7)雪野山 309m :2021年1月20日 2021年山の記録に戻る 2021年花・鳥その他に戻る
 昨年の4月、コバノミツバツツジが満開の時に登った。一応縦走をしたが最後のピーク、杓子山まで達していなかった。今回は南の童子山から最北端の杓子山までをカバーした。ほとんどの登山客は引き返しているが、この山を突っ切って、全山完全縦走を達成した。好天に恵まれ、白く輝く鈴鹿山系や伊吹山、比良山系の眺望を楽しんだ。。

雪野山横山公園駐車場(9:35着、9:43出発)−横山公園−童子山(10:15〜10:20)−野寺城跡(10:32)−大岩展望台・あずま屋(11:02〜11:08)-雪野山(11:30〜11:34)−昼食場所(11:35〜12:20)−雪野山歴史公園分岐・高圧線鉄塔(12:33)−277mピーク(12:39)−歌振峠(13:05)−溜池展望台−大岩展望台−安妃山(13:20)−腰越山展望台(13:25)−林道(13:30)−杓子山(明神山)(13:38〜13:42)−北端登山口(13:58〜14:03)−駐車場(15:11、15:21出発)
   行動時間;5時間28分   歩行距離:11.0q     累積登高:475m  

自宅を出発し、南の端にあたる横山公園に着く。大きな駐車場で、祠やお地蔵さんがある。


階段を登ってゆくがすぐに横山公園で、大きな岩、古墳跡がある。明るい場所で春先に来てみたいところだ。穏やかな広い尾根を進み、一旦は下る。作業道がいくつもあるが。散策道は手^プがあって踏み跡をたどる。最初のピークが童子山で展望デッキが作られている。ここからの東の眺めはコース随一で、鈴鹿山脈が素晴らしい姿を見せる。手前の箕作山、きぬがさ山などの前の山並も素敵だ。
白い2つの山容は伊吹山と霊仙山、鈴鹿山系北部

右手は綿向山、その北に続く鈴鹿山系

野寺城跡に着く。目立ったものはなく、写真を取って、鞍部に下る。十字路になっていて、直進方向が大岩展望台経由の山頂コースになる。地理院の地図に破線で直登できるコースが記されているが踏み跡はなく、しばらく探った後、元のコースに戻る。整備された道で、要所要所には表示がある。シダのうっそうとしたところを過ぎ、眺望が開けると大岩のある展望所に着く。あずま屋があって一息つくには絶好である。3人ずれのグループに出会う。この後、同じコースを辿り、何回も出会うことになる。
大岩からの眺めは南方向を中心に180度以上確保されている。
大岩からの眺め左は鈴鹿南、右手は飯道山〜阿星山〜金勝アルプス

展望を楽しみながら、一旦は下りになる。その後は階段状の道になり、更に馬の背になる。振りかえれば素晴らしい展望だ。樹林帯になり、登り切った先が大きな広場になった雪野山山頂になる。
雪野山山頂

少し前で作業をしていた数名の人の上着が山頂表示に掛けられ、バッグも無造作に置かれている。木を切るチェインソーがうるさく、落ち着かないため、少し進んだ東側が開けたところで昼食にする。ヒノキの切株があって良いテーブルに使える。長めのランチタイムになる。

比較的平坦だが、岩の多い道で、ミツバツツジが登山道の両側に続く。西側の見晴らしがよい。湖南平野、鏡山が綺麗に見える。10分強で、歴史公園への下山道が分岐する。高圧線鉄塔が立ち、すぐ下った先が絶好の展望台だ。

そちらの道を分け、安妃山への表示に従って一気に下る。さらに登り切ると平坦な広いところで、ベンチもある。この先が、P277になる。それまでの雪野山周辺は整備が行き届き、階段や表示がしっかりとしていたが、鉄塔以降は山らしい雰囲

気になってくる。P277mは目立たない山頂で眺望もよくない。少ないながらツツジも続く。下った先が歌振峠で回り込む格好で谷を渡り、比較的長い登りになる。山腹をまわりこむ格好で行くと、東屋に着く。Uターンに近い格好で階段を下り、突き当たった道がT字になっており、右手に進む。ほとんど休むことなく進む。稜線の所々で、北東〜東方向が開ける。きぬがさ山や箕作山〜太郎坊山などがすぐ目の前に見られる。繰山表示があり、溜池展望台、盆の木遠望台(同じ表示が2ヶ所)、少し先に大岩展望台がある。こちらはその名のごとく、大きな岩がデカンと座り、上に登りつくことができる。展望は、一層よくなる。
大岩からの北方向の山々と比良山系

