18)飯道山 664m :2021年2月28日 2021年山の記録に戻る 信楽の山として知られ、飯道山は全山が花崗岩からなり、西覗き岩・不動押し分け谷・蟻の塔渡し・胎内くぐり・鐘掛岩などの奇岩が各所にあって、1951年(昭和26年)に再興された飯道山行者講の修行場となっている。山上には、往時の遺構が他にものこり、飯道寺跡・行者堂・弁天堂・五院跡・木喰上人応其墓などがある。(飯道山観光協会より引用) 上記の観光協会には、甲賀の三霊山が紹介されており、その中で飯道山の説明として、役行者小角が開祖した山岳信仰の拠点で、中世は山中に数多くの僧坊があり、山伏の修験場として栄え、忍者との密接な関係であると紹介されている。さらに、庚申山は(標高420m)は、真鍮の神様で知られる広徳寺があり、山頂からの展望は心を癒すと記載されている。最後の3山、岩尾山(標高471m)は、最澄が開山し修験の場であり、巨石、自然石が至る所に点在し、当時の自然信仰を偲ばせると紹介されている。 さて、飯道山であるが、昨年の同じ時期の訪問になった。イベントが開催された飯道山、神社と山頂付近で沢山の参加者に出会った。今回はTVで放映された行者巡りに挑戦した。忍者修行のコースらしく、難所が次々と現れ、ハラハラドキドキの連続だった。各所に付けられた名前とは大変な違いだった。山頂のアセビも花が咲きだした。槙の群生地に初めて気付いた。 自宅−飯道神社駐車場401m(10:00、10:08出発)−飯道神社・行者巡り(10:35〜)−飯道神社591m(11:27)−林道出合(11:32)−登山道分岐(11:36)−飯道山山頂664m(11:52〜12:33)−槙群生地−杖の権現茶屋・林道出合(12:49)−林道−山頂への登山道口(13:00)−神社分岐(13:05)−休憩所分岐(13:13)−休憩所(13:18)−飯道神社駐車場(13:23、13:30出発)−自宅 行動時間:3時間15分 歩行距離:3.76q 累積登高:413m 飯道神社と書かれた大きな石碑と石の鳥居をくぐり、石段を登る。いつもの道だ。途中、下山してくる登山者に会い、キジを見たと聞く。大きな岩、針葉樹・広葉樹の混じった登山道を登る。神社まで7丁目あり、丁表示が出てくる。石の地蔵、クマザサが続く。最後に石の階段を登り切った先が神社への分岐で左に入る。トイレ、社務所の左から行者巡りの道が始まる。今日はこちらがメインだ。 ![]() 行者巡りの最もスリリングは平等岩tp説明のあるツリガネ状の岩をぐるりと一周するところだ。そのあと、岩のてっぺんに登れば眺望が楽しめる。出会った二人ずれの女性が果敢にチャレンジし、負けまいと続く。 行者巡り ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ハラハラ、ドキドキを体験し、最後に東ののぞきの岩に登り三上山を眺めた。その後神社に下った。神社には今日のイベントの関係者がおり、挨拶を交わした。その後は遺跡内を通り、飯道山に向かった。クマザサの道をゆっくりと進んだ。途中、数十名のイベント参加者とすれ違った。幸い、一行は飯道神社で昼食ということで、静かに昼食を取ることができた。山頂は比較的眺望があって、三上山の奥に大津や比叡山を見ることができた。 ![]() そのまま戻るのはやめ、杖の権現茶屋から戻ることにした。今まで何度も取った道だったが、今回は槙の群生地があることに気付き、何枚かの写真を撮った。中々に見事だった。 ![]() コースマップ(YAMAPより引用) ![]() 注釈: ・飯道寺(はんどうじ)は滋賀県甲賀市にある天台宗寺院。山号は金奇山(こんきさん)。