Ingles4 婆ちゃんのお年 Presed 7/24 Miñoのアルベルゲ、6時前に起床。キッチンに下りてスープを作りパンを浮かべる。外は真っ暗闇なのに表のドアを叩く音がしたので一緒にキッチンに居たロン毛の男が開けてやると女性がサッと入ってきた。どうやら昨夜の内にアルベルゲまでやって来たが、既に扉はロックされていたので外の玄関で寝ていたらしい。ここはベッドルームが2階なので少しくらいドアを叩いたんじゃ聞こえないのだよ。入るとすぐに2階のベッドルームへ上がって行った。こんな人初めて見た。 婆ちゃんと息子(か孫)は立ったままバナナを食べると真っ暗な中をすぐ出発していった。歩くのが遅い分を出発を早くすることで我々と同じアルベルゲを目指すのだろう。イギリス人の道は手ごろな距離にアルベルゲがポツンとあるだけなので、今日は疲れたからここでいいやと言う訳にはいかない。婆ちゃんは昨日、バックパックはお供が担いでいたが、今日は自分で背負っていたので調子が戻ったようだ。本当にそうなら私も嬉しいよ(チビまる子風)。 キッチンからベッドへ戻ると私の上段に先ほど外から入ってきた女性が寝ていた。上段ベッドの柵に引っ掛けておいたスーパーの袋を取るときにガサッと音がしたら女性がビクッとして起きてしまった。やっぱり外で寝ていたので緊張が解けないのかも知れない。悪いことしたな。 町はずれには線路をまたぐ陸橋があった。またぐと言うか、線路は一段下がった所に敷いてあるようだ。下を覗くとすぐそこに駅がある。この駅は陸橋から出入りするしかないようなので、珍しい造りなんだな。こっちに来るための長い階段が設置してあり、直接来られる階段状のものと車いすでも上がれる傾斜の緩いスロープ状の二つが丁寧に設置してあった。ずいぶんと古いスロープに見えるが、そんな昔から体の不自由な人に気遣いしてるスペインを少し見直した。後から出発したロン毛のおっさんが追い付いてきた。相変わらず愛想がないな。荷物が小さいから歩くのが早く、さっさと先へ行ってしまった。 7時半に出発して2時間で休憩中の婆ちゃん達に追いついた。一言二言言葉を交わして追い抜き、ベタンソス手前のベンチで休んでいたら、今度は婆ちゃんたちが追いついてきたので一緒に写真を撮ってみる。婆ちゃんは初日に見かけた時から体を左右に振って大変そう。そのせいか何時見てもバックパックは傾いて背負っている。でも3日目の今日も頑張って歩いているので、婆ちゃんをこれほど突き動かす信仰の力を感じた。これぞ本物の巡礼者だろう、遊び半分で歩いている自分が恥ずかしいよう(うそ)。 街への入口が、まるで長屋門みたいな所を抜けてBetanzosの街へ入場。町全体が砦のようだ。この町も急坂の町で、スリップしながら車が登って行きそう。婆ちゃんは坂の途中にあった薬屋に入ってったので、何か買うようだ。湿布薬かな? 7月25日のサンチャゴの祝日が近いので、広場ではそれ用の大きな舞台を作っているようだ。後でカレンダーを見て気がついたが、サンチャゴの祝日はスペインでは休日になっていたので驚いた。さすがキリスト教国スペイン。じゃぁ当然クリスマスも休日かな?こっちは確認するの忘れたけど、次にカレンダーを見かけたら12月のをめくってみよう。ちなみに日本ならどこでも目にするカレンダーだが、ここスペインでは滅多なことではお目にかかれない。これはきっと国民性が関係してると想像する。 この町にはスーパーGadisがあることをマップで確認しといたので、巡礼路を少し外れてお買い物。次のアルベルゲには周りに店がないことを調査済みだから、ここでの食糧調達は重要だ。1リットルのオレンジジュース100%と細かいパンみたいの1袋に330mlの飲むヨーグルトを買っても2ユーロ程とバカ安。これらは明日の朝飯用で今日の分はバルで食べる予定。スーパーから巡礼路に戻って進んで行くと次の分岐に矢印がなくて判断に困る。