3) 諭鶴羽山 608m、黒岩スイセン郷 : 関西百名山、スイセン  
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 諭鶴羽山(ゆづるはさん)は兵庫県の淡路島南部をほぼ東西に連なる諭鶴羽山地の西部にある標高607.9mの山である。諭鶴羽山地の最高峰であり淡路島の最高峰でもある。南あわじ市の神代浦壁・北阿万稲田南・灘惣川の境界に位置する。一等三角点設置。柏原山、先山とともに「淡路三山」の一峰。古名に譲葉山ともよばれる。山名はユズリハが多く見られることから、また、この山に群落をなす照葉樹が春から夏にかけて葉を更新して(若葉に譲って)いく様から名付けられたとされる。紀伊水道に浮かぶ沼島との間を通る中央構造線の北側にあたり、堆積岩である白亜紀の和泉層群の砂岩・礫岩などで成り立っている。 南斜面は断層崖となっているため急傾斜で海岸線まで落ち込んでいる。 これに対して東西の尾根は起伏が少なく穏やかに伸びている。瀬戸内海式気候に含まれる諭鶴羽山一帯は温暖で冬季に雨が少なく 、北側山麓には灌漑用の諭鶴羽ダム・牛内ダム・大日川ダムがある。自然であるが、瀬戸内海国立公園に属し、山頂一帯の諭鶴羽神社の社叢林は国立公園の特別地域に指定されている。照葉樹林が広がり、標高450mあたりから上のアカガシの極相林は県内一といわれ、1974年(昭和49年)に兵庫県指定天然記念物に指定されている。 また南側斜面にはスイセンが約7haにわたって自生していて、灘黒岩水仙郷として例年12月下旬から観光客を集めている。哺乳類ではニホンジカ、イノシシ、ニホンザル、タヌキなどが生息している。
 登山道であるが、神社の参道である諭鶴羽古道を利用する。表参道が一の鳥居のある灘黒岩から18町。裏参道が神代浦壁・賀集牛内から30町。1町毎に町目地蔵が安置されている。また古道から発掘された町石は建武元年(1334年)銘で、在銘町石として県下最古のものである。また社叢林の原生林には前述のアカガシの他にタブノキの群落も見られる。(ウイキペディアより引用)
 今回は、時間の制約があり、諭鶴羽神社からの往復になった。なお、この山は関西百名山になっており、2001年12月15日に表参道から登り、裏参道を経て、市バス停まで歩いた。こちらは別途、報告する。

諭鶴羽神社:
山頂の南側約400mに鎮座する諭鶴羽神社は創建が開化天皇の治世と伝えられる古社である。祭神は伊弉冉尊(イザナミのみこと)・速玉男命(はやたまのをのみこと)・事解男命(ことさかのをのみこと)。三角点のある山頂は諭鶴羽神社の御旅所で、毎年4月第2土曜日に行われる春の例大祭には神輿が上がる。自然崇拝に始まったとみられる諭鶴羽参りは平安時代になると修験道の一大道場として隆盛を誇った。長寛元年(1163年)に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現御垂迹縁起伝」によると、熊野神は英彦山から石鎚山、諭鶴羽山を経て熊野新宮・神蔵の峯へ渡られたとされる。一帯に28宇の伽藍が建ち並び、熊野権現元宮・熊野本宮と称えられて京の都にまでその名が聞こえた。『枕草子』にも「峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」とある。しかし康正2年(1456年)に戦乱で全山が焼失。天文年間に美作藩主の助力で18宇を再建したが、天文18年(1549年)6月9日に石川紀伊守の乱で再び焼失。再興の望みがないため資料を後世へ伝えるべく天文21年、美作の乗蔵らが各社堂・神仏を碑石に刻んで残した。これらの碑石が奥宮・十二所神社に安置されている。その後、承応年間(1652年から1654年)に徳島藩主の蜂須賀氏により本殿、拝殿などが再建されたが、明治初年の神仏分離令によって衰退した。(ウイキペディアより引用)

