7)杣山(そまやま) 492m :2017年4月9日 2017年山の記録に戻る
 杣山(そまやま)は福井県南条郡南越前町の中央部に聳える山塊である。別名は城山。杣山は南条山地に属しているが、単独で突出した位置にある
山塊である。標高は492m。鎌倉時代には山頂に杣山城(注:下段に説明)が築かれ、越前国における重要な山城として歴史に刻まれた。名前の由来は
かつて杣山城の修復の為杣人を募集したところ、山に杣人が溢れるほどになったという言い伝えに由来する。その名の通り、檜の立ち並ぶ登山道が印
象的な山である。麓にキャンプ場が作られているが、それほど積極的にPRされているわけではない。むしろ山の歴史および、山に残された遺構や伝説
の数々により登山客を集客している。主に新田義貞が敵軍に攻め込まれた際、その正室が身を隠したとされる姫穴や瓜生保が戦死した際、杣山城の
女達が袿を掛けその身を投げたと言われる袿掛岩など様々な箇所が残されている。このような様々な遺構、伝説を残す杣山を県外から訪れる人も多
い。
 登山道は全部で4通りあり、難易度は大きく違う。東側の登山道が最も易しく、西側の登山道が最も厳しい。特に犬戻駒返し付近と姫穴の付近は狭路
の岩場が続き、難所といえる区間である。しかし一般的な脚力を持つ人なら1時間半程で登頂できる山であり、初心者がチャレンジするにはうってつけ
の山といえるだろう。ただし標高の割に疲労がたまることは否めない登山であることには違いない。(ウイキペディアより)
 登山道は南条側に3道、反対の南側に1つある。今回は北側、花ハス公園から出発、東登山道を登り、東御殿を経由し、山頂に達するにコースを選ん
だ。下山は、西御殿から殿池、穴姫の険しい道で居館跡に下山した。曇り空で見晴らしはなく、ガスがかかった状態ではあったが、イワウチワの大群落
を始め、結構な数の花が見られた。もう一つの期待であったギフチョウは、天気悪のため残念ながらまたの機会になった。


守山駅集合(7:40)−菩提寺SA(8:10、8:20出発)−魚津PA(9:50)−今庄IC(10:10)−花ハス公園P(杣山荘(10:20、10:40出発)−犬戻し駒戻し(11:40)
−分岐(11:50)−杣山山頂(12:05〜12:40)−西登山道分岐(12:50)−殿池(12:55)−穴姫(13:15)−広場(13:40)−県道・第2登山口(13:50)‐花ハス公
園P(杣山荘(14:05、14:20出発)−今庄365スキー場(14:35〜14:40)−敦賀さかな街(15:15〜15:40)−敦賀IC(15:50)−彦根IC〜守山
          時間3時間40分、 歩行時間: 3時間05分 休憩時間35分  歩行距離 4.5q 累積登高:467m

 杣山荘の裏手から、杉林の中を進む。前日の雨の後で足元は湿っぽい。タチツボスミレやミヤマカタバミがある。しばらくで、登りの道になり、落葉樹
の明るい雰囲気が出てくる。クロモジの薄黄色の小さな花が目につく。その後も結構たくさんある。やがて、タムシバの白い花が目につきだす。所々でシ
ョウジョバカマのピンクの花を見ることができるようになる。更にイワウチワがピンクの花を咲かせている。
登山道の両側の斜面にたくさん咲いている。やがて苔むした岩が目立ちだし、その間にびっしりと咲いている。下から見上げればピンクの絨毯のようだ
。写真をいろいろな角度から撮影する。驚きの大群落である。


アブラチャンの黄色い花を見ることができる。ここからしばらくで、稜線上に出る。いよいよ痩せ尾根になる。イワナシが咲いたばかりであろうか、綺麗な
薄ピンクで咲いている。ガスがかかり、この痩せ尾根、500m以下のところを歩く雰囲気ではない。南側の登山道分岐を過ぎるといよいよ岩場が続き、ハ
シゴを注意深く通過する。しばらくで、犬戻し・駒戻しと表示された所を過ぎる。堀切り跡の表示も出てくる。
ハシゴも出てくる犬戻し・駒戻し表示、堀切り跡が続く

