299)開聞岳 924m: 2002年8月3日 日本三百名山に戻る 開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定された 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名薩摩富士とも言う。所在地は鹿児島県指宿市。4,000年前頃活動を開始し、有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日(ユリウス暦874年3月25日)と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火を起こした。このとき、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩でできている。7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。橋牟礼川遺跡は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である。2000年12月12日から下旬にかけて、噴気が観測された。 登山コースであるが、らせん状の登山道が整備され、3時間程度で登山することができる。標高924mと日本百名山の中では例外的に低い山であるが(基準は1,500m以上とされた)、海抜0m付近からの登山となるため、登山の際の標高差は900m以上ある。独立峰であり、山頂部に近づくにつれて岩が露出するため、頂上からは北側に池田湖、南側に太平洋など360度の展望が得られる。 (ウイキペディアより) 西鹿児島駅(6:12、6:20JR)−山川駅(7:50、8:19バス)−開聞中学校前バス停(8:52)−1合目(中学校)4.1q地点(9:01)−登山口2合目3.5q地点(9:09)−7合目1.1q地点(9:56〜10:02)−開聞岳山頂(10:39〜11:20、食事)−7合目(11:51)−登山口2合目(12:30〜12:39)−1合目(12:49)−開聞中学校前(12:56、13:11バス)〜長崎鼻〜歩き〜フラワーパーク〜バス(15:29)−山川駅(15:48、16:04JR)−西鹿児島駅(17:15) 歩行時間:3時間7分(休憩時間56分含まず) 大分トキワ前から夜行バスで西鹿児島に入る。西鹿児島からのJRは山川駅止まり、開聞駅まではまだまだ先である。バスを利用し、開聞中学校前まで行く。バスからは開聞岳の秀麗な姿を見ることができる。バス停から歩きだ。整備された開聞山麓ふれあい公園を通り、登山口と書かれたところが2合目にあたる。登山道は樹林帯の中で、暑さはややましであるが、風は全くない。樹林帯はシダ植物も多く、南国の雰囲気が漂う。登山道は、火山礫で滑りやすく、ゆるやかな勾配の登りが続く。4合目あたりから、所々で階段があり、単調な登りの連続である。5合目で急な階段を登りきるとやっと眺望が開け、池田湖が望める。花などは乏しい。次第に登山道は岩が多くなり、歩き辛い。7合目からは山川町の市街や長崎鼻が垣間見える。7合目からは岩場で、急坂となる。仙人洞は、山伏の修行場として使われた洞窟で、登山で使ってきた杖を投げ入れ、安全を祈願すると言われている。しばらく行くといよいよ岩場になる。北の登山口から始まり、7合目で東、9合目で南となる。9合目から、切り立った岩場、急な階段が続く。ロープやハシゴもある。52mの案内板、枚聞神社奥宮御岳神社を過ぎ、樹木の中の岩場を登り切ると、山頂に着く。大きな岩がゴロゴロした山頂だが、見晴らしは抜群だ。北の池田湖、指宿の町、対面の半島、長崎鼻、錦江湾、桜島などである。山頂標識の脇には、『皇太子殿下登山御立所』が設置されている。下山は同じ道を下る。同じバス停から山川駅に向かうが、このバスは観光地をまわりながら戻る。長崎鼻でおり、フラワーパークで花を鑑賞した。規模も結構あり、楽しいひと時だった、 行程MAP (国土地理院の地図を引用) 日本三百名山に戻る 作成日: 2015年11月17日 |