12)菩提寺山 353m :2021年2月13日 2021年山の記録に戻る、 2021年花・鳥・その他に戻る 湖南市と野洲市の境界にある山である。標高は353mで、「甲西富士」と呼ばれる。別名、「竜王山」で、南峰に竜王社の祠がある。「菩提寺山」、「桜山」とも呼ぶ。 北東の方角は、鬼門と言われているが、奈良興福寺の忌門に当たるところに大菩提寺〈36坊)、南、北菩提寺(湖東町)があったという(戦国時代、信長の焼き討ちに遭い灰塵になった)。寺の名前が地名となり今に残っているのである。この地一帯は少菩提寺(興福寺の別院)があり数多くの大伽藍が雄大な姿でそびえたっていた。奈良時代聖武天皇が発願、良弁僧正が創設した古刹である。1492年の記録のある古絵図に盛時の状況が克明に描かれており現存の西応寺(禅祥坊が前身)の寺宝である。山頂に 西応寺の寺庭夫人に見せていただいた古絵図には山頂に妙見堂が描かれており当時は山自体が崇拝の対象となっていたものと思われる。妙見堂の建っていた地に今は竜王山の名の通り竜王の小さなお社が祭られている。 人々は干ばつになると白い布の幟を立てて松明を手に竜王に雨乞いをした。子供が真似をして火事を起こしたとの昔話も伝えられているそうです。山麓には現在は西応寺他三寺が残るのみ。登山コース 里人は今も竜王を祭り、その為の道が西応寺の庭園の左手横から付いている。最近大手新聞で野洲側から登り甲西へ下るコースが紹介されてボツボツ登山者があるそうです。 最近野犬が15匹ほど出没しているのでご注意くださいとご住職の話を聞き、熊もこわいけど野犬もこわいなあと心配になる。ご住職は「大声を出したら逃げる」と言われたので、木切れを片手にワメキながら歩き始める。(登山者に会えば恥ずかしいが、この時期私の他この山に登っている人も無いだろうと考えたーー実際、誰にも会わなかった。)すぐ汗が噴き出してきたので上着を脱ぎ、中腹まで来て野犬に遭遇しなかったので一安心の気分となる。ふもとは少し植林されているが、すぐ松の混じった自然林となる。昔はお寺のすぐ裏にも松茸が採れ、むしろに一杯も簡単とのお寺のおばあちゃんのお言葉。 上に行くほど坂は傾斜を増し、落葉で滑らないように気を付けながら歩く。標高150mの登山口から山頂まで標高差200mくらいなので私は20分で登ったが、ゆっくり歩いても30分はかからないと思う。山頂は三等三角点のある最高点と鞍部をはさみ少し低いピークに竜王社とテレビアンテナの建つ広場からなる。古絵図にはここに奥の院の建物が見える。頂上の三角点は背の高い雑木に囲まれ展望は全くきかない。野洲側へ少し下ると、正三角形の近江富士がすぐ眼前に朝霧の中に見える。二つの富士が名神自動車道を挟んで並んでいるのだ。静かだ、小鳥のさえずりも聞こえる。ああ又ひとつ富士に逢えた。野洲方面へ下山できるが、道は荒れており新聞で紹介されるまでは一部の愛好者以外には忘れられた道のようだ。 もと来た道をまたワアワア言いながら下る。 絵図にはまた、中腹に「加持水」が画かれているが、その存在も今では知る人も無い。名水だったのだろうと思う。時間があればこの名水を探してみたいところである。 昨年5月以来になる。前回は歴史への小径へ下山しなかった。今回は摩崖仏五輪塔を見ようと南峰から歩いた。シダの生い茂る歩きやすい道だったが、途中からは急坂になった。下山コースのほとんどはロープが張られ、必要であればこれに?まって安全に歩ける。ただ、このコースは、歴史の小径として設定されているコースとは違っている。下山口には詳細な巡回コースがあり、こちらから登るのも良いだろう。 今回も展望が楽しめる菩提寺公園をスタートした。湖南市菩提寺まちつくりセンターに車を駐車し、公園内から山頂を目指した。山頂手前に、展望の良い大きな岩がいくつかあり、その上からいろいろな方角を見ることができる。下山は、歴史の小径へ下り、山麓を歩いて戻った。コバノミツバツツジが一輪咲いていた。 自宅−菩提寺まちつくりセンター(9:50、9:57出発)−菩提寺公園(、昼食)−林道終点登山口(10:18)−展望岩1(10:32〜10:37)−展望岩2(10:44)−菩提寺山353m(12:26〜12:37)−竜王社・南峰(12:40〜12:42)−五輪塔分岐−周辺散策−下山口(13:11)−菩提寺禅寺(13:24)−西應寺(13:41)−菩提寺まちつくりセンター(14:25、14:30出発)−自宅 行動時間:4時間30分 歩行距離:4.5q 累積登高:295m 2月半ばというのに4月の陽気、春先の格好なのに日差しで汗ばむ。湖南市菩提寺まちつくりセンターから、菩提寺公園内を通る。適当なコンクリートのベンチがあり、山頂でと思っていた昼食にする。菩提寺山の表示を見ながら林道を詰めたところから登山道が始まる。滑りやすく、結構急な坂が続く。ツツジが多少膨らんだ様子も見える。その1本に一輪だけ花がついている。コバノミツバツツジだ。えっと驚きながらカメラに収める。山頂まではすぐで、15分ほどで展望岩に出る。東の金勝アルプスから阿星山、十二坊の湖南の山が見られる。