31)ポンポン山 679m〜釈迦岳 631m : 2017年11月3日 関西百名山、2017年山の記録に戻る、 関西百名山に戻る
 ポンポン山(ポンポンやま)は、京都府京都市西京区と大阪府高槻市の境界に位置する標高678.7mの山で、西京区及び高槻市の最高峰である。山頂の二
等三角点は西京区に所在する。古くは加茂勢山と呼ばれていた。北摂山系に属する。江戸時代頃にはかもせ山と呼ばれていた。「かもせ」の字には、加茂勢
(「五畿内志」)、加茂背(「日本山嶽志」)などを見ることができる。ポンポン山は明治時代になり用いられるようになった呼称だが、当初は頂上のみを指す名
称だった。山頂には「この山は正しくは加茂勢山といいますが、標高679メートルの頂上に近づくにつれて足音がポンポンとひびくことから通称ポンポン山と呼
ばれています」と記された京都府設置の案内板がある。
なぜポンポン山と称されるかについては異説もあり、本山寺(ほんざんじ)の転訛説や、「この周辺の山ではポーンとひとつ高い山だから」という現地の古老の
話を吉田金彦は紹介している。吉田は本山寺転訛説、足音ポンポン説をいずれも否定しており、先斗町と同じくポルトガル語のポン(一番)が根拠ではないか
とも考えている(吉田著『京都の地名を歩く』)。一般的には足音ポンポン説がよく知られている。国土地理院測量成果である地形図には「ポンポン山」と記載
されているのみであり、現在では「加茂勢山」とは記載されていない(「点の記」では、1901年に設置された三角点の点名を加茂勢山としている)。現在では一
般的に山全体を指してポンポン山と呼ぶ。2004年刊行の「日本山名事典」ではポンポン山、加茂勢山の両名称を収録している。山頂付近では必ずしもポンポ
ンという音ではないが、一部では確かに地中に空洞のあるような音がする場所がある。その原因については、山頂近くの石灰岩の切り出し場所が影響してい
る、地下に鍾乳洞があり音が響いている、あるいは山の地層の一部に空洞があるのでは、など諸説ある。
 釈迦岳は、京都府と大阪府、詳しくは 京都府京都市西京区にある大阪府三島郡島本町の境界にある山で標高631mである。釈迦岳はポンポン山に隣接す
る島本町で唯一の三角点ピークである。山頂にあった文字が殆んど消えかけていた案内板には『釈迦岳は重要な用水として利用されていた水無瀬川の最上
流地で、お釈迦様が守っていたと云われており、万葉集にも数多くこの山が詠まれている』とあり、釈迦岳の名の由来とも取れる記述がある。ポンポン山から
は30分程度で到着するが、ポンポン山山頂の混雑振りとは対照的に、この山頂まで足を伸ばす人は少ない。ただし、釈迦岳といわれる山は全国に数多くあ
り、私の住む滋賀県にも、比良山系、鈴鹿山脈のいずれにもある。(ウイキペディアより)
今回歩いたコースは、
  JR高槻駅〜(バス)〜出灰バス停〜ポンポン山〜釈迦岳〜ポンポン山〜本山寺〜(東海自然歩道)〜神峰山寺〜原立石バス停
 
以前には、次のようなコースを歩いている。
 @2003年2月15日:川久保バス停〜渓流コース〜本山寺分岐〜大杉三又分岐〜ポンポン山〜釈迦岳〜善峰寺〜小塩バス停
 A2000年3月5日:JR山崎駅〜天王山〜浄土谷〜柳谷観音〜大沢〜釈迦岳〜杉谷分岐〜ポンポン山〜本山時〜東海自然歩道〜神峰山寺〜
             原立石バス停(神峰山口)