守山駅(7:40)−名塩SA(8:50、9:20合流)−淡路SA(10:00〜10:15)−西淡三原IC(10:40)−黒岩スイセン郷(11:20〜12:10)−諭鶴羽神社駐車場
(12:30〜12:45)−諭鶴羽山山頂(13:10〜13:40)−諭鶴羽神社駐車場(14:00〜14:05)〜池田林道〜ダム〜西淡三原IC(14:50)−北淡IC(15:10)−
のじまスコーラ(15:30〜16:40、総会)−震災公園(16:45〜17:00)−北淡IC〜栗東IC(18:30)〜守山駅(18:45) 
                    歩行時間:45分 

 正月も明けた17日ということもあってか、宝塚付近の渋滞は全くなく、集合時間よりより50分以上早く名塩SAに着いた。コーヒを飲みながらおしゃべりをしながら大阪からのメンバーを待った。予定よりも25分ほど早く合流でき、早々に淡路島に向け出発した。自分の運転で明石海峡大橋を通るのは初めてだった。海峡すぐのSAで休憩、お土産を買い、更に西淡三原ICで高速道を離れた。黒岩水仙郷へ海岸の道を走る。海面は比較的穏やかに見え、沖に見える沼島(ぬしま)が印象的だった。国産み神話では淡路島の前に間違ってできた島で、オノゴロ島ともよばれる。着いた水仙郷の駐車場が一杯で、臨時駐車場からシャトルバスで戻った。入場料を払い、中に入る。スイセンは見上げるような崖っぷちに群生していた。急な階段道を登り、島と船を背景にスイセンの花を写真に撮る。梅も咲き始めている。好天だった空も次第に曇りだし、風で寒さも一層強く感じる。花はやや勢いがなく、少々期待外れであった。駐車場に戻り、広い車道から、諭鶴羽神社に向かう。途中、集落の「諭鶴羽山登山口(表参道)」を確認できた。急な断崖につけられた狭い道を注意深く進み、20分で神社に着いた。傾斜が緩やかになる後半は比較的ましな道であった。神社の駐車場は広く、登山者も結構多かった。古来伝説のある山らしく、社殿も立派であった。本殿前にはパンフレットに加え、1升瓶のお神酒が3本あって、それぞれ今年の平安を祈り口に運んでいた。お神酒のある横には、山開きはなぜか11月24日(2015年)で新嘗祭の日となっている。山頂へは左手に進むが、山頂まで700mと表示されている。あたりは照葉樹林帯で、山の名の由来のユズリハ、この山の特徴である大木のタブノキとアカガシが、苔とマメヅタ、キヅタやツルマサキに絡まれうっそうとした森になっている。アカガシはキリシマミドリシジミの食草で、滋賀県の鈴鹿山系が有名で、各地から採取者が多い。ここ淡路島はそうではなさそうであるが、兵庫県はアカガシの森を天然記念物に指定している。森を抜けると、大きな電波塔が現れ、足元には黄色のダイキンギクが群生している。山頂には山名の標柱があり、海や鳴門大橋が見下ろせる。一等三角点もあった。展望台で昼食タイム、カップ麺にコーヒーで温まる。同じ道を戻り、下りは別ルートの上田林道を走った。道は広めだったが、最初は未舗装で、大きい目の岩で底を擦ってしまった。構造線の反対側らしく、勾配も曲がり方も緩やかだった。上田ダムでは水が無く、そこにちょっぴりとあったのみで、車を寄せ、写真に撮った。西淡三原ICまで戻り、北淡ICで高速を離れ、すぐの新年会と総会をする「のじまスコーラ」に到着した。ここは、2010年廃校になった小学校を観光施設にしたもので、名産品の店や、レストラン、カフェがある。1月例会の参加者で、2016年度の計画を話し合った。この後、21年前のこの1月17日に野島断層がずれて、阪神淡路大震災を引き起こした断層跡を見るべく、北淡震災記念物公園に行って見た。入場は16:30分まで、外から見るだけになってしまったが、写真は撮ることができた。帰りは北淡ICから高速に入った。高速道も混雑することなく、予定通り帰着した。 


展望台付近からの様子(沼島と漁船)
諭鶴羽神社(境内には日本酒が3本) 諭鶴羽山頂

マメヅタやキヅタに絡まれたアカガシ 山頂への道(アカガシ林) ダイキンギク

行程マップ

(観光案内図の一部を引用、諭鶴羽古道を守る会)

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作成日: 2016年1月25日