294)尾鈴山 1405m: 2006年12月3日   日本三百名山に戻る
 尾鈴山(おすずやま、御鈴山)は、九州南部に広がる九州山地の東部に位置する山であり、宮崎県都農町と木城町にまたがる。地理矢研の滝北方に万吉山、神陰山、南方に長崎尾、矢筈岳、黒原山、春山、上面木山などの支峰を従えた山塊を構成する。西側を小丸川、北側を耳川およびその支流である坪谷川、南東側を宮崎平野に囲まれた直径約15キロメートルの範囲に広がる山地は尾鈴山地(おすずさんち)と呼ばれる。岩盤が固いため山腹には多くの深い谷が刻まれている。特に尾鈴山から南東へ流下する名貫川から分かれる矢研谷、甘茶谷、欅谷には、落差73メートルの矢研の滝(日本の滝百選)、落差75メートルの白滝など大小30を越える滝があり、尾鈴山瀑布群として日本国の名勝に指定されている。また、尾鈴山から上面木山に至る133平方キロメートルの範囲は宮崎県の尾鈴県立自然公園に指定されている。山頂には一等三角点が置かれている。自然環境多雨地域であり、年間降水量は2700-3000ミリメートルに達する。植生は、標高400メートル以下にイチイガシ、標高400-600メートルにウラジロガシ、標高600-1000メートルにモミやツガ、標高1000メートル以上にブナの林が分布する。山頂の南側にシャクナゲの群落があるほか、寒蘭の自生地もある。また、世界でも尾鈴山にしか見られないキバナノツキヌキホトトギス、尾鈴山地周辺地域にしか見られないウラジロミツバツツジ、ナガバナサンショウソウなどの固有種が分布する。イノシシ、シカなどのほか、ニホンカモシカの生息も確認されている。地質四万十層群と宮崎層群の間に割り込む形で分布する尾鈴酸性岩体と呼ばれる火成岩から成る。中新世の1500万年前、大規模な火砕流の噴出を伴う大噴火があり、耳川河口付近を中心とした直径40キロメートルの尾鈴カルデラと呼ばれるカルデラが形成された。火砕流は周辺に溶結凝灰岩の地層を残した。その後、カルデラの西側にマグマが貫入し花崗斑岩からなる岩体となった。これら一連の火山活動は数百万年に及んだ。やがて九州山地の隆起に伴って岩体が地表に露出したものが尾鈴山である。歴史古くは山麓の古地名「新納院」に因んで新納山(にいろさん)と呼ばれていた。「尾鈴山」の名称の由来については次のような伝説がある。山麓の牧場にしばしば白馬が出現し、後に山の神が白馬に乗って麓の神社を参詣したものであることがわかった。その際に鈴の音が聞こえたことから白馬は「お鈴様」と呼ばれるようになり、山名の由来となったというものである。また、山の尾根にスズタケが茂っていることから名付けられたともいわれる。矢研の滝にはニギハヤヒが天の磐船に乗って天降した際に鏃(やじり)を研いだとする説があり、滝の上には「天の磐船」と呼ばれる巨石がある。また、神武東征において鏃を研いだとする説もある。古くから山岳信仰の対象となっており、周辺の農民たちは山にかかる雲の様子で天候を予測したほか、日向灘を往来する船乗りたちもこの山を目印として船の位置を確認していた。旱魃の年にはしばしば雨乞いが行われた。中世には修験道の霊山となっており、瀑布群は修行のために利用されていた。江戸時代においては高鍋藩の管轄下にあり林業が盛んであった。特に木炭は日向国における主要産地の一つであり、大阪などの市場へ出荷されていた。木材を運搬するために1909年(明治42年)から名貫川沿いに敷設された森林軌道(森林鉄道)が使われるようになり、1915年(大正4年)には都農土場(都農町市街地)まで、1924年(大正13年)には都農駅まで延長された。軌道はその後も1945年(昭和20年)頃まで整備が続けられたが、その後の台風被害や林道整備によって使われなくなり1958年(昭和33年)に廃止されている。近代に入ってから観光地としての整備が行われ、1944年(昭和19年)に尾鈴山瀑布群が名勝に指定され、1958年(昭和33年)には128.5平方キロメートルが尾鈴県立公園(後の尾鈴県立自然公園)に指定されている。登山道は、東側の甘茶谷からのルートが一般的であり、他に西側の板谷谷からのルート、南側の矢筈岳からの縦走路、北側の矢櫃谷からのルート(難路)もある。山頂付近にはスズタケや樹木が生い茂っているため眺望は良くない。かつては展望台があったが老朽化したため撤去されている。山頂北方に尾鈴神社上宮があり、鏃が奉納されている。(ウイキペディアより)

