42)青葉山 693m : 2019年10月10日 関西百名山、2019年山の記録に戻る、関西百名山に戻る |
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青葉山(あおばさん、あおばやま/国土地理院)は、福井県大飯郡高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山。東峰(693m)と西峰(692m)の2峰からなる双耳峰であるが、国土地理院の地形図では東峰に山名の記載があるため、これに従うと標高は693mである。いずれの山頂も高浜町に位置する。高浜町の最高峰。若狭富士の異称を持つ。東部海岸から眺める山容が秀麗な景観を見せる。 山の概要であるが、東西2つのピークを持つ双耳峰で、古くは扶桑馬耳山、鋏山とも呼ばれていた。舞鶴市に鎮守府が置かれた明治時代には、京都の東方に位置する比叡山にちなみ、舞鶴市の東方に位置する青葉山を北叡山と呼ぶこともあった。一説に、崇神天皇の時代、丹波に派遣された日子坐王が玖賀耳之御笠を討伐したのはこの山だったと言われる。青葉山は信仰との関わりが深い山でもある。舞鶴市側の西中腹には西国三十三所第29番札所である松尾寺が創建され、高浜町側の東中腹には中山寺が創建された。両寺とも山号を「青葉山」としている。また、東峰の山頂には青葉神社、西峰の山頂には青葉神社西権現が祀られている。山腹には青葉山にだけ自生するオミナエシ科の多年草「オオキンレイカ」のほか、イワヒバ科のヒモカズラなど、きわめて重要な種が多く分布している。若狭湾国定公園に含まれ、山頂からの展望も良いことから、住民だけではなく、多くの参拝者や登山客が訪れる。また、古来より若狭三山(青葉山、多田ヶ岳、飯盛山)の一つとして修験道が盛んにおこなわれていた。地質は、鮮新世前後に活動していた火山が侵食された結果、現在の青葉山の山体が形成されたと推定されている。これは火山の定義からは外れているため、第四紀火山には分類されない。山は安山岩と火山砕屑岩から成る。(ウイキペディアより引用) 2004年4月3日には、松尾寺から青葉山西峰、東峰と歩き、同じ道を引き返した。この時の記憶はほとんどなく、初めての登山のようだった。今回は山仲間4名の山行になった。中山寺の奥の登山口から登り、東峰〜西峰を経て、松尾寺に下った。松尾寺からは林道を駐車場まで戻った。この時期ではあったが結構多くの花に出会えた。春にはミスミソウ、7〜9月にはオオキンレイカが咲く。 守山駅(7:00出発)〜中山寺登山口寺駐車場(9:15、9:25出発)−展望台(10:25〜10:30)−馬の背(11:08)−青葉山東峰 守山駅で2名を、さらに途中で1名をピックアップし、琵琶湖大橋から167号線、別所から303号に入り、途中、道の駅藤川に立ち寄る。高浜のさらに先にある奥の駐車場に9時15分に到着する。立ち寄り時間を除くと100qを130分で走破した。登山者らしき車は我々のみ、支度をして登山開始である。スギ林の中の道を進む。しばらくはスギ林で、丸太で階段になった登山道を進む。途中、中継所らしき工事中のところを辺りから広葉樹林帯になる。眺望もなく、単調な登りであるが、アキチョウジ、マツカゼソウなどの花が見られる。東峰までの2.4qの中間点付近に展望台があり、ここから絶景を見ることができる。小休止にぴったりのところである。
その他 マムシ ?? 注:松尾寺 松尾寺(まつのおでら)は、京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺院。西国三十三所第29番札所。舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置する。毎年5月8日に行われる仏舞は有名。本尊は馬頭観世音菩薩坐像。寺伝によれば、中国から渡来した威光上人が慶雲5年(708年)ここに草庵を結び馬頭観音像を安置したのが創始とされている。本尊は、本尊馬頭観音坐像は秘仏である。西国巡礼の中興の祖とされる花山法皇の一千年忌を記念し、2008年から2010年にかけて西国三十三所の全札所寺院において「結縁開帳」が行われた。松尾寺本尊の「結縁開帳」は2008年10月1日から2009年10月23日まで行われたが、これは前回の開帳(1931年)以来、77年ぶりのことであった。文化財としては、国宝:絹本著色普賢延命像−美福門院の持念仏と伝えられる。重要文化財:絹本著色孔雀明王像、絹本著色法華曼荼羅図、絹本著色如意輪観音像 徳治二年(1307年)一山一寧賛、絹本著色終南山曼荼羅図、木造阿弥陀如来坐像 快慶作がある。(ウイキペディアより) 行程マップ (国土地理院の地図より引用) (Google Earthより引用) 関西百名山に戻る 作成日:2019年10月12日 |