34)大江山 833m :2004年12月11日 関西百名山に戻る、 大江山連山縦走 大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。標高832m。別称、大枝山・ 与謝大山・千丈ヶ嶽。酒呑童子伝説で知られる。また、雲海の名所としても知られている。2007年(平成19年)8月3日には丹後天橋立大江山 国定公園として国定公園にも指定されている。新・花の百名山に選定されている。山としての大江山は、全体を大江山連峰と呼ぶため大江山 と呼ばれる頂上をもった峰があるわけではない。連山には北東寄りから鍋塚(なべづか、763.0メートル)、鳩ヶ峰(はとがみね、746メートル)、 千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ)、赤石ヶ岳(あかいしがたけ、736.2メートル)と呼ばれる峰がある。このうち、千丈ヶ嶽が最高峰で832.5メートルの 標高があり丹後地方最高峰である。千丈ヶ嶽には二等三角点「千丈ケ岳」、鍋塚には三等三角点「大江山」、赤石ヶ岳には三等三角点「赤石 岳」が設置されているは与謝野町、宮津市、福知山市大江町がある。山腹にはブナの原生林が広がり、稜線付近はナナカマドやヤマボウシ、 山頂には笹原が広がる。千丈ヶ嶽山頂からは南西側に間近に三岳山、西側に氷ノ山、南東側に丹波高地の山々、福知山および綾部市街、さ らに鍋塚は360°の展望が開け、若狭湾、丹後半島を始めとして、視程の良い日には氷ノ山および白山、愛宕山なども望むことができる。(ウ イキペディアより) 守山自宅(6:40)〜367号、303号、熊川宿(7:40)、大江山憩いの広場(9:56、10:00出発)−赤石ヶ岳分岐(10:10)−千丈ヶ岳(大江山)(10:41〜 10:46)−鳩ヶ峰746m(11:04〜11:24、昼食)−鍋塚763m(11:47〜11:52)−鳩ヶ峰(12:24)−千丈ヶ岳(大江山)(12:43〜12:48)−赤石ヶ岳分岐( 13:07)−赤石ヶ岳736m(13:29〜13:37)−大江山憩いの広場(13:52、14:00出発)〜自宅(17:34) 歩行時間:3時間13分、休憩時間:39分 、 滋賀県からは、丹後地域は結構時間がかかる。小浜に出て、舞鶴方面にへ向かうことが多い。3時間程度かかることから、熊川の宿で一息 つく。これからまだ2時間、10時前に大江山憩いの広場に到着する。雲海を期待して、早々に出発する。10分ほどで赤石ヶ岳分岐に着く。しば らく林道を歩き、ササの原の高原状の道を歩く。西側には雲海が広がり幻想的である。雲海のメッカだけのことはある。 千丈ヶ岳へ向かう 西の雲海 写真のような見晴らしの良い縦走路を進む。左手前方には加越町の眺め、右手は雲海である。眺望に気をとられながら、鬼獄稲荷神社の道 を分け、緩やかな登りで分岐から30分ほどで、千丈ヶ岳(大江山)の山頂に着く。空は曇ったまま、どんよりとした天気のままである。 千丈ヶ岳(大江山)山頂 ここから、鳩ヶ峰〜鍋塚への縦走路はこのコース、最も良い雰囲気の時間帯である。見晴らし良し、歩きやすい草原の道である。鳩ヶ峰まで 20分すぐである。雲の一段が過ぎ去り、西の方向から天気が回復、青空になる。写真も映える。少し早いが昼食にする。鳩ヶ峰から千丈ヶ岳 や赤石ヶ岳への縦走路が見渡せる。北西には加悦町の眺めもなかなかである。 鳩ヶ峰から千丈ヶ岳、赤石ヶ岳加悦町の眺め 20分の休憩の後、鍋塚に向かう。縦走路からの眺めは、一層映える。23分ほど、下り中心で、あっという間に到着する。違った角度からの加 悦町の眺め、振り返れば、いま来た鳩ヶ岳〜千丈ヶ岳、更に帰りによる赤石ヶ岳がこんもりと見える。5分の休憩で、戻る。帰りは、道端に咲く 花の写真を撮りながらの行程である。狂い咲きのタチツボスミレがちらほら、アキノキリンソウ、アザミも見ることができる。 タチツボスミレ 鳩ヶ峰を経て、千丈ヶ岳に戻り、小休止の後、赤石ヶ岳に向かう。分岐には1時間余りで着く。ここからの登りの22分、最後の踏ん張りである。 12月ともあって、誰にも出会わない。今まで歩いた、鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ岳を振り返り、憩いの広場駐車場まで戻った。自宅まで3時間30分、 往復で6時間30分の車の移動になった。 鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ岳を振り返り 行程マップ (国土地理院の地図を引用) 注: @鉱山としての大江山(大江山ニッケル鉱山と河守鉱山):大江山ニッケル鉱山跡。地質学的には地球の深部から隆起した地層で超塩基性( 蛇紋岩)の岩盤を持つ。金属鉱脈が豊富で周辺には金屋など金属にまつわる地名が多く見られる。古くから鉱床があることは認識されていた が、大江山北西山麓の与謝野町(旧加悦町)において日本火工(日本冶金工業の前身)の子会社が1934年(昭和9年)に探鉱を開始し、低品 位ながら無尽蔵のニッケル鉱石があることを確認した。その後、1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)にかけて大江山の鉱石を製錬す る実験を試みた結果ついに成功し、1940年(昭和15年)6月からフル操業を開始した。当初の製錬は大江山から遠く離れた石川県七尾の元セ メント工場で行われたが、太平洋戦争のための兵器製造に不可欠なニッケルを大量に確保するため大江山から近い、日本海に面した与謝郡 吉津村(現在の宮津市)に新しい製錬所を建設し、そこへ専用鉄道(かつての加悦鉄道と日本冶金工業専用線)で輸送し、製錬した。また大江 山東側山麓の福知山市(旧大江町)佛性寺には河守鉱山(こうもりこうざん)跡があり、日本鉱業により1917年(大正6年)から1973年(昭和 48年)まで銅、クロムおよび少量の銀の採掘が行われていた。主な鉱石はキューバ鉱、黄銅鉱、クロム鉄鉱、および磁硫鉄鉱などである。 A鬼退治伝説 大江山には3つの鬼退治伝説が残されている。一つは、『古事記』に記された、崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が土蜘蛛陸耳御笠(くぐみ みのみかさ)を退治したという話。二つめは聖徳太子の弟の麻呂子親王(当麻皇子)が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが源頼光と 頼光四天王が活躍したことで知られる、有名な酒呑童子伝説である。酒呑童子#妖怪としての酒呑童子を参照の事。 これは能の演目『大江 山』(五番目物の鬼退治物)にもなっている。 これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃鉱となった銅鉱山跡に1993年(平成5年)大江 町(現在は福知山市の一部)によって日本の鬼の交流博物館が作られた。なお、酒呑童子の本拠とした「大江山」は、この丹後の大江山であ ったという説のほかに、京都市西京区にある山城国と丹波国の境、山陰道に面した大枝山(おおえやま)という説もある。 関西百名山に戻る 作成日: 2017年10月19日 |