北の道31 Sobrado − アルスア


6月16日(木)ソブラドの私営アルベルゲ。朝早い内は雨が降っていたので、今日もまた雨の中かと諦める。雨の中では食べるところなんかないので、手持ちの食料を少し食べておく。
 雨支度をして7:45に出発。たいした降りではないが寒いので合羽は着たまま歩き続ける。町から離れたら大きな修道院が遠くに見えている。大きくて古くて貫禄があるので、なかなかの威容だ。



 黄色い矢印を追いながら田舎道になってくると、前を傘を持った小柄な男性ペリグリノが歩いている。欧米人にしては背が低いなと思いながら並んだときに挨拶したら、ななな何と、1ヶ月近くも前に行方知れずと騒がれていたイタリアのセルジオじゃないか!もうビックリ。人の名前は覚えるのが苦手だが、このときは偶然セルジオの名前がポッと浮かんだので、「セルジオーッ」と呼びかける。セルジオは勿論私の名前なんて覚えちゃいなかったが、顔は良く覚えていてくれたので、向こうも突然の再会にとても喜んでいる。セルジオはイタリア語しか喋らないし私はイタリア語は単語を5つ位しか知らないのでコミュニケーションの仕様がないが、気持ちだけは通じるので互いに再会を喜び合う。こちらがセルジオの相棒のレンソの名前を連呼するので、そこんとこも何となく通じているようだ。セルジオは一人で歩いていたので、やっぱりレンソとは合流できなかったのが分かったが、レンソとは携帯で連絡が取れていて、数日前にコンポステラに到着したと言っているようだ。きっとセルジオが到着するのをコンポステラで待っているんだろうと想像する。互いに写真を撮り合って先を行く。想像だにしなかったセルジオとの再会に心がほっこりする。

 舗装路を歩いていると、ずっと先の方に大きなポンチョを身に纏ったソロのご夫人ペリグリノが立っていてこちらをずっと見ている。近づいて行くと、どうも他のペリグリノがやって来るのを待っていたようだ。そこから横に巡礼路が伸びていて、見ると真っ暗で泥道の怖ーい道だ。このまま安全な舗装路を行こうかどうしようかと迷っていたらしい。やっぱり女性のソロだとこういう道は怖いよなーと思わせる典型的な道だ。あなたはどっちに行くのと言っているので、私はカミーノを行くと巡礼路を指すと、婦人も決心したようで一緒に歩き出した。入り口こそ真っ暗けだったが、少し歩くと天井が開けて普通の山道になった。この人はドイツ語しか喋らないが何となく言っていることは伝わってくるのが面白い。暫くのあいだ一緒に歩き、村のカフェで小休止したあと私が先に出発する。

 また雨が降ってきた。カフェの中にいる間にセルジオが抜いて行ったが、また私が追いついたところでセルジオのでっかい傘姿が面白いので写真に撮る。セルジオもまたこちらを撮っている。1ヶ月近く前と同じ、ソニーの一眼レフを小脇に抱えているので素晴らしい写真をいっぱい撮ったことだろう。。傘は非常に重要だというようなことをイタリア語で言っているのでお気に入りのようだ。歩くのが遅いので、私との差はみるみる開いて行く。


 雨が上がった舗装路を延々と歩き続ける。この辺りは作物を害獣から守るためか、頻繁にドカンドカンとやかましい音を発している。町の中に入ってしまうと道端で何か食べるのも自由にできないから、フランス人の道と合流するアルスアの手前でビスケットなどを食べて休んでおく。そこを過ぎて暫く歩くと人家が増えだしてきてアルスアが近いのが分かる。そしてとうとう昨年歩いたアルスアの町にやって来た。町の地図はざっと頭の中に入れといたので、すぐどこにいるのかが分かった。

