12 Gerekizからララベツ フルでも受け入れるアルベルゲ 5/26(月) 昨日の夕食は今までで最高でした。最初こそ地味なスープで始まりましたが、次のサラダは全員で食べきれない量で出てきました。肉も食べられる人は幾らでも食べて良いらしい出し方。ワインも飲み放題。圧巻はデザートの果物の量が凄かった。大粒イチゴ、マスカットとほかのブドウ、メロン、スイカなどが大皿に山盛りです。私は滅多に食べられない高級果物なので欲を発揮して詰め込みました。腹いっぱい。 そうそう、中国人巡礼と久し振りに会いました。カトリックが弾圧されてる中国から良く出られたねと質問したいけど言わぬが華だよね。浅黒くいかにも中国の寒村から出てきたような見た目なので、どういう背景があるのか興味を持ったが、これも聞かぬが華なので止めときました。 豪華な夕食に反して今朝のごはんは大したことなかった。バゲットのトースト2、カステラ大、コーヒーは牛乳多め、オレンジジュース、市販のヨーグルトなど。これで5ユーロは高過ぎだけど、昨晩の豪華な夕飯を考えれば行って来いか。 ![]() 7:50 出発。凄い空模様で霧雨になったがこれ以上強くなることはなかった。ララベツ迄11キロだが1割は酷い山道で泥んこ沼を越えるときはハマらないように真剣。途中でバナナ休憩。 山を下りた村はまだララベツではなかった。そこが9年前に長いことカミーノを見失って合流できた三叉路と分かる。ここはまだララベツの手前だったのかと驚く。村からララベツ迄は1.5km。やがて懐かしいララベツ到着。6年前はあそこのカーブでイタリア人のヒッピーがカミーノを教えてくれたんだと回想する。 ![]() 街の中に入って来ると記憶が錯綜してアルベルゲがすぐ分からなかったが建物は覚えてたのでやがて見つける。入り口前に女子巡礼がいて指で3を作りオープン時間を教えてくれる。韓国かと思ってアンニョンハセヨと言って見たが首を傾げている。台湾だったので、いつものように「台湾 ジャパン フレンドリー」と言うと通じてるようだ。女子がアルベルゲがある3階に行ったので自分もそこで待とう。今日の悪路で怪我した血の付いた足を見せると塗り薬をくれたのですりこんでみる。 この子はでっかいタブレットを持っており、互いの音声で翻訳できるのでストレスなく会話できる。この4月には桜を見に日本に行ったそうで、桜を見に行くだけで30回は訪日してると言ったのでビックリ。台湾人には桜はとても特別だが日本人は見慣れてるのでそうでもないのか?と驚いている。こっちこそ台湾では桜が特別だなんてビックリだよ。 チェックイン前でもトイレは使えたので靴下と軍手を温水で洗濯。上手いことに物干し台もフロアにあるので干しておける。靴が泥まみれなので外で落としているとネストル到着。3階へ案内する。まだ1時前なので三人で2時間待ってチェックイン。この時に買い物すべきだったと後で気付く(シエスタめ)。 ![]() ネストルは行程を私と合わせてくれてるようで、明日のビルバオの同じホステルを探してる。ビルバオは1か2か?と聞くので1だ、次ぐ日はポルトガレテだと答えるとポルトガレテの私営アルベルゲを探し出した。ポルトガレテの後まで聞くのでポベーニャだと答える。ポベーニャは公営なので探す必要がない。 ![]() 3日前からの知り合い夫婦は明日の飛行機でマヨルカまで帰ってしまうそうなので記念写真を撮ってみる。すんごい目力の親父なので、それを撮りたかったがカメラを向けると調子づいてチューし出したので期待に応えてパチリ。本当に素人の顔じゃなくて893の親分みたいな顔してるんですよ。余りの人相なので初めは警戒してたけど慣れると割りと良い奴だった。 ![]() 今日は軽い朝飯食べて途中でバナナ1本のみなので腹ペコだけど店はシエスタで買えないし、タベルナで夕飯出すのは8時、じっと待つしかないです。それなんでシエスタが終わるのを待って買ってきた食材で夕飯。同じテーブルでは若者男女4人がトランプに興じてる隣でビールをごくごく。右の丸いのはトルティージャでジャガイモと玉子の焼き餅みたいなものでスペインではメジャーです。ジャガイモなので腹もちが良いです。葉っぱ塩だけで食べます。 ララベツの数キロ先にはレサマの公営アルベルゲがあるが、オープンは来月なのを皆分かっているようで、このララベツに後から後から巡礼が押し寄せてきます。ベッドがいっぱいになるとエレベーターホールに二人、チェックインカウンターの前にも二人、とうとう私が寝ているベッドの隙間にもマットレスが敷かれました。どこでも良いから寝かせて貰えるのは誰でも有難いことと思います。 13 ララベツからビルバオ これが有名なベッドバグ!へ続く |