18)太神山 関西百名山 600m : 1997年3月9日  関西百名山に戻る

太神山は標高600m、大津市の南端から瀬田川支流の天神川上流にかけてそびえる田上山系の主峰である。風化した花崗岩が露出し、その特異な山容から湖南アルプスと呼ばれている。 荒れた山肌は、古く都造営や東大寺建立の用材に、また信楽焼の燃料として山林が乱伐されたためと言われている。山頂の田上不動寺は平安初期、円珍か創建した山岳信仰の霊場である。 古くからの参詣道が東海自然歩道や大津市歴史の道として整備されている。この田上高原一帯の山々を総称して湖南アルプスと呼ばれているが、ヒメコマツガ群生する矢筈ガ岳や、白山権現を祀る雨乞いの山である笹間ガ岳など、500m級の山が含まれる。

自宅−アルプス登山口(9:30)−富川道分岐−迎不動(10:00)−泣不動(10:55)−矢筈ヶ岳方面分岐−不動寺(11:15)−太神山(11:20〜11:30)−不動寺(11:35〜12:45)−矢筈ヶ岳方面分岐 − 矢筈ヶ岳(13:50〜14:10)−分岐−迎不動 −アルプス登山口

 アルプス登山口にある駐車場に車を止め、歩き姶める。まもなく天神川の渓谷の水音が聞こえてくる。舗装された道は、不動寺の参道で、太神山の山頂まで、東海自然歩道である。橋を渡り、砂利道の林道へ入る。入り口近くにトイレが設置されている。すぐに砂防ダムが現れ、広い砂地の河原がある。少し歩くと、笹間ヶ岳や矢筈ヶ岳への分岐(富川道)がある。直進する。緩やかな道を川沿いに進む。30分ほどで迎不動に着く。ここは鎧ダム方面への分岐で、トイレ、「湖南アルプス案内図」の看板がある。天神川を渡ると地蔵尊が見え、左に車両通行止のゲートが現れる。ゲートを通り抜けて進むと、坂道の急力−ブを曲がる辺りから展望が開ける。砂防ダムと先に山々が望める。まもなく、田上不動寺への分岐に出る。車道と別れ、右に折れる。坂道から平らな道に変わるが、やがて不動僑を渡ると林道は七曲りにさしかかる、曲がりくねった道は風化した花崗岩が露出し、足場の悪い急登となる。ゆっくりと進む。しだいに展望が開け、振り返ると石山の町が見渡せる。コース中の最も眺めのよい所だ。急な坂を過ぎ、曲がりくねった緩やかな林道になる。東海自然歩道で整備も行き届いている。岩が突き出たごつごつした山肌の尾根や赤茶けた山腹のガレ場などを眺めながら進む。お堂を過ぎると泣不動に着く。不動尊が彫ってある。矢筈ヶ岳方面分岐を過ぎ、樹林の中を進むと二尊門が立っている。ここからが田上不動寺の境内となる。杉林の道が続き、六地蔵の横で信楽方面から登ってくる東海自然歩道と出会う。まっすぐ行くと、まもなく田上不動寺に出る。不動追分を曲がると寺務所で、奥の長い階段を上がって、本堂に出る。本堂は南北朝期の再建で舞台造、背後の岩壁に寄りかかるように巨大な花崗岩の上に立っている本堂の向かい側、2等三角点の置かれたピークが頂上になるが、杉木立にさえぎられ、わずかに琵琶湖と比叡山が確認できるだけだ。不動寺に戻り、ここで昼食とする。タップリと時間を取り、戻りにかかる。時間もあり、矢筈ヶ岳方面分岐から矢筈ヶ岳に向かう。土手を乗り越え、進む。下草、木立、ややわかりにくい道となる。やがて、直下の出合峠に出る。ここからわずかの急登で山頂である。「矢筈」とは、矢の端の弓の弦をつがえる所のことだ。山頂からは大石や宇治田原方面の山々が望める 再び出合峠から分岐に戻り、元来た道を駐車場まで戻った。

 
七曲りの岩肌 太神山山頂 帰りに立ち寄った矢筈ヶ岳

ルートマップ


(国土地理院の地図を引用)

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作成日: 2016年5月31日