 交差点を越えて右に行けば昨年泊まった公営アルベルゲがある筈だ。行って見ると、入り口にはもう何人ものペリグリノが列を作ってアルベルゲが開くのを待っていた。うへー、いきなりこれかよと少々うんざり。ベッドにあぶれないように私も列に加わって座っていると、前を東洋人が歩いてきた。あ、日本人ですよねと声を掛ける。北の道では40日近く一度も日本人に会わなかったのに、さすがフランス人の道、合流した途端にいきなり日本人と出会えた。久しぶりに日本語で話せたので嬉しい。このソロの女性はフランスのサンジャンをスタートしたそうなので、私が昨年歩いたのと同じ道を歩いてきたのが分かった。私は北の道と言うのを歩いてきましたと言ったら「あー、北の道はここで合流するんですか」と知っていた。北の道がハードなのも知っていたのでちょっと嬉しかった。サンジャンからだとここまで750kmくらいだろうか、コンポステラ手前114kmの町サリアからどっと巡礼が増えて、みんな綺麗な靴を履いていましたと言っていて、お互いの泥に染まった靴を見せ合って笑う。彼女はここには泊まらずにもっと先の町を目指すそうだ。私は懐かしいフランス人の道(たった1年前だけど)に点在している昨年と同じアルベルゲをのんびり泊まり歩く計画だ。

 時間が来たので受付が開始される。6ユーロ。ここは昨年同様、早いもの勝ちでベッドを決めるのじゃなくて受付で割り振られる方式だ。ベッドはAの23、昨年同様下段ベッドなのでご機嫌だ。私の上にはアメリカ青年がやって来た。大学がどうのと言っているので、学生?と聞いたらプロフェッサーだって。ずいぶん坊っちゃん顔したプロフェッサーだなー。ここのシャワーは男女別でどちらも2つしか無い。受付した人は一斉にシャワーを浴びだすので少し空いてから浴びることにして昨年も買い物したスーパーへまず行くことにする。アルベルゲを出たら向こうからマルテンがやって来た。途中のネットカフェで遊んでいたらしい。相変わらずだなーマルテン、大丈夫か!?

 色々買って5.81ユーロ。帰ってくる途中、ビールを買い忘れたことに気づくが、一旦アルベルゲに荷物を置きに戻ってから出直す。今度は別のスーパーへ行ってみる。ビールだけじゃ何なんで、カットスイカも買う。両方で2ユーロちょっと。日本の半額以下だろう。買い物で8ユーロも使ったが、今日は宿泊代6ユーロなので合計14ユーロしか使わなかった。飲んで食べて泊まって、たったの1600円だ。1年の半分は物価の安いスペインで暮らしたいがシェンゲン協定があるので半年間に90日しかいられない。それ以上いたいならビザ取得が必要だろうか。協定破りをすると10年間はEU内に入れないそうだから、これは私に取って生きがいが無くなってしまうから絶対に守らなくてはならない。

 昨年、アルベルゲが開くまでビールを飲みながら待っていた通りの公園に行ってみる。当時はベンチに座って飲んだだけだが、改めて公園内を歩いてみると、モニュメントも幾つか設置してあり深い意味がありそうな公園だったのが分かった。次に来ることがあったら、スペイン語で書かれた意味ぐらい分かるようになっていたいが、まず無理だろう。



 
ここのキッチンには調理道具も食器も一切置いてないので、広い食堂を使う人が殆どいない。長いテーブルを独占して買ってきた食糧を広げ、のんびりと一人宴会を始める。1リットルビールにヨーグルト、カット野菜には今日もインスタント玉ねぎスープの素を振りかけて味付けをする。手に持ったときはまだ暖かかった焼きたてパンにチーズ・ハム・野菜を挟んで特製ボカディージョの出来上がり。食後のスイカを食べるために小さなナイフを工夫してカットする。

 マルテンは私営にチェックインしたらしく、このアルベルゲでは見当たらなかった。マルテン、洗濯機命だからなー。夕方から雨が降ってきたので外に干しておいた洗濯物は階段の手すりに干しておく。そしたら他の人も真似しだした。


北の道32につづく