20)醍醐山454m・高塚山485m : 2019年6月9日 2019年山の記録に戻る、 醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院。真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。 上醍醐は西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。(ウイキペディアより) 守山駅(7:05)−山科(7:29、7:37地下鉄乗り換え)−醍醐駅(7:46、7:54出発)−西大門(仁王門)(8:13)−女人堂・一丁目表示(以降19丁目まで)(8:23)−槍山(醍醐の花見)(8:41)−不動の滝(8:57〜9:02)−薬師堂(9:45)−五大堂(9:52〜9:57)−如意輪堂・開山堂/山頂表示(10:03〜10:13)−五大堂分岐(10:17)−横嶺峠(10:35)−高塚山(11:15〜11:55、昼食)−長尾天満宮(12:53〜12:57)−仁王門(13:05)−醍醐駅(13:17着)〜山科駅〜守山駅 行動時間:5時間26分、歩行距離;9.7q 累積登高:697m 駅で集合し、山科駅から地下鉄に乗り換え、醍醐駅で下車する。15名の参加で大賑わいの一行になる。醍醐駅前の通りはきれいに整備されている、桜馬場を歩き、三宝院を横手に仁王門に突き当たる。仁王さんに対面し、右手に進み、しばらくで光台院のところで左折する。左手、寺中には清瀧宮や五重塔などがあるのだが、女人堂に向かう道は大木のうっそうとした道である。しばらく進み、苔むした石の階段に出てしばし登れば、女人堂である。 ![]() その昔、ここからは女人結界の場所である。上醍醐にはここが登山口(参道)に当たる。9:00 以降には寺院の方がチェックし、入山料が必要になる。皆はよく心得ており、早朝に通過する。朝の散歩として歩く人も多い。参道とはいえ、山頂まで2.6q、1時間の行程である。ごく普通の登山道である。石の階段(階段のような段差ではないが)が続く。ごく普通の参道である。30分少しで不動の滝に着くが、それまでは、樹林帯の苔むしたような雰囲気で、常緑樹(ヒノキの植林やその他の木)と新緑の落葉樹が続く。有名な秀吉の『醍醐の花見』でよく知られた槍山も出てくる。花のほとんどない時期だが、10丁目表示を過ぎてすぐにオカタツナミソウのピンクが観察される。 ![]() 不動の滝には表示があって、歴史が書かれている。関係する句も書いてある。 2題引用 ・山ざくら つづくや上の 醍醐まで 蝶夢 ・幾山河 遍路の遠き 浄土かな 玄空 ![]() 不動の滝からは、やや急な道になる。参道ということで幅広い道である。先は長い。30分ほどすれば、明るくなり、竹林越しにやっと建物が見えだす。まずは上醍醐寺務所、その反対側には清瀧宮拝殿(国宝)が出てくる。この先、薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)など、国宝、重要文化財に指定されている数々の堂宇が続くありがたいパワースポットだが、如何せん我々は知識もなく、無縁の存在といったところだ。足元には、鎌首をあげたオオハンゲの方に注意が向かう。撮影だけはこまめにこなす。醍醐水その奥には准胝堂の跡だが、清瀧宮ともども素通りする。薬師堂も中をそっと覗いて通りすぎる。五大堂ではお参りに立ち寄る。聖宝が開いた鎮護国家の祈願道場であるそうな。広場では昔、俵を担いだ競技が行われたそうだが、こんな山の中では準備にも手数がかかり、昔話になってしまった。上醍醐の雰囲気を感じながらしばらく進むと、如意輪堂と開山堂で、豊臣秀頼が再興した二宇の国の重要文化財に指定されていたお堂がある。山頂表示は開山堂の前にある。醍醐山の開基、理源大師聖宝を祀るお堂である。手前の如意輪堂は、昨年9月の台風で損傷を受けたと見え、無粋な青色のプラスチックで補修されている。ふもとの醍醐寺でも大木が倒れ、切り株が目立っていたが、それらともども国からの補助を合わせ、6億数千万円の予算が組まれていると新聞で出ていた。公的資金以外に1億数千万円の準備が必要で、こちらがネックになっているのだろう。一刻も早い本格的な改修工事が望まれる。開山堂前からは高槻市越しに大阪方面が望まれ、見晴らしに恵まれればハルカスが見えるという。座る場所も確保でき、絶好の一服である。モンキアゲハが飛翔し注意を引くがとまってはくれない。 ![]() 食事時間には早く、写真を撮って来た道を引き返す。高塚山へは、五大堂の手前から派生する細い道に入る。進入禁止のように塞いでいるが、特に道は問題なく歩ける。落葉広葉樹とヒノキの中を進む。平坦な道で、地図には醍醐山頂の表示があるが、気が付かなかった。