25)雪野山 309m :2020年4月16日 2020年山の記録に戻る 2020年チョウのページへ戻る 滋賀県の湖南地域には里山がう多くあり、一帯を湖南アルプスと呼ぶ。代表的な山として、金勝山(阿星山・龍王山・鶏冠山)があげられ、今回登ったも龍王山(竜王山)には平安時代の仏教文化を担っていた金勝寺やその時代の狛坂磨崖仏(こまさか)、狛坂寺跡があり、この史跡を入れたハイキングコースが完備されている。コースには、耳岩や天狗岩など珍しい形の大岩が点在し、その上からからみる眺望は素晴らしい。龍王山や鶏冠山は干支にちなんだ名前の山で、その年には人気が一段と増す。 別途、栗東市の観光協会の案内には 『風化した花崗岩台地の連なる滋賀県のアルプスを歩く。 金勝山地を行く金勝アルプスは露岩、巨石、磨崖仏が有り、湖南アルプスの一丈野地区コースとも称されている。一方、田上山地の山々は近江湖南アルプス自然休養林。コース中の不動寺の本堂は国の重要文化財。比良山系を眺望できる歩き応えのあるコースです。』 と紹介されている。 久しぶりの訪問になった。里山過ぎて、面白みの少ない山の印象があった。今回はできるだけ歩くをモットーに、縦走路を歩いた。コバノミツバツツジが大変に多くて最盛期にあたり、ヒメハギ、ショウジョバカマも見られた。随所にある展望台からは琵琶湖をはじめ、周りの低山や鈴鹿の山々を眺望することができた。魅力たっぷりで、見直しの雪野山だった。 雪野山歴史公園駐車場(9:48着、9:53出発)−八幡神社(10:00)−高圧線鉄塔(10:13)−雪野山(10:30)−あずま屋(10:50)−分岐(11:06)−合流部分(11:17)−稜線(11:23)−雪野山(11:34〜11:38)−高圧線鉄塔(11:48)−昼食場所(12:00〜12:25)−277mピーク(12:32)−歌振峠−溜池展望台()−大岩展望台(13:02)−安妃山(13:15〜13:20)−腰越山展望台(13:20)−林道(13:32)−駐車場(14:00、14:10出発) 行動時間;4時間7分 歩行距離:7.9q 累積登高:496m 自宅を出発し、竜王町の登山口に向かう。途中、道の駅に寄ってから、雪野山歴史公園駐車場に着いた。良く整備された駐車場で、トイレも完備、周辺の様子が表示されている。脚注にも記載した通り、古墳は重要文化財である。到着したときは、バイクがあったのみだったが、下山したときは子供連れの人たちで一杯だった。 準備を整え、神社横、八幡古墳・石室の跡を進んでゆく。石段があり、苔むしている。登り切った八幡神社から、登山道になる。 八幡古墳・石室の跡 コバノミツバツツジが増えてくる。すぐに高圧線鉄塔になり、その手前は絶好の展望所である。 展望台から北方向、左;きぬがさ山、右;箕作山〜太郎坊山 帰りに予定している、安妃山への道を分け、左手方向に直進する格好で進む。ここからは縦走路、稜線になる。穏やかなアップダウン、道の両側はコバノミツバツツジで一杯である。しばらく続く。これほどとは思ってもみなかった。 コバノミツバツツジの道 大きな岩の傍を抜け、ツツジ越しにスギで覆われた山頂が見える。鉄塔から20分の歩きで山頂に到着する。西方向が開け、竜王町から先の山々、鈴鹿などが見える。また戻ってくることから先に進む。 雪野山山頂 急な坂が待ち構えている。先には稜線が見え、右方向の谷を隔てて、道が続いている。途中の開けたところでは、孫2人連れの3人が休んでいる。普通は、子供の方から挨拶してくるのだが、どうも様子から、あまり乗り気の歩きではないようだった。 傍を下る。下った先からは多少のアップダウンがあるが、歩きやすい。低木の樹林帯の中を進むとあずま屋に出る。ここから道が分岐し東方向や、西方向に道が下っている。少し先からは、鈴鹿の山々や周辺の集落が一望できる。小休止を取る。 少し先から、右手に下り、坂を下る。妹尾の里に通じている。途中で、山腹道を取り、妹尾の里から雪野山への本堂に合流する。この山腹の道は、湿ったところがあって、花を見られる。ショウジョバカマ、ヒメハギが見られる。新芽のシダ類が一面を覆ている。ツツジに吸蜜するコツバメ、ヒオドシチョウも見られる。ツツジの道を登り切り、稜線に戻る。さらに雪野山で休憩をする。子供ずれの家族が何組か座り込んでいる。ここでもヒオドシチョウが見られる。稜線でもよく止まっている。挨拶を交わし早々に出発する。同じ道を快調に進む。こちらでも、岩傍にヒメハギを見つける。紫の小さな花だ。 