88)妙義山 1104m: 2004年10月24日   日本三百名山に戻る
 妙義山(みょうぎさん)は、群馬県甘楽郡下仁田町・富岡市・安中市の境界に位置する日本三大奇景の一つとされる山である。いくつものピークから成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳(1,103.8m)で、また妙義山系全体の最高峰は裏妙義に聳える谷急山(1,162.1m)となっている。赤城山、榛名山と共に上毛三山の一つに数えられる妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称で、南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれている。特に下仁田側から眺望できる金洞山(1,094m)は別名中之嶽と呼ばれ、親しまれてきた。奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、中腹を巡る第1石門から第4石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・虚無僧岩といったユニークな名前の岩石群は日本屈指の山岳美と讃えられている。石門巡りコースは中之嶽神社が発着点となっている。妙義山東面中腹には、白雲山を御神体とする荘厳な妙義神社が建立されている。江戸時代には火伏せや雷除けの霊験があると信じられていた。白雲山の北東に妙義富士がある。妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ている。いまから300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動があり、南西側にある荒船山と同時期に形成した溶岩体である。その後周囲の柔らかい堆積層が浸食され溶岩の岩体が露出したと考えられている。この険しい岩峰の尖った荒々しい山容の奇観から日本三大奇景の一つに数えられており、また国の名勝に指定され、日本百景にも選定されている。表妙義縦走路は岩稜帯が連続し、こぶ岩・鷹戻し・奥の院の鎖場等で多数の死亡・重傷等遭難が繰り返し起こっている。山と高原地図では難路の登山道(初級・中級・上級の分類の中で分類外の最上級に分類)として記載されていて、妙義山登山まっぷでは上級登山道、国土地理院の地図には登山道として記載されていない。
(ウイキペディアより)

富岡駅(8:10)〜バス〜妙義神社前(8:51)−妙義神社(9:00)−大ノ字(9:20〜9:25)−第一見晴(10:00)−第二見晴(10:20)−あずま屋(10:55)−
大砲岩(11:16)−第四石門(11:25〜11:36)−石門入口(11:45)−一本杉(11:55)−妙義神社(12:45〜13:05、参拝と昼食、13:35バス)−富岡駅(14:18、14:23電車)               歩行時間:3時間48分 休憩時間36分程度含まず

 前日の23日は新潟県の中越地震が起こった日である。18:00頃、震源地を川口市とするM6.8、最大震度7とする強い地震であった。荒船山の登山を終え、下仁田駅から富岡駅で下車、駅前の老舗旅館に泊まった。当日は富岡のお祭りでなかなかに賑やかな雰囲気に包まれていた。お祭り見物から旅館に戻り、夕食前にお風呂に入った。その時に起こった。震源時間は17:56分だが、最大の揺れはその後の8:11、規模があまり変わらない揺れが8:34に起こっている。8:11の揺れはちょうど湯船に入っていた時で全く感じなかった。風呂からあがると、旅館は大騒ぎであった。その後の18:34に揺れを経験した。今までに味わった最大の揺れで、恐怖を感じた。こんな状況であったが、翌日は予定通り、妙義山に登った。さすがに離れていたせいか、道路や山は無傷であった。
 富岡駅からバスに乗り、妙義神社前で下車した。神社からスタートする。赤い鳥居をくぐり、石段を登ると本殿に出る。右は犬ノ字、左は中間道コースだ。勿論、連山の稜線を歩くわけにはいかないが、少しでも雰囲気を味わいたいと、大ノ字回りで行くことにする。杉林の暗い中を進み、クサリ場2ヵ所を過ぎると大ノ字の肩になる。頭には垂直に近いクサリを登る。岩峰は、関東平野、白雲山の荒々しい岩壁の眺望が得られる。対照的な眺めである。肩に戻り、奥ノ院の道を分け、左手に進む。クサリ場が出てくるがそれほど怖くはない。奇岩、奇観を楽しみながら尾根をたどる。足元は地位委が必要だ。中間道合流したところが第―見晴で岩棚になっている。中間道を、軽いアップダウンを繰り返し、大黒ノ滝を過ぎれば第2見晴で、20分ほどである。裏妙義の金洞山、その左手に金鶏山が迫力の山容で迫る。第二見晴らしから35分であずま屋に着く。コース半ばといったところだ。ここには下り道があるが直進する。岩場や鉄の階段がある道である。大砲岩からは荒船山が垣間見える。ここを過ぎるとしばらくで、大岩が門のようになった第四石門に着く。この広場でやや長めの休憩を取る。石門の広場から振り返ると、先の大砲岩がうまく石門におさまっている。第二石門を過ぎ、石門の入口に出る。車道を一本杉まで歩き、七曲りで一旦は車道を離れ、また車道に出て、妙義神社に戻った。参拝と昼食を取り、バスで富岡駅に戻った。荒船山と妙義山の2日間の遠征が終わった。

注:妙義神社(ウイキペディアより)
上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。近年は、たびたび大河ドラマのロケ地として使用されている。2005年の「義経」における鞍馬寺、2009年の「天地人」における雲洞庵のシーン撮影は、当社で行われた。創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わる。現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の改修によるものである。 古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある。妙義の名は、後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿が明々魏々たる奇勝から明魏と名付けたものがのちに妙義に改められたという。鎌倉時代の物語絵巻「地蔵菩薩霊験記」や社殿の彫刻、唐門、青銅大鳥居など重要文化財も多い。春には、樹齢200年のしだれ桜が咲く。、


表妙義(中心は相馬岳、右、天狗岳) 表妙義  金洞山
 
大砲岩が中に見える第四石門  奇岩と奇観  中間道にて

行程MAP

(国土地理院の地図を引用)
 
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作成日: 2016年1月11日