北方向の奥には鈴鹿の山並だ。 ![]() 大きな岩の間を抜け、展望台と表示のある大きな岩からは東〜北方向に比叡山〜比良山系、三上山、更に先の先の北の山々である。 ![]() ![]() 更に、大きな岩が出てくる。下は南桜の集落である。急な坂を登れば山頂に着く。南桜(野洲市)と菩提寺(湖南市)の境で、両方の地域の表示杭が競うように打ち込まれてある。令和2年もある。樹林帯の中ノ山頂には、この山で見られる花の写真が表示されている。各方向に進む表示板がある。十字路になっている。 ![]() 南に下って登り返せば、竜王社のある南峰である。別名、竜王山とある。少し先は見晴台になっていて、湖南の山々が展開する。 ![]() 左手に急な下りの道がついている。山麓から中腹は廃寺となった小菩提寺の遺跡が残る歴史の小径となっている。石仏、摩崖仏、かっての寺の遺跡が確認される。今日はここを下る。最初はシダの中の歩きやすい道が続く。すぐにロープが張られた道で、急勾配の道になる。ロープは道の案内で両方に貼られr、がっちりとしている。これに?まりながら歩く。 見えの岩、その後は、歴史の遺跡の案内番号が出てくるが、乏しい踏み跡だったり、なにがあるのかが分かりにくいため、6番の方向をやめ下る。番号の詳細は下り切った登り口に看板があり、次回はこの案内を参考に逆から登ろうと思う。ほぼ下まで下ったところで、道が分かれ、摩崖五輪塔の案内が出てくる。こちらに寄り道する。大回り、内回りの歴史の小径である。大きな岩に五輪塔が刻まれている。寺ゆかりと思われる石像、地蔵が雑に置かれているが、付近から掘り出されたものらしい。いわれや、歴史が説明されている。 ![]() この先は一旦下るが、山頂への道になるため、元来た道を引き返し、しばらくで登山口に出る、三尊石仏、案内板がある。 ![]() ![]() ここからは、出来るだけ山麓に沿った集落内の道を進む。集落内駐車場の案内が出てきて、寺の門が見え、寺にある「紙本著色小菩提寺絵図」の説明版がある。最近、このものの真贋が問われている。時代にそぐわない地名が記載されているとのことで、関係者は頭を傷めているそうだ。昨年の5月の記録に絵図の写真をあげている。 この後は、前に歩いた道を駐車場所まで戻った。 登山中に出会ったコバノミツバツツジの花、2月は早い。 ![]() コースマップ(YAMAPより引用) ![]() 注釈: ・西應寺関連: 廃少菩提寺(はいしょうぼだいじ)は滋賀県湖南市菩提寺にある廃寺である。歴史は、聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)によって731年(天平3年)に創建された。廃寺跡に立地する西應寺所有の1492年(明応元年)の図を模写したとされる「圓滿山少菩提寺四至封彊之繪圖」によれば、塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂と、37の里坊が立っていた。1570年(元亀元年)に、織田信長と戦って敗残した六角氏の兵によって寺院が焼き討ちされ、廃寺となった[3]。織田信長の軍勢が焼き討ちをしたという俗説は、誤っている。石造文化財としては、廃少菩提寺跡には、閻魔像、多宝塔、地蔵尊像や、多くの摩崖仏が残されている。(ウイキペディアより) 圓滿山少菩提寺四至封彊之繪圖 湖南市観光協会の説明には次のように記載されている。 「この地域には、奈良興福寺の別院として、円満山少菩提寺があった。この寺には数多くの大伽藍があり、奈良時代、聖武天皇の国家繁栄と安泰を願い、良弁僧正によって創設されたした古刹である。山上や山麓の広範な地域に大金堂、三重塔、開山堂などを中心に、7つの神社、36の僧坊があった。元亀2年(1571年)戦国乱世の世、織田信長の兵火によって全山は殆んど焼失し、それらの礎石を残すのみとなりました。このうち禅祥坊が現存の西応寺の前身であります。寺宝の明応元年(1492年)4月25日の記録のある古絵図には、盛時の状況が克明に描かれており、現在の山裾に禅祥坊があったことがうかがえます。 本庭園は山と樹林と空を背景として、大きい築山の間に枯滝・枯流れを設け、建物の前面から西の山裾にかけて細長い枯池をめぐらした、いわゆる枯山水の庭であるが、水を流せば谷川となり池に湛えられるような写実的な表現をとっています。多数の石組みには鈍穴流の手法が生かされており、枯滝石組や渓流に架けた上下ちがいの石橋、曲池西側の石橋、築山の飛石の分岐点に捉えられた3石を寄せた踏分石などは独特であります。形式を異にし、大小高低様々な石灯籠や石擬宝珠柱などが置かれています。東の一段高い台地には楼が建立されて、高さ33尺(約10m)もの巨大な十三重石塔が並び立っているのが目を引きます。それに続く山裾にも三尊石を中心とする石組や、降雨の折の排水を兼ねた枯流れが設けられています。主庭のほかに客殿・書院・庫裡をめぐる小空間にも、それぞれに趣向をこらした庭が見られます。 2021年山の記録に戻る、 2021年花・鳥・その他に戻る 作成日: 2021年2月15日 |