23)野登山 852m : 2021年3月22日 、2021年山の記録に戻る 2021年花・鳥その他に戻る
 鈴鹿市と亀山市の境界にある。丸い山容であるが、余り特徴はない。山上にNTTの無線中継施設があり、作業車道が付けられているため、登山の興味はそがれている。 古書『勢陽五鈴遺書』に「野ヲ行盡シテ山上ニ上ル、故ニ野登寺ト名ヅク」とあり、その寺が山上にあることから野登山の山名が一般化したが、正しくは鶏足山(けいそくさん)(天竺の山にちなむ)といわれている。野登寺は亀山藩の祈願寺だったことなどから、周辺の樹木が保存されており、立派な杉並木やブナ林が残されている。山全体の林相も森林学上重要なものとなっている。登山は、坂本と小岐須(おぎす)からのコースが一般的で、山頂までは約2時間の行程である。仙ヶ岳付近は、登山道の整備が充分でなく、指導標も少ないため道に迷いやすい。(観光案内より)
 この時期、たくさんの人が訪れる野登山、その目的はミツマタである。坂本棚田でまずは麓の花を観賞し期待の中を出発した。最初の谷沿いでは色付きも良く、花も元気だった。その後は、日陰のスギ林の斜面を覆いつくす数の多さに驚いた。スギ林とヒノキ林、無数の黄色いボールの大集団との組み合わせ、単純でモノトーンな風景だった。西峰、本峰は物足りなかったが、大杉の大迫力、アセビの大木が見事だった。ぽかぽか天気かと思えば、冷たい風が吹き、楽しい食事時には、あられやコンコンと目まぐるしく変わった。

自宅−坂本棚田(9:45、9:57出発)−林道入口(10:28)−谷筋のミツマタ群落(10:44)−ミツマタ尾根−仙鶏尾根取り付き(11:58)−舗装林道出合(12:08)−野登山西峰山頂(12:30)−野登山(12:45)−昼食(12:50〜13:30)−野登上寺山門(13:50)−管理道路(14:04)−表参道口(14:14)−だんだん滝(14:33)-登山口(14:50)−集落内−坂本棚田(15:03、15:13出発)−自宅
   行動時間:5時間6分   歩行距離:8.3q  累積登高:837m

 車は順調に進んだ。坂本棚田はその前から表示があり、迷うことはない。駐車場にはトイレがあって、10数台は駐車できる。月曜日だが、ほぼ一杯だった。出発前に時雨れたが、すぐに晴れ間も出た。雲の流れが速い。棚田の横を歩くが、どこから見れば棚田が良く見えるかわからない。サクラ、ミツマタ、ウメの花など、里の風景が楽しめ、高畑山などの南鈴鹿の山容が目に入る。
南鈴鹿の山容
林道口はフェンスがあるが、開閉はできる。ヒノキの薄暗く、ジメジメした道がしばらく続く。カタバミの芽が出ているが咲くにはまだ先のようだ。歩け歩けで先を進む。なかなかミツマタが出てこない。谷筋に出て、対岸にミツマタが現れた。まだ新鮮な黄色が日光で輝いている。撮影場所を決めかね、少し奥まで入る。上の方まで群生している。ヒノキの下で、絨毯のようにはいかない。そこそこ気に入った写真が撮れた。元に戻り進む。
 

次第に山腹に群生が現れ、ずっと上まで続いている。植林帯の中で、日が乏しいせいか、時期が進んだせいか、黄色みが乏しい。花の大きさ、花付きもややといったところだが、面積は本当に広い。スギなどがもっとまばらであればと思ったりする。それでも多さに驚く。急な細尾根を登りながら斜面に群生するミツマタを楽しむ。撮影も忙しい。ミツマタに注意がいき、さて登りとなると辛くなってきた。

  

相変わらずの植林である。やっと仙鶏尾根の表示が出てくる。左右に分かれるが、右手に山腹を登る。
仙鶏尾根への表示 
しばらくの歩きで稜線上に出る。さてこれからの登りが辛い。急坂で植林帯、しばらくで広葉樹林になる。ゆっくりと高度をあげる。青空が見えると、上にガードレールが見える。急な坂で、踏み跡がやや分かりにくく、結果的には右手にずれてしまった。山頂付近は興が覚めるとあったがその通りだった。NTTの無線中継所用の舗装道路を歩く。北方向が開け、鈴鹿市や入道ヶ岳の奥に鎌ヶ岳の特徴ある山容が見られる。
入道ヶ岳の奥に鎌ヶ岳