守山駅(7:16)〜−JR高槻駅(7:57、8:15バス)−出灰バス停(8:46、8:50出発)−光明寺 出灰不動尊(9:10〜9:23)−鬼語条橋(9:30〜9:35)−尸陀寺跡(9:40〜
9:45)−支尾根(10:00、小休)−ポンポン山(10:54〜11:02)−杉谷分岐−釈迦岳(11:32〜11:36)〜杉谷分岐(11:50)−ポンポン山(12:10〜12:50、昼食)−天
狗杉(13:25)−本山時(13:50、見学)〜東海自然歩道〜神峰山寺(14:45)−原立石バス停(15:12、15:24バス)〜JR高槻駅

守山駅に集合する。高槻駅にて下車する。コンビニでコーヒーを買い、バスの中で香りを楽しむ。、出灰まで来るとすっかり里山風景になる。表示に従い、川
沿いの道を歩く。寒波のせいか、少々肌寒い。茅葺にこげ茶の大きなトタン屋根の屋敷が印象的だ。川沿いの、綱で囲った空き地に満開の四季ザクラが美
しい。25分ほど歩けば、橋を渡った先に真言宗天照山光明寺がある。出灰不動尊があり、その奥に不動の滝がある。少し寄り道をして見学する。狭い谷間
の中にあり、代わる代わる見学する。
冬桜・四季桜? 出灰不動尊

左手の紅葉を見ながらここから更に15分ほど歩けば鬼語条(おごじょ)橋に着く。ポンポン山の案内があり、橋を渡ったところで小休止を取る。民家のそばか
ら山道になる。すぐの所に、)がある。一休さんゆかりのお寺である。足元は落ち葉が敷き詰められ、残ったモミジの紅葉もあり、雰囲気が漂う。
一休さんゆかりの尸陀寺跡(しだじ)

少しばかり見学した後、スギ林の坂をゆっくりと登ってゆく。スギ林から、落葉樹林帯に変われば、15分ほどで支尾根に出る。落葉広葉樹林の雑木林である。
日差しが漏れ出て、寒さもましになる。ポンポン山へのアプローチとしてはマイナーで登山者は我々だけの静かな歩きが続く。更に支尾根を分け進む。マツや
スギが混じってくる。ヒノキ林になり、その中を進み、登山口からの道が合流すれば、ポンポン山である。山頂はお昼時を迎え、次第に登山者で溢れる。北の
地蔵山〜愛宕山、東方向の京都市内、その奥に音羽山系、さらに奥には三上山らしき山容がうっすらと確認できる。まだ、11;00で予定通りの到着、釈迦岳を
往復する。南方向に急な道を少し下った先で、神峰山寺への道を分け、東方向に東海自然歩道を東に進む。下り坂であり、快調の足取りである。見通しの利
かない雑木やスギ林の中を進む。杉谷への分岐を分けると15分ほどで釈迦岳に着く。ベンチがあるが見通しはない。島本町唯一の三角点、また最高峰の山
だそうである。狭い山頂で、写真を撮ってすぐに引き返す。
釈迦岳
帰りはやや登りになり、少しだけ時間がかかった。山頂はまさにお昼時、登山客であふれている。子供ずれの家族も多く、賑やかである。一行12名がそれぞ
れお昼を広げる。コーヒーを入れホッと一息つく。天気は快晴で、温かい。遠くの眺望はややカスミがかかったようであるが、申し分のない景色を楽しむ。登山
同好会の人と少しばかり話もする。70代、80代皆若々しそうである。このポンポン山、京都市と高槻市の境になり、東に大文字山、比叡山、京都市街が見え
、北に半国山、地蔵山〜愛宕山、西は木津川、枚方方向になる。

北の地蔵岳〜愛宕山

東の大文字山、比叡山、京都市街、音羽山系

ポンポン山山頂写真

眺望を楽しんだ後、予定の40分になり、下山にかかる。尾根道を下る。疎林であったり、所々で大きなスギが現れる。途中、「高槻の木古」と呼ばれるスギの
巨木が現れる。天狗杉と呼ばれ、幹がいくつも分かれ、それぞれがずいぶんと太い。ここで休憩、写真で大きさを確認する。
天狗杉