すぐ横が安妃山山頂である。何の変哲もない山頂だが、三角点がある。きぬがさ山、箕作山〜太郎坊山、堀越山の一部が見える。
安妃山山頂

サッと通り過ぎ、しばらくで腰越山展望台で、正面に岩倉山」〜瓶割山が展望できる。先日登ったばかりで懐かしい。


ここから一気に下り、林道に出る、腰越(地名)駐車場とある。比較的広い林道が通っている。けもの除けのフェンスを明け、いよいよ最後の杓子山へ向かう。10分弱の登りで杓子山である。ここまでも大きな瓶に水が蓄えられている。防災対策だが、山の雰囲気を損なっている。道は更に続き、緩やかな登りである。
登山客のほとんどは表示もあって、引き返し下山しているが、尾根筋を進むと史ともあって、落ち葉が重なり歩きやすい。急な坂であるが歩きやすく、一気に下る。先にはフェンスがあるが、簡易のストッパーで簡単に開くことができた。最北に下山で来た。川にはオオバンが数匹いた。残りの2人を待って、山沿いに戻った。下山口から1時間余りであるが、それほど苦にはならなかった。

メジロ

オオバン

解説:
雪野山古墳(ゆきのやまこふん)
滋賀県近江八幡市新巻町・東近江市上羽田町・蒲生郡竜王町川守にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。琵琶湖の南東部に広がる湖東平野の独立丘陵である雪野山(標高308.82メートル、東近江市と蒲生郡竜王町の境)の頂に雪野山古墳が築造されている。本古墳と山麓との標高差は約200メートルである。本古墳は後円部を主郭とする雪野山城の跡地でもある。雪野山城は麓の北側にあった後藤館を本拠地としていた六角氏の重臣・後藤氏の詰の城である。1989年(平成元年)の夏に発見され、1992年(平成4年)まで4次にわたる発掘調査が行われた。墳丘・規模[墳丘の全長は70メートルで、前方部を北北東に向けており、琵琶湖と平行に並んでいるといえる。後円部の直径40メートル、高さ4.5メートル以上、前方部の長さ30メートル、高さ2.5メートルである。後円部は二段築成であり、葺石が敷かれているが、墳丘の一部(後円部の下段部分や前方部の前端部分)が盛土でなく湖東流紋岩を削って墳丘の表面としている。山上や段丘、丘陵上に築造された古墳は、その地形を大いに利用している古墳が多い。埴輪は有していない。埋葬施設;後円部頂上に東西に並ぶ二基の埋葬施設がある。先に埋葬されたと思われる東側の竪穴式石室が発掘調査された。この石室は主軸を南北にとり、長さ6.10メートル、北橋幅1.55メートル、南橋幅1.35メートル、高さ1.60メートルで前期前方後円墳の石室の特徴を備えており、長大に作られている。検出された墓壙の大きさは、上段墓壙は南北10.6メートル、東西7.0メートルで、下段墓壙南北8.6メートル、東西4.8メートルである。石材は、雪野山の基盤である湖東流紋岩。石室を構築している石は、一般には板石がよく使われるのだが、ここでは不正形の塊石が多く用いられている。石室には赤色顔料の弁柄が塗布されている。石室の壁の上半分でほぼ垂直に、下半分ではやや内傾きに石材を積み上げている。下半分まで積み上げて副葬品と棺の蓋を設置した葬送儀礼の一端が想定できる。石室床面が粘土床になっており、木棺の痕跡から長さは5.2メートル、幅は北端で0.9メートル、南端で0.8メートル以上と棺の大きさが推定でき、また、木棺はいわゆる舟形木棺であったと推定できる。さらに、木棺の両小口に半円形の縄かけ突起が付いており、棺内は2か所に仕切り板があって3分割されていたことも判明した。(ウイキぺデイアより引用)         

コースマップ(YAMAPより引用)

(国土地理院の地図を引用)

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作成日: 2021年1月24日