鉄塔まで戻り、左手の道を下る。安妃山方面の表示がある。急な下りだが、すぐに緩やかになる。お昼になり、P277に達する前に適当なベンチが見つかり昼食にする。炎天下で日差しが強いが構わず居座る。 昼食後は、P277を目指す。それまでの雪野山周辺は整備が行き届き、階段や表示がしっかりとしていたが、鉄塔以降は山らしい雰囲気になってきた。P277mは目立たない山頂で眺望もよくない。少ないながらツツジも続く。トンネル上を過ぎ山腹をまわりこむ格好で行くと、東屋に着く。その先が踏み跡らしき様子なので少し進んでみたが、すぐ無理とわかる。Uターンに近い格好で階段を下り、突き当たった道がT字になっており、右手に進む。あずま屋は派生する格好であり、寄り道した形になっていた。ほとんど休むことなく進む。稜線の所々で、北東〜東方向が開ける。きぬがさ山や箕作山〜太郎坊山などがすぐ目の前に見られる。繰山表示があり、溜池展望台、盆の木遠望台(同じ表示が2ヶ所)、少し先に大岩展望台がある。こちらはその名のごとく、大きな岩がデカンと座り、上に登りつくことができる。展望は、一層よくなる。そこからすぐで安妃山山頂である。何の変哲もない山頂だが、三角点がある。きぬがさ山、箕作山〜太郎坊山、堀越山の一部が見える。 安妃山山頂 サッと通り過ぎ、しばらくで腰越山展望台で、正面の越越山が目の前に展望できる。ここから一気に下り、林道に出る、腰越(地名)駐車場とある。比較的広いりんどうが撮っている。シャクナゲが綺麗な花を付けている。 ここからは舗装道を進み、さらに橋を渡って、川沿いに歩く。一旦は雪野山トンネルの道の下をくぐり、さらに山沿いを歩けば、歴史公園の駐車場に戻る。駐車場はたくさんの車、子供ずれの家族で一杯である。帰り支度をして、公園を出発した。 花
蝶
解説: 雪野山古墳(ゆきのやまこふん) 滋賀県近江八幡市新巻町・東近江市上羽田町・蒲生郡竜王町川守にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。琵琶湖の南東部に広がる湖東平野の独立丘陵である雪野山(標高308.82メートル、東近江市と蒲生郡竜王町の境)の頂に雪野山古墳が築造されている。本古墳と山麓との標高差は約200メートルである。本古墳は後円部を主郭とする雪野山城の跡地でもある。雪野山城は麓の北側にあった後藤館を本拠地としていた六角氏の重臣・後藤氏の詰の城である。1989年(平成元年)の夏に発見され、1992年(平成4年)まで4次にわたる発掘調査が行われた。墳丘・規模[墳丘の全長は70メートルで、前方部を北北東に向けており、琵琶湖と平行に並んでいるといえる。後円部の直径40メートル、高さ4.5メートル以上、前方部の長さ30メートル、高さ2.5メートルである。後円部は二段築成であり、葺石が敷かれているが、墳丘の一部(後円部の下段部分や前方部の前端部分)が盛土でなく湖東流紋岩を削って墳丘の表面としている。山上や段丘、丘陵上に築造された古墳は、その地形を大いに利用している古墳が多い。埴輪は有していない。埋葬施設;後円部頂上に東西に並ぶ二基の埋葬施設がある。先に埋葬されたと思われる東側の竪穴式石室が発掘調査された。この石室は主軸を南北にとり、長さ6.10メートル、北橋幅1.55メートル、南橋幅1.35メートル、高さ1.60メートルで前期前方後円墳の石室の特徴を備えており、長大に作られている。検出された墓壙の大きさは、上段墓壙は南北10.6メートル、東西7.0メートルで、下段墓壙南北8.6メートル、東西4.8メートルである。石材は、雪野山の基盤である湖東流紋岩。石室を構築している石は、一般には板石がよく使われるのだが、ここでは不正形の塊石が多く用いられている。石室には赤色顔料の弁柄が塗布されている。石室の壁の上半分でほぼ垂直に、下半分ではやや内傾きに石材を積み上げている。下半分まで積み上げて副葬品と棺の蓋を設置した葬送儀礼の一端が想定できる。石室床面が粘土床になっており、木棺の痕跡から長さは5.2メートル、幅は北端で0.9メートル、南端で0.8メートル以上と棺の大きさが推定でき、また、木棺はいわゆる舟形木棺であったと推定できる。さらに、木棺の両小口に半円形の縄かけ突起が付いており、棺内は2か所に仕切り板があって3分割されていたことも判明した。(ウイキぺデイアより引用) コースマップ(YAMAPより引用) (国土地理院の地図を引用) 2020年山の記録に戻る、2020年チョウのページへ戻る 作成日: 2020年5月4日 |