しばらくで急な坂道になる。足元には下草や花も乏しく、枯松葉がある。横嶺峠には20分もしないうちに到着する。左手は車で醍醐寺に向かうことができる。右に進めば、山科から、大津方面に出られる。直進する。舗装道の道が続く。表示を見ると一帯は個人所有の土地のように感じる。車の自由通行には制限がありそうである。右側には、ネジキの花が鈴なりである。また、左手に入ると京都の市街が一望できる。ヤマモモの大きな木が目立つ。実がなりだしている。その先で、舗装道から山道に入る。しばらく進むと牛尾観音から音羽山に出る道が分岐する。表示も出ている。ゴルフ場を経由の道である。10分ほどで、高塚山の山頂にでる。樹間から音羽山系が垣間見えるがほとんど展望はない。少し戻ったところに、簡単なベンチがあり、数名はここで座って食事ができる。ほとんどは思い思いに場所を決め、昼食タイムになる。暑い日であるが、日陰で多少はましである。カップ麺にコーヒーを入れ、自宅のビワを皆に配る。今年は摘果もせず、5月の少雨と暑さで不出来で申し訳なかった。 ![]() 40分の休憩の後、尾根筋を下る。はじめは急坂で、倒木もあったが、やがて歩きやすくなる。道は、何本かに分かれるが、しばらくで合流し、分岐、合流を繰り返す。ササやベニシダも多く、結構雰囲気も良い道が続く。およそ1時間弱の下りで、長尾天満宮に着く。登山道はここでおしまいである。天満宮では休憩を兼ねて立ち寄りお参りをする。境内にはクチナシが何本か植わっているが、たくさん咲いた白い花からは何の匂いもしない。気にしながらここを立ち去る。 ![]() 直進した先は三宝院に突き当たり、左手に進むと朝来た西大門になる。天気はすっかり晴天になり、暑い中を地下鉄醍醐駅に戻った。 行程MAP ![]() (国土地理院の地図を引用) 1)上醍醐の神社仏閣 ・女人堂(成身院):上醍醐への入山料の支払所、これより19丁(2.6km)約1時間の軽登山。 ・清瀧宮拝殿(国宝)・本殿(重要文化財): 室町時代の永享6年(1434年)に再建。清瀧宮は弘法大師(空海)が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社。 ・醍醐水 : 聖宝が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉。 ・准胝堂跡:聖宝が如意輪堂とともに建立、西国三十三所観音霊場第十一番札所。1968年(昭和43年)に再建された堂は2008年(平成20年)8月24日焼失。再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されている。 ・薬師堂(国宝):醍醐天皇の勅願により延喜7年(907年)頃に聖宝(理源大師)により創建。現存の堂は保安2年(1121年)の建立。入母屋造、檜皮葺き。正面5間、側面4間。側面の柱間4間のうち、中央の2間が狭く、前寄りと後寄りの各1間が広いのは珍しい。内部には薬師三尊像(国宝)、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像(以上は重要文化財)などを安置していたが、現在はすべて下醍醐の霊宝館に移されている。 ・五大堂: 聖宝が開いた鎮護国家の祈願道場。 ・如意輪堂(重要文化財): 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建。元は理源大師(聖宝)により准胝堂とともに建立されたと伝わる。 ・開山堂(重要文化財): 如意輪堂ともに慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建。内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像など安置。 ・奥の院・洞窟: 開山堂の向かって右奥の木製の一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居を経て約30分、左へ少し行くと浅い洞窟の奥の院、右へ進むと「東の覗き」で下は断崖絶壁。 (ウイキペディアより) 2)秀吉の『醍醐の花見』 醍醐の花見 慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は花見を槍山で催した。千畳敷きとも呼ばれる平地に花見御殿が建てられた。女人堂から槍山の間には武将によ茶屋八棟が設けられた。の花見に先駆け山内馬場先から槍山に至る参道にはサクラ7百本が植えられた。当日、秀吉は秀頼・北政所・西の丸(淀君)・松の丸・三の丸を従え、槍山の御殿からサクラを眺め、和歌を書いた短冊をサクラの枝につり下げた。 2019年山の記録に戻る 作成日:2018年6月20日 |