92)武甲山 1304m: 2004年7月3日   日本三百名山に戻る
 武甲山(ぶこうざん・ぶこうさん)は、埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山である。秩父盆地の南側にあり、標高は1,304メートル。日本二百名山の一つに数えられる。秩父地方の総社である秩父神社の神奈備山である。別名を秩父嶽、妙見山、武光山ともいう。武甲山は北側斜面が石灰岩質であり、石灰岩の採掘が行われている。南方にあった火山島が活動を終え、浸食によって削られサンゴ礁を纏うようになる。サンゴによってできた石灰岩を載せた海山は、プレートの動きにより北上し、深い海溝に引きずり込まれる。そして大陸プレートに押しつけられはがれ落ち、やがて隆起し浸食されることで地表に現れた山が武甲山である。山名の由来日本武尊が、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝説が元禄時代の頃から定着した。自然石灰岩質の山特有の山野草が豊富である。後述の石灰岩採掘により、北側斜面は植生がほとんど見られず、北から見ると白っぽく見えるが、他方向の斜面は自然豊かな森林となっている。山にはスカシユリや、石灰岩地の武甲山特有で、埼玉県希少動植物種に指定されるチチブイワザクラが見られる。また、伏流水は平成の名水百選に選定された。
登山ルートは、以下 3ルートが中心である。@横瀬駅〜生川〜武甲山表参道と呼ばれるルート:横瀬駅から登山口の生川(うぶがわ)までの道はバス便はなく、徒歩か自動車に限られる。鉱石運搬のダンプカーが頻繁に通行しているので、十分注意が必要である。西武秩父駅・秩父駅からタクシーを利用する方法もある。A浦山口駅〜橋立〜武甲山ルート:浦山口駅から秩父札所28番橋立堂・橋立鍾乳洞の前を通り頂上に至るルートである。Bその他:武甲山からは大持山・武川岳方面へ縦走することができる。
注:武甲山御嶽神社
 横瀬町(当時は横瀬村)の村社、旧武甲山蔵王権現社である、明治の神仏分離令および一村一社令の時に横瀬村の50余りの神社を習合し武甲山御嶽神社となる。現在残存する同町内の神社は有志が事前に遷座し保存したものである。山頂にはほかに鎌倉時代に建立された熊野権現社などが存在した。石灰岩の採掘により旧山頂にあった縄文時代から近代までにいたる歴史のあった信仰遺跡、巨岩群は完全に消滅しており、現在の社殿は頂上付近から移転されたものである。
(ウイキペディアより)
今回の登山は、上のAのルートの西武秩父線浦山口駅から出発して、武甲山山頂を目指し、@のルートで下山、横瀬駅まで歩いた。この山は今でも石灰岩の採掘がおこなわれ、痛々しい山肌をさらしている。かって、伊吹山もこのような状態であったが今ではやめている。何十年も立っているが、削られた山容は元には戻らない。

西武池袋駅(8:06)−急行三ッ峰口行−秩父(9:45)−浦山口駅(9:59、10:03出発)−鍾乳洞28札(10:08)−橋上登山口(10:41)−山つづら折り(10:48)−稜線(11:02)−長者屋敷の頭(11:18〜11:23)−武甲山山頂(11:48〜12:01、昼食)−生川(12:45)−横線駅(13:38、14:08発)〜飯能乗り換え(14:59)〜池袋(15:58)    歩行時間:3時間23分   休憩時間: 18分
  
 西武鉄道を乗り継ぎ、浦山口でおりる。案内に従い進む。鍾乳洞を過ぎ、橋立寺を通過する。橋立川のそばの林道を更に歩き、登山口表示から入る。つづら折りの道をしばらく行く。杉林の中の急な道を20分も歩くと稜線に出る。尾根筋をしばらく行くと、長者屋敷の頭でここで小休止する。また急な道になるが、25分ほどで分岐に着く。帰り道は直進、右手は大持山へ、左手が山頂である。左手にとるが、御岳神社はすぐにある。木々に囲まれ、武甲山の頂上はこの神社になる。裏手に展望台がある。左手を回り、岩肌を左に行けと第1展望台、右に行けと第2展望台に行ける。秩父盆地、西上州の展望が楽しめる。第一展望台からの奥武蔵の山々もなかなかである。展望を楽しみながらさっさと昼食をすまし、元の分岐に戻る。しばらくは急な道を下るが、展望が開ける。南に子持山、大持山、南東に武川岳、奥武蔵のおだやかな山稜が目に入る。山腹を右回りにゆるく歩くが、杉林で視界はない。杉急な坂で一気に下りる。杉の大木のある広場、32丁目表示がある。つづら折りになり、杉林は続く。不動の滝の18丁目、更に下ると車道に出る。この車道のところが15丁目表示になっている。しばらく車道を行き、また登山道に入る。渓流沿いの道を下れば登山口の生川、渓流釣り場、休憩の東屋、窯業場がある。最後に橋を渡れば、1丁目に着く。林道脇に鳥居が立っている。ここからは車道歩きだ。長い単調な歩きである。急ぎ足、53分で横瀬駅に着いた。途中、石灰岩の処理場もあり、痛々しく削られた山腹が見える。。
 この武甲山、石灰岩の採掘がすすみ、標高も下がってしまったそうだが、以前は頂上にも石灰岩の大きな岩がゴロゴロした良い山だったそうだ。とはいえ、秩父のシンボル的存在であることには変わりない。      

 
奥武蔵の山々  痛々しい武甲山の山容  山頂

行程MAP

(国土地理院の地図を引用)
 
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作成日: 2016年1月11日