25 San VicenteからPendueles 9年前のカードがあった!![]() 6/8(日) 6時に起きてベッドルームから食堂に全ての荷物を運んでからゆっくりとパッキング。みんなが寝ているベッドルームではガサゴソ出来ません。独りで食堂を自由に使えるので何となく気分が良い朝です。他の人も6時半を回るとパラパラとやって来てパッキングを始めたので一気に食堂が活気づいてきました。 7時からは朝食タイム。沢山の巡礼が朝食券片手に並びました。係のお兄ちゃんがキッチンの奥にある食糧倉庫の前で朝食券と引き換えにお盆に乗った朝食セットを配っていました。朝食券を忘れた巡礼がそれを見て、アッと気づいてベッドルームに朝食券を取りに行く光景は見ていて楽しいものがありました。笑 メニューはどこでも似たようなもので、お盆の上には一人2枚のバゲットパンにヨーグルト。コーヒーやコーンフレークは最初から食堂に有りますが野菜やたんぱく質は有りません。日本の旅館で頂く朝食メニューは豪華だと思いだしました。 ![]() 7:50 出発。長距離なのでショートカットできる所は少しでも楽できるようにします。9年前にスペイン人から教わった川の反対側を歩くルート。これひとつで相当な省エネが出来ます。橋の上からは泊まったホステルが見えます。ホステルは1階の一部だけで棟続きの他の建物は修道院だったかな。安価で泊まれるホステルだけど、立地としたらサンビセンテでピカ壱と思います。 ![]() 省エネルートはカミーノではないので矢印や案内板などは一切出てきません。前にこのルートを歩いた時は、それでも数人の巡礼が歩いていたけど今回は誰も見なかった。 途中の町Colombresで公園の並木道に手頃なベンチがあったので靴に靴下まで脱いでお昼の真似事。3日持ち歩いている塗るチーズをバゲットパンにたっぷり挟んで飲み物はやはり昨日から持ち歩いているリンゴジュース1リットルパック。これ持ってるとバルに入らなくても休憩と食事(の真似事)が出来るので経済的。町はこれからフィエスタが始まる所で民族楽器のガイタを持った一団が出番を待ってました。6年前は隣町のブスチオに泊まりましたが今年は閉鎖のようです。お婆ちゃん二人で運営していたアルベルゲなので続けるのは無理だったのかな? ![]() ブスチオ町のここから急坂が始まります。1キロ2キロくらいはあると思う急坂が続き、後ろからやって来た婦人巡礼も私と同じように狭い道幅をいっぱいに使ってジグザグ歩行で上っています。 ![]() 次の町で先輩が追い付いてきました。健脚の先輩と一緒には歩けないので先に歩いてもらい、後を追いかける形で付いて行きます。山の中で先輩と他の数人が固まっているので、どうしたんだろうと近づくとチャリ巡礼が悪路にタイヤを取られて転んだようです。まぁ擦り傷程度で済んだようなので一声掛けて先に進みました。 ![]() 目的のPenduelesには3時過ぎに到着。ここはドナティーボで二食食べさせてくれた上に洗濯乾燥までしてくれる天使のようなアルベルゲです。2016年に泊まった時の写真を見せると受けました。北の道はこれで3度目なので、泊まったアルベルゲに再度泊まることがあるだろうと昔の写真を沢山タブレットに入れてきました。それが時々こうして話の種になってくれます。 ![]() 夕食はシンプルながらも心のこもったもので9年前と同じです。グリーンピース入りのリゾットと野菜サラダの大盛。それに赤ワインとデザートにはアイスクリーム。美味しゅうございました。 オーナーも私が北の道を2回目に歩いたのと同じ2019年に北の道を歩いたのでその年の写真を見せて、知ってる人いる?と言うといました!二度泊めて貰ったアルベルゲ・アマンディのオーナーです。やっぱりアマンディも二食食べさせて洗濯もしてくれるアルベルゲで、自分はこう言うありがたいアルベルゲに何回も泊まったことがありますが、そのオーナー達は横の繋がりがあるようです。アマンディのオーナーは病気になったのでアルベルゲは閉鎖にしたこと、その息子のダビッドのことも知っていました。 ![]() そしてビックリすることがありました!柱に9年前に私が上げた和風マリアカードが張ってあったのです。このカードは女子修道会から取り寄せて貰った本物印刷のカードなので、色あせもせずに奇麗なままでした(今年持ち歩いているのは自宅のプリンタでつるつるペーパーにカラー印刷したものなので何年持つかは不明です)。まぁ良く9年も持ってくれました。二人のオーナーに今年持参している別々のサンタマリアカードを上げました。きっとまた貼ってくれると思います。 26 PenduelesからLlanes たまにはメニュー(定食) に続く |