宿(7:50)−キャンプ場(8:29)−林道分岐付近駐車(8:34)−甘茶谷登山口(6:50〜7:00)−3合目(7:15)−6合目(7:38)ー9合目(9:36)−尾鈴山(9:43〜9:51)−長崎尾(矢筈岳)(10:28〜10:33)−分岐(10:41)−林道出合(11:18)−林道広場(11:29)−駐車場所(11:41)−車で移動−キャンプ場駐車場(11:50)−矢研ノ滝(1210〜12:30、昼食)−駐車場(12:45) 空港へ向かう途中、御池から高千穂峰、更に霧島神社に参拝
               歩行時間:2時間35分 (休憩時間含まず)
 
 遠くから秀麗な山容が目を引く。名貫川には尾鈴山浪布群と呼ぶ多くの滝がかかり、国の名勝に指定されている。 宿を出て、登山口のキャンプ場駐車場に向かう。ここは矢研ノ滝見物の拠点である。ケヤキ谷橋を渡ると右手に駐車場があり、左の尾根は白滝方面の登山口になる。茶谷登山口を目指し、林道を直進する。当初、このキャンプ場の駐車場を利用にて林道を歩くつもりだったが、車でそのまま進む。道は次第に悪路となり、慎重にゆっくり進む。矢研ノ滝方面の林道分岐を右に分け、そのまま谷沿いに直進する。あたりの植林帯は、尾根筋に松、モミ、ツガ、ナラなどの樹林帯が広がっている。谷は二俣となり、左谷沿いの林道はヘアピン状に曲がっている。このあたり、比較的広そうなので道わきに車を駐車する。荒れた林道は、右下の谷を横切って右尾根端で終わる。尾鈴山の甘茶谷登山口になる。登山口からは、すぐに急登である。ジグザグに進み、しばらくで尾根上に出る。木の根が露出した急坂が続く。展望はなく、合目表示が次々に現れる。スズタケが目につく。自然林の雰囲気が何とも良い。しばらくで分岐を分け、しばらくで尾鈴山の山頂に到着する。登山道からの見通しは悪く、9合目でやっと海と町並みを見ることができた。山頂は、東西に細長く開けているが、周囲は樹林に囲まれ展望は望めない。しばらく休んだ後、縦走路を最初西に向かう。やがて山の稜線は南に方向を変える。広葉樹林、葉の落ちた明るい稜線である。見晴らしもそれなりで、海の青さが一段と冴える。鞍部に出るとヒメシャラやアヤビが目立つようになる。しばらくゆるい坂を登り、1338mのピークにでる。ツクシシャクナゲが多いと案内に書いてある。稜線歩きは快適で、大きな石も現れ、変化もある。コウヤマキも現われる。山頂から35分強で、長崎尾(矢筈岳)に達する。展望はないが、雰囲気の良い場所である。しばらく休み、さらに南に直進すると1354mピークに出る。ここから稜線を離れ、左手に尾根筋を下る。ツクシシャクナゲが多く、シカに遭遇する。一旦ピークに出て、急な下りを進み、しばらくで林道に出た。この林道を左手に取って元の駐車場所に戻った。途中、林道広場に出る。荒れた林道を慎重に車を進め、キャンプ場の駐車場で駐車する。滝百選に選ばれた矢研ノ滝を見学する。川沿いの道を20分ほど歩き到着する。なかなかに見事な滝でお昼休みを入れた。空港へ向かう途中、御池から高千穂峰を眺め、更に霧島神社に参拝した。

山頂手前から海と町並み
尾鈴山山頂 長崎尾

稜線からの風景 矢研ノ滝  御池から高千穂峰
 
霧島神社  、霧島神社  鹿児島空港から夕焼けの霧島連山

行程MAP(国土地理院の地図を引用) 


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作成日: 2016年2月28日