立ち止まって手製の地図を見ながら考えていると地元の婦人が声を掛けてくれる。この人の英語は淀みなくスラスラと出てきて日本人にもとても聞き取りやすかった。ムチャグラシアス親切なセニョーラ。 Presed村が近くなってきたところにバルがあったのでビールを1杯飲んでみる。今日の村には店がないのが分かっているので、どうせ安いビールは飲めないからどこで飲んでも同じだ。バルには親子らしい二人の巡礼が休んでいた。初めて見る顔だった。 Presedのアルベルゲに2時過ぎに到着。いつも予測より1時間以上遅れている。時速4キロの計算では山の中では早すぎるらしい。傾斜にもよるけど山の中は時速3.5キロの心づもりにしておこう。ロンゲのおっさんが既にベッドの上で上半身裸になって寛いでいた。愛想のない人だけど、昨日は電子レンジの扉が開かないで苦戦していたら方法を教えてくれてたな。天井を押さえながら開けるボタンを押すので、幾らか歪んでいるようだった。他にも先着がいて、昨日も挨拶したスペインのセニョーラ二人組。一人はイタリア語を自由に話せて英語も少し話せるようだ。シャワー、洗濯して表に干したら楽しみにしていたレストランへ。スーパーなどがある所では必ず食料を仕入れて食事は安く上げているが、ないところではバルやレストランで食べる以外ない。仕方なくではあるが、こういうのは楽しみでもある。明日も同じ状況が続く。 Presedにはアルベルゲから400m離れた所にレストランが一軒だけある。1皿目はロシアンサラダ(日本のポテトサラダと同じ)、2皿目はチキンでパンとワインが付く。赤ワインを飲んだら旨すぎるので、昨年ここで出されたワインが絶品なのを思いだした。まるでVino de Misaみたいな後味があるのだ(と言っても殆どの人は知らないワインですよね。通販でも買える筈。1本1,400円)。うんまーい、けど半ボトル。残念~。他にガス入りの水が1本付いてきたので持ち帰る。デザートには青りんごが1個ゴロンと出て来たので明日の行動食用にこれも持ち帰る。 婆ちゃん親子も無事に到着して私の隣のベッドに落ち着いた。誕生日が書かれているクレデンシャルを見せっこしたことから年齢が分かり、1950年4月生まれなので、なんと私と2ケ月違いだった。少なくとも5歳は上かと思ってたよ。婆ちゃんは私が同い年と分かり嬉しそうだ。じゃぁ連れは孫じゃなく息子だな。足を痛そうにさすっているので痛み止めをやろうとしたら、自分でもいっぱい持っていると見せてくれる。イタリア語で「同じ年だから」と言って笑っているのでイタリア流のユーモアらしい。イタリア語は分からなくても何となくそれは分かった。携帯で盛んにイタリア語で喋っている。きっとイタリアの友達に巡礼話をしているんだろう。この人としたらきっと生まれて初めての大冒険をしてるのかも知れない。サポートしてくれる孝行息子がいて良かったね。 7時20にやっとオスピタレロがやって来てチェックインが始まる。見た目が胡散臭い若者だったので、ちょっと怪訝だったが本物のオスピタレロらしい。ロンゲの男がなにやら面倒なことを尋ねているようだが、これは後になってバックパックの配送サービスを尋ねていたことが判明する。この男は頑丈そうに見えるが毎日バックパックは送ってしまっているようだ。それで軽装なんか。 夕方になって私とロンゲ以外は夕飯を食べにレストランに行ってしまった。二人だけになったからなのか、ロンゲが珍しく話しかけてきた。ノルテ!?とか言うだけで後は黙っているので片言どころではないらしい。「ハーフ、トゥモロー」とかも言ってるが何のことやらさっぱり分からないでいたら、その内諦めてしまった。これだけ喋れないから寡黙を通してるんかな。言葉は大事だけどフレンドリーな気持ちがあるなら言葉は超えてしまうんだがな。 イギリス人の道5へつづく |