01, 今日から銀の道 Merida から Carrascalejoへ

4月26日(金) メリダからEl Carrascalejoへの14km、楽勝のコース。
メリダのアルベルゲ、出発前にポーランドの3人組が朝からロザリオを一緒にやりましょうだって。嫌とも言えないのでアルベルゲの玄関前で先輩交えて5人でやりました。先輩はロザリオ初体験だったので良い経験になったでしょうか?この3人組は毎朝やってるのかな?ポーランドはローマ教皇を排出したほどのカトリック国なので、きっと巡礼も真面目なんでしょう。ポーランドからの巡礼はとても多いです。8時に出発、今回で一番遅い出発かな?メリダでは連泊したし、距離は短いし、さすがに楽に歩けました。


写真は奇跡の水道橋。7年前にここを歩いたときは、水道橋は遠くに見えただけだったけど、今回のカミーノは水道橋のすぐ近くを通っていたので少し巡礼路の変更があったようだ。朝焼けがバックで更に綺麗さ五割増し。
奇跡の水道橋と言うネーミングは、現代人が勝手に付けたんじゃなくて当時の人がそう呼んだからだそうです。理由は忘れましたがウィキペディアで調べることができます。


次はローマ時代の人造湖。水道橋からはもっと近いと記憶していたが、すごく遠くて途中で小休止兼ねて行動食を食べたほど。凄いねローマ人の土木技術、日本じゃ土でお皿を作って喜んでた時代でしょうか?


人造湖を過ぎるとポーランドチームが目に入る。私が追いつけるんじゃ歩くのが鈍いようだ。前を歩くのが夫婦で、旦那はGパンで奥さんはリゾートファッション。後に続くギエネクも一般的な巡礼の装備とは違って、家にあったあり合わせの道具をかき集めて出かけてきたようなスタイルだ。三人ともリュックを背負ってなければ誰も巡礼とは分からない。歩く速度をゆるめて暫く後を着いていくと(その方が楽しいから)、立ち止まって協議を始めた。どうやらこの道で合っているか不安になったようだ。私がタブレットのGPSで、あと少しで左に曲がる道が出るよと教えると、すぐその通りになったので、前を歩いていた奥さんが手を振って分岐があったことを教えてくれた。この三人は私が泊まるアルベルゲより一歩進んだ私営アルベルゲを予約してあるらしい。


Carrascalejo村へは以前は主要道路を歩いて到着したと思っていたけど、今回はずっと山の中を歩いてきた。ここでもカミーノは変更になったようだ。あちこちの同じ道を何度も歩いている私が考えるに、カミーノって中世の頃からずっと伝統に則ったカミーノではないんだよね。地元のサンチャゴ友の会辺りがもっとカミーノらしい脇道や安全に歩ける道を探しては変更にしてるんじゃないのかね?そう思えるカミーノがあちこちにあるので、きっとそうだ。道標に黄色い四角の板が張り付いてますが、あれはカミーノの印です。青いのと黄色い板が両方付いてるのはローマ時代の道と現代のカミーノが同じと言うことで、青だけだとローマ時代の道でカミーノではない印になります。つまりカミーノを外れてるってことと思う。


先輩が前を歩いていた筈だが、私が一番乗りだった。 このアルベルゲは公営だが以前とは違って本格的なレストランも経営していた。ビール大ジョッキとつまみの小皿で2.5ユーロと格安。円安の今でもこの値段は涙ものだ。暫く後から先輩とドイツの変わり者ステファンが到着。どうやらカミーノを見失ったために遅くなったらしい。部屋にはこの3人に加え、初のウクライナ巡礼に出会った。ウクライナ人って自由に海外に出られたんだ!?働き盛りの男性だったけど、兵隊に行かなくていいの?プーチンぶっ殺せで話が合いました。

昼夜兼ねての食事は先輩とレストランで定食10ユーロ。後から追加したビールは料金に入ってなかったのでサービスだったのかな?藪蛇になるので聞かないでおこう。

このアルベルゲにベッドルームは2つあって、今日泊まる全員が同じ部屋になりました。私と先輩とステファンにウクライナ人の4人部屋。もうひとつの方には何故か地元の人が数人入っているようです。アルベルゲを空けとくのが勿体ないので空き部屋を活用してるのだろな。

今日の歩数 歩数計止め忘れたので不明

02,El CarrascalejoからAlcuéscar へつづく