ったが、皇居とすべきところがなかったのと高野山衆徒の動向を警戒してここに留まるのを断念し、同月28日吉野山に至った。南北朝時代から賀名生梅林が有名であり、明治以降は実を収穫するための植林もされた。さらに、1923年(大正12年)、東宮(後の昭和天皇)成婚を記念して5千本の梅が植林された。現在は柿の生産も盛んである。(ウイキペディアより引用)

2)賀名生梅林は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る県下有数の梅林として知られています。2月下旬から3月下旬、さながら雲海のように梅の花がほころびます。700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、既にこの地の梅が香り高く咲き誇っていたことが分かります。さらに明治10年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正12年東宮殿下の御成婚を記念して5千本の苗が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。南朝の悲しい史話を帯びて、雅やかな梅の花の色合いは、丹生川の支流に南朝のロマンを映しているようです。(五條市の観光案内より引用)

守山(7 :30)−賀名生梅林 駐車場(11:10)−梅林散策(11:15〜14:45) −
賀名生の里歴史民俗資料館(14:50〜15:10)−賀名生梅林駐車場(15:15)−守山自宅(18:55)      歩行距離:約7q、  行動時間:3時間25分 

7時30分に3人が集合し、五條市西吉野に向かう。一般国道で113q程度の道のり、おしゃべりをしながら3時間30分をかけて賀名生梅林に着いた。途中、コンビニでお弁当を購入した。南へ向かうにつれ天気も良くなった。梅林は結構な道のりで、まず、赤い旗の散策路を車で1周する。所々車1台分の細い道になるところもあったが、急勾配の道を時計回りにまわった。入り口に戻り、駐車場に300円を払って車を止めた。週日とあって見物客は混雑するほど多くはなかったが、休日だったら混雑することは容易に察しが付く。入り口から少し登ったところは口の千本から振り返り千本にまで梅林が広がる迫力の風景が広がる。左手方向には一目万本の梅も広がっている。ここが賀名生梅林の圧巻である。メインのルートは車で通っているので、派生した道をできるだけ通るように歩く。見返り千本を過ぎたあたりで100m先、展望良しとの表示があり、お昼の場所にしょうと道から外れる。なるほど視界が広がる、あれやこれやと話していると、下の家の奥さんが床几を2個持って来てくれる。お礼を言って、ここで昼食にする。あたりの雰囲気は写真の通りで、花に囲まれての時間だった。コーヒーとリンゴも味わった。奥さんにミツマタの名前を聞いたこともあって、そのあと苗木を人数分の3ついただくことになった。おやつにと思って持ってきたお菓子をお礼に渡した。食事の後、そのまま左手方向に道を外れていった。登り切ったところに何人かのグループがお昼にしていた。道はさらに奥に、あるいは右手に通じている。いずれも引き返すことになるのだが、直進の方はそれからかなり進むことになった。上の方は梅林というより、柿の木畑が広がっている。同じ道を引き返すのを避け、先のグループが来たと言う細い道を下って行き、メインの散策道に出ることができた。奥の千本から西の千本までは高度もあって、眺めは抜群である。北方向は金剛山地であろうか、頂は雪で白くなっていた。見上げるような急坂の上に家々があり、ウメの花で埋まっている。石垣は苔むし、古い歴史がしのばれる。西の千本も眼下に花が広がり絶好の景観である。お店があって、梅ジャムを購入する。ここからの振り返り千本や、さらに進んだ入り口付近の一目万本、口の千本も逆方向から楽しめる。ゆったりと歩き、花を満喫であっという間の3時間であった。入り口の横から出ている道沿いにお店が並んでいた。伊予柑、冷蔵保存していた柿(5個入りであったが、もっと買わなかったことを後から賞味して後悔した)、シイタケどっさりと購入した。買い物を一旦車に入れ、賀名生の里歴史民俗資料館を見学した。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都(ただし行宮)が置かれていた歴史を知ることができた。帰りも一般道を走った。好天に恵まれ、公称2万本の梅に感激した1日だった。

口の千本〜振り返り千本

梅林風景
梅の間から教蓮寺 昼食場所

 崖の上の家屋と紅梅  一目万本  
     
 西の千本    里風景
     

散策の途中で出会った他の花木、サクラももうすぐ開花である。
     
 トサミズキ  ミツマタ  マンサク
     
 アセビとウメ    

梅林案内図
(五條市の観光案内より引用)

行程MAP(同行のKさんより拝借)
(国土地理院の地図より引用)

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更新日:2016年3月16日