道は、野登山西峰まで続くが、回り込むのを避けようと、崖を登り切った。西峰は大きな駐車場になっており、横に三角点があるのみで、何とも致し方ないとあきらめた。撮影もして、すぐに野登山に向かう。舗装道歩きを避け、また、舗装道に入った。付近はアセビの花が満開で雰囲気も良くなる。広い道をそのまま進み、山頂への道を通り過ぎてしまう。少し戻ってみれば、何とか三国、山頂たる表示があった。そのあとも、表示は不親切だった。山頂は樹林の中、眺望はなくみすぼらしい。

山頂でお昼と思っていたが、吹く風も寒く少し先で腰を下ろした。アセビも楽しめるが、アラレがパラパラとする。これもほんの少しで、後は持参のおにぎり、スープ、コーヒ―、おやつを楽しんだ。寂しい山頂だと思いながら先に進んだ。すると、あたりの雰囲気が一気に変わった。野登神社上社があるおかげで木の伐採が避けられ、苔むした大杉が現れた。それにしても大木である。雰囲気は一気に良くなる。
大杉
ブナの木も迫力である。驚き、感心しながら下った先は林道が来ており、神社の鳥居がある。
野登神社上社口

林道を鳥居の横をさらに進んでいる。下山方向に下っているが、トイレのある広場を直進する格好で参道が伸びている。まっすぐに下っていく。スギ林の中を下る。時どきは曲がりながら下る。歩きやすい。下った先はまた舗装道になる。大きな広場になっている。いろいろな遊戯もあったかと思われる大きな広場だ。伊勢湾や市街地が望める。


この広場を下に進めば参道だったようであるが、一旦は舗装道を進み、表示が出てきた先で参道に戻る。樹林帯の中の道で、ひたすら下る。集落が見えるとフェンスで防護された登山口に着く。フェンスをあけ、集落内を駐車場に戻った。ミツマタを存分に味わった1日だった。帰りの一般道も順調だった。

ミツマタ アセビ フサザクラ

補足説明:
野登寺(上寺)周辺
下寺より上寺へは約
8km、徒歩で約2時間程、車では野登山の麓の道より、NTT専用道路に入り、約20分程で駐車場に着き、徒歩5分程で本堂に着く。駐車場から本堂までの細い道の両側には、杉の大木が立ち並び、木の下には西国三十三所の観音像が、石室に安置され並んでいる。上寺の本堂、庫裏、鐘楼は、亀山市指定有形文化財(建造物)に指定されており、また野登山周辺のブナ林は、三重県指定天然記念物に指定されている。平成10年(1998年)922日に来襲した台風7号によって、上寺の本堂や鐘楼を杉の大木が直撃し、周辺の山内は倒木が散乱し、壊滅的な被害を受けている。その後、修復実行委員会を設立し、平成15年(2003年)修復されている
野登山のブナ林 (野登寺上寺周辺) 昭和31年(1956年)125日指定鈴鹿山脈の海抜700m付近以上は、本来ならブナを主とする落葉広葉樹林地域であるが、大部分がヒノキ、スギの造林地や、アカマツその他の二次林となり、本来の植生状態を残しているのはこの野登山の頂上付近のみである。(ウイキペディアより)

ルートマップ(YAMAPより引用)

(国土地理院の地図を引用)

亀山7座
市域の鈴鹿山脈及び布引山地の素晴らしさを広く理解してもらい、新たな観光資源として次世代へ継承するため、代表的な7つの山々(野登山、仙ヶ岳、臼杵ヶ岳、四方草山、三子山、高畑山、錫杖ヶ岳)を亀山7座とし、それらの7座を結ぶトレイル”亀山7座トレイル”を開発し、市の魅力を発信する活動主体として、石水渓観光協会、学校法人享栄学園鈴鹿高等学校(山岳スキー部)、公益財団法人亀山市地域社会振興会が、それぞれの役割のもとボランティア団体「亀山7座トレイル登山道活用ネットワーク」を平成30年5月に結成しました。
従前は、石水渓観光協会が、石水渓周辺の登山道維持管理活動を行っておりましたが、高齢化等により活動人員が減少し、活動存続が危ぶまれる状況となってきました。
そこで、亀山市市民協働事業提案制度を活用し、広く協力団体を募りましたところ、登山の専門的技術と知識を有する鈴鹿高等学校山岳スキー部、事務局機能として石水渓キャンプ場施設を指定管理する亀山市地域社会振興会から協力が得られたため、協議を重ねてきた結果、これまでの仙ヶ岳、野登山等の石水渓周辺の登山道の維持管理活動から、市域の鈴鹿山脈及び布引山地の亀山7座における広域的な活動とし、それらを観光資源として発信するため、それぞれの役割分担を決めて対等に協働して取組を行っていくものです。なお市は、その活動に対して、ボランティア保険の加入、材料、消耗品を提供して活動支援を行うほか、本市出身の世界的アルピニストである故尾崎隆氏の登山関係遺品を亀山市歴史博物館が調査し、遺品を通じて故人の生涯を記録保存していきます。


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作成日: 2021年3月15日