痩せ尾根の両方の斜面にもイワウチワが多い。しばらくして急な階段を、少し登った先が山頂である。比較的広い山頂で、たくさんの石碑がある。歴史
を刻んでいるようだが、判読できない。何組かのパーティーに混じり、山頂のモニュメントの横で昼食にする。コーヒを楽しむ。ガスは相変わらずで見通し
なく、また、霧雨のようになったため、早めに切り上げ出発する。


霧雨はほんの一時であった。10分もしないうちに、観音地蔵と桂掛岩が出てくる。しばらくで西登山道を分け、殿池方面に向かう。濡れた急な下りを注意
深く下ると殿池に出る。イロハモミジと思われる赤い花が目につく。タカネザクラも開花したようだ。ここから先も細い急な下りで、更に岩の崖を歩く。細い
道で、手を添えながら慎重に歩く。岩の絶壁に姫穴がある。少しのぞき込んで、切り立った崖の道を進む。水がたれ落ち、ショウジョバカマがそのなかに
見える。
 
大きながけの下を反時計回りにまわりきると、右手の崖にイワナシの綺麗な花が目に入った。

道は谷筋のそばを通るようになり、雰囲気が良くなる。アブラチャンも出てくる。
ミヤマカタバミの開花したもやホクリクネコノメソウが固まって咲いている
。ヤマエンゴサクも見られる。スミレも多くなる。登りで見たタチツボスミレに加え、スミレサイシンも多い。下り切った先は居館跡で広い草地である。ヤマ
エンゴサクが密集して咲いている。動物避けの電線をまたぎ、車道に出て駐車した公園に戻った。
この後、木の芽峠に向かうべく、今庄365スキー場を詰めたが、林道(ゲレンデない)は通行止めであきらめた。帰りは敦賀のさかな街に立ち寄りそれぞ
れが買い物をした後、敦賀ICから高速に乗った。


花々
         
 タチツボスミレ  タムシバ  イワウチワ  アブラチャン  ミヤマカタバミ
         
 タカネザクラ  エンレイソウ  スミレサイシン  ヤマエンゴサク  ショウジョバカマ
         
 クロモジ        

杣山城(そまやまじょう):
南越前町中央部に位置する杣山の山頂に築かれた山城である。自然の要塞とも言える険しい崖を利用しており、南北朝時代には南朝方の越前国にお
ける拠点ともなった堅城である。鎌倉時代初期に源頼親が城郭を築いたのが起りという伝承が残っている。現在では石垣や堀切、土塁などが僅かに残
されており、他は様々な言い伝えが残るのみである。
 歴史であるが、
・鎌倉時代初期 - 源頼親が城郭を築く。
・鎌倉時代中期 - 瓜生衛により瓜生氏の居城として再築がなされる。
・1336年 - 新田義貞が兵糧攻めに遭う現福井県敦賀市の金ヶ崎城を脱出し、杣山城を訪ねる。杣山城主瓜生保および義鑑坊の兄弟はこれを受け入
れ南朝に支持し、金ヶ崎城の救援に向かう。しかし敦賀市樫曲付近にて戦死し、金ヶ崎城も落城する。その後、新田義貞は杣山城に篭るも結果落城し
、北朝方の斯波高経家老増沢甲斐守祐徳が入ることとなる。
・1470年 - 朝倉孝景が日野川の合戦で斯波方を追い、河合安芸守宗清が入城する。
・1514年 - 朝倉氏に対抗する一向一揆軍が立て篭もる。
(以上、ウイキペディアより)

行程マップ(清水氏より拝借)

(国土地理院の地図より引用)
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作成日: 2017年4月18日