もとは南都と関係深い山岳寺院として飯道山の山上に成立し、中世から近世にかけては有力修験寺院であった。明治維新に際しいったん廃寺となり、明治25年、北麓の三大寺に所在した天台宗本覚院が、その寺号と法燈を継承した。これが現在の飯道寺である。紫香楽宮跡を見下ろす飯道山の山上には現在もその寺坊跡が広範囲に残るほか、かつて同山の鎮守として祀られた飯道神社(旧称・飯道権現社)が現存する。滋賀県甲賀市の飯道山(はんどうさん、標高664メートル)がそびえている。山上に鎮座する飯道神社の祭神として穀物神の宇賀御魂神および、弁才天を習合する飯道権現が挙げられている(『飯道寺古縁起』)こと、飯道山を水源とする水への民俗信仰が伝わることから、山麓住民による分水信仰があったことがうかがわれる。また、紫香楽宮の造営や奈良東大寺大仏殿の修覆に際して、信楽杣産の木材が用いられたことに因み、飯道権現を信楽杣の森林支配の神とする国家の承認があったと見られている。こうした背景により、飯道山にあった飯道神社および飯道山は重要な修験道の霊場であり、山岳仏教の道場としての色彩をも帯びていた。山上に残る僧房跡には高野山中興といわれ、慶長13年(1608年)にこの地で没した木食応其の墓がある。 ・飯道神社(甲賀市):滋賀県にある神社である。詳しくは飯道神社 (甲賀市)または飯道神社 (湖南市)の節をそれぞれ参照のこと。飯道神社(いひみちじんじゃ、はんどうじんじゃ)は滋賀県甲賀市にある神社。近世以前の神宮寺であった飯道寺とともに修験霊場として知られていた。現在の神社の公称は「いひみちじんじゃ」。「いひみち(いいみち)」の読みは『延喜式』にある訓注によるものであるが、中世以降、飯道寺(はんどうじ)が著名となったため、それに引かれて「はんどうじんじゃ」とも読まれるようになったらしく、地元を始め後者で呼ばれることも多い。本来の祭神は原始山岳信仰の対象である飯道神であったが、現祭神は後世に熊野修験の影響から勧請されたものと推定される。歴史:滋賀県甲賀市の飯道山(はんどうさん、標高664メートル)に鎮座する。祭神として穀物神の宇賀御魂神および、弁財天を習合する飯道権現が挙げられている(『飯道寺古縁起』)ことや、飯道山を水源とする水への民俗信仰が伝わることから、山麓住民による分水信仰があったことがうかがわれる。和銅年間に熊野本宮から分霊したと伝えられる。古くは宝亀2年(771年)の勅符に封戸1戸を与えられたとあり、『三代実録』元慶8年(884年)3月27条には従四位下に昇階したとの記述が見られる。紫香楽宮の造営や奈良東大寺大仏殿の修覆に際して信楽杣産の木材が用いられたことに因み、飯道権現を信楽杣の森林支配の神とする国家の承認が封戸の授与や飯道権現の祭祀に結びつき、さらには東大寺二月堂守護神として飯道権現が祭られることにつながったと考えられている。久安2年(1146年)に「飯道権現」の勅額を受け、中世には油日大明神とともに甲賀郡の住人に崇敬された。戦国期には甲賀忍者の修行の場でもあったという。明治の神仏分離により、神宮寺であった飯道寺は廃寺となり、飯道神社は村社に列せられた。飯道山は全山が花崗岩からなり、西覗き岩・不動押し分け谷・蟻の塔渡し・胎内くぐり・鐘掛岩などの奇岩が各所にあって、1951年(昭和26年)に再興された飯道山行者講の修行場となっている。山上には、往時の遺構が他にものこり、飯道寺跡・行者堂・弁天堂・五院跡・木喰上人応其墓などがある。 ・飯道神社 (湖南市):飯道神社(いいみちじんじゃ)は滋賀県湖南市にある神社。素盞鳴尊を主祭神とし、菅原道真を配祀する。明治6年(1973年)に現在地に遷座した。(ウイキペディアより) 2021年山の記録に戻る 作成日: 2021年3月2日 |