しばらくで本山寺だが、境内林のスギ林になる。13:50に本山寺に到着、 本堂にお参りする。このお寺、開基は役小角行者、修業の葛城山で5色の彩雲をみ
て毘沙門天像を刻み堂を構えたのが由来だそうである。トイレ休憩を兼ねる。紅葉も結構楽しめる。
本山寺 
本山寺からは穏やかな下り道の林道で、大きなスギも目立つ。舗装道路で、40分程度歩けば神峰山寺に着く。この間も紅葉が結構楽しめる。
 紅葉を楽しみながら神峰山寺へ
 
神峰山寺は天台宗延暦寺派の寺で、かっては修験者の霊場だったところである。日本最古の毘沙門天像がある。役小角が4体の毘沙門天像を彫ったが3体
は飛んでしまい、それが、本山寺、奈良の信貴山、京都の鞍馬寺に現存するとする話が残っているのだそうである。地形と自然をうまく生かした庭園と秋の紅
葉が美しい。文化財も多い。足早に大きな境内を歩き、歴史の重みを感じ取ることができた。

 神峰山寺境内、紅葉で観光客も多い

神峰山寺を見てから山門を抜け、皆に合流、辺りの紅葉を鑑賞しながら更に舗装道を歩く。


竹林を抜け、神峰山口の鳥居から、農道、住宅街の中を過ぎて車道を原立石バス停に着いた。12分の待ちで、バスで高槻駅に戻った。
行程マップ(赤:2000年3月5日)
(国土地理院の地図より引用)


注:・真言宗天照山光明寺
光明寺 出灰不動尊は、火伏不動 出灰不動尊(いずりはふどうそん)と呼ばれている。光明寺の説明を引用する。『出灰渓谷は、摂津、山城、丹波の三国
の境界にあたる磁場の強い“ゼロ地点”で、八つの滝を擁する出灰不動谷は 役小角(役行者634伝〜706伝)ゆかりの聖山・加茂背山(ポンポン山)北斜面に
位置する 古来からの山岳信仰の行場で、不動明王がお祀りされてきました。 現在でもこの場所は京都府と大阪府の境界で、出灰不動尊も入口は高槻市
出灰小字二ノ瀬(大阪府)に位置しますが、 本堂がある場所は、正確には京都市西京区大原野出灰という住所になります。 古くは譲羽山と呼ばれていまし
たが、朝廷に献上した上質の石灰を産出した場所であるため、 いつしか、譲羽(ゆずりは)が出灰(いずりは)と呼ばれるようになったと伝わっています。 トン
チ話で有名な一休宗純(1394〜1481)が尸陀林(しだりん… 釈尊在世時のインド中部にあった聖地)に重ね合わせて移り住んだ土地としても知られていますが
、 当時は現在の想像をはるかに超える過酷で厳しい山中でした。 その過酷さゆえ、前世紀には石の不動尊を祀った不動之瀧への道も閉ざされてしまいま
したが、 平成元年、この道を再び切り拓き真言宗の寺院として再興したのが、現在の 出灰不動尊です。  この厳粛な聖地から、お不動様は悠久の時空を
超え、火伏、開運厄除、 交通安全に大きな御利益をもたらしてくださっております。 出灰不動尊では、毎月第一日曜日の一日修行体験会(予約制)と 毎年
二月第二日曜日の星祭 開運厄除火渡大祭で、 一般の方々にも、この聖地で密教の修法とその功力を体感していただいております。』
と記載されている。
・尸陀寺跡(しだじ):
尸陀寺跡は禅宗のお寺で、室町時代中期の禅僧で「一休咄(いっきゅうばなし)」でも知られる、一休禅師が開創した草庵(そうあん)尸陀寺の跡といわれて
いる。一休禅師は、1394年(応永元年)の誕生で名を宗純(そうじゅん)、号を狂雲(きょううん)といい、後小松天皇の子といわれる。6歳で仏門に入り、華叟
宗曇(かそうそうどん)に師事し、27歳で悟道(ごどう)の境地に達し、諸国を行脚したという。「一休さん」と親しまれ、今でも広く知られる存在である。

2017年山の記録に戻る
関西百名山に戻る


作成日:2016年12月7日