☆〜越畑便り〜☆
2008年8月7日(木) 《週半ば、更新の予定です》





夕空(2日)

昨日の夕空も素敵でしたが次週ご紹介します。

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残暑お見舞い申し上げます。暑さ負けせずお元気でお過ごしでしょうか。

今日は立秋とか、そういえば空の雲も高くなりどこか秋を感じさせます。これから後は「暑中」ではなく「残暑」になるのだそうです。

不安定な空模様が続いているようですが、昨日は大阪が突然の雷雨に襲われたようです。こちらは午後、雷の音が聞こえましたがあまり降らず、夜半にやっと降りました。

オミナエシの出荷に続き、ホオズキも出荷が始まっています。1メートル近くもあるような大きなものなので束ねる作業も大変だと思います。この一束には5本。おすそ分けを頂きました。

でも飾り方を知らないのです。今日スーパーで見たお供えの中にも飾りカボチャ、ナスなどと一緒に入っていました。そんな風に飾っても良いのですね。

お土産用お菓子類も便利な小箱などで売っています。お盆が近づいていますね。

網掛けをしたブラックベリー、今年は食べられて満足満足。でもたまにカメムシの匂いがしてワッと吐き出します。

◇◇◇ 怪獣ゴジラ? ◇◇◇

コケの生えた石の上にオタマジャクシがうようよいます。

その石につかまって立ち上がったイモリの様子にあのゴジラを思いだしました。

恐竜にも似ています。イモリと恐竜はもしかして親戚?

石の苔をツンツンつついているオタマジャクシもいます。どう見ても食べているように見えるのですが?・・・と思いましたらやはり、小さい歯で水草や藻をけずりとり・・食べるのだそうです。

◇◇◇ 沢遊び ◇◇◇

いつからか、学校近くの谷川の周りで工事の音がしているな?と思っていましたら、谷川を整備して沢遊びのできる場所を作っていたようです。校長先生の発案とか。

住民の方々のボランティアもあったのか、大きな木を切り倒し、道を作り川に下りる階段も作られていました。

土日、子供達の合宿が学校であったようで、運動場で(自炊の?)朝ごはんを食べているのを見かけました。

近隣の学区からの訪問者もあったのか大勢の楽しそうな声が沢から響いていました。

でもここは昔のゴミ捨て場だったらしく、拾っても拾っても出てくるゴミの多さに大変な思いをしたようです。子供達もゴミ拾いしていたのかな。

以前から気にはなっていたのですが、その声に誘われて初めて見に行きました。人海戦術のゴミ拾いの成果があったようでとてもきれい!遊べる場所になっていました。

近くの山の中は案外降りることのできるような沢はなく私もこんな所が欲しかったのです。何のお手伝いもしていませんが、時々遊ばせていただきたいな。

水はとても冷たく子供達の夏の遊びには最高でしょう。(^^)

◇◇◇ 作業の報告 ◇◇◇

マクワウリ、これ位だと立派なものです。やっと熟れてきましたので冷やしてデザート楽しんでいます。

トウモロコシも実がしっかりしてきました。焼きモロコシが美味しゅうございます。

洋服ダンスを工具入れにしたところに無理があるのですが、底の抜けていた箪笥の修理がやっとできました。雑な仕事ではございますが。こんな時やはり廃材が役に立ちます。

桧と紅葉の剪定の続きをやっと終え大きな枝は今年は終わりかも・・・とほっとしています。でもちらっと畑に目をやれば伸びすぎた桐と桑が見えます・・・きりがありませ〜ん。

草の伸びが少し鈍ったのでこれからはゆっくりできるかも?無理かな。危惧していた通り草刈機のエンジンがかかりません。

屋根裏を歩く動物が何か突き止めなくちゃ。一つ一つ解決していくしかない一難去って又一難の生活は今も続いております。

派手な羽根の蝶を見つけましたが遠くに行ってしまいました。蝶の名前はほとんど覚えていませんが、この種類はセセリチョウの仲間と言うことは分かりました。

これは羽根の白模様がダイミョウセセリに最も似ています(下の羽根は似ていないのですが)。ホソバセセリにもユウレイセセリにも少し似ていますが、ユウレイセセリとは可愛そうな名前ですね。

秋風の懐かしい今日この頃です。

--- 後記 ---

8月になると毎年のように戦争記録の放映が多くなります。私には南方戦線で亡くなった二人の伯父さんがいたこともあり、用事も忘れて画面に見入ってしまうことがあります。

優秀だったと言うその伯父さん達がもし戦争で死ななかったらもっと多くの親戚とのかかわりがあり、私の人生も変わっていたのかもしれません。

映像で残される戦争の記録、記憶は戦後60年以上経った今だから話すこともできるようになったからなのか、封印されていたものがやっと公に出てきた感があります。

その強烈な体験は若い年代だったからということもあるでしょうが、他の記憶が失われてしまってもその部分だけは残ることが多いようで、繰り返し話をされる高齢の人を間近に見ることもあり、そんな人がいるという話を聞くこともありました。

輸送船をやられ、敵と戦うことの無いジャングルでの無謀な行軍と餓えとの戦い。知っていたようで知らないことが多い証言でした。南方戦線やフィリピン戦の体験者も言っていましたが最初は全身火葬していてもそんな余裕が無くなると、腕、手首、小指・・・と段々と小さく切り落とし、火葬するのだそうです。この話にはびっくり。

近所の方に「爪をはいで・・・」と聞いたときは「いくら亡くなった人でもそんなことしたら痛そう!」と思いましたが、それ以上のことが平気で行われていた時代だったのです。どうしてそんなに遺灰にこだわるのかと思いましたが、砂や石ころではかわいそう・・・と待っている家族への思いからのようです。

正しくても正しくなくても決して起こしてはならない戦争。加害者も被害者も口を揃えて言っていました。私も戦争の無い世界を夢見て祈っております。

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夕空(8月2日)

ではまた (^o^)丿~~~ 
見てくれてありがとう(^o^)丿!!  さよならさよなら

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