九州三百名山 多良岳(996m)、雲仙岳(1359m)、涌蓋山(1500m)、脊振山(1055m) : 2008年3月20日〜23日 2008年山の記録に戻る
2008年チョウに戻る、2008年花・鳥その他に戻る。
長崎空港を出発地として、長崎県2山、大分県、福岡県の4つの三百名山を登った。雲仙岳の後、島原半島から熊本に抜けるつもりでいたが、折からの強風で
フェリーが使えず、ぐるりと回って大分に出た。大分の涌蓋山を登ったその日に、福岡に入り脊振山を登った(というよりは、立ち寄ったが正しい)。最後は
、吉野ケ里遺跡を見学後、翌日、旧友のK君と再会した。
@多良岳 996m 三百名山 : 2008年3月20日
多良岳は、長崎県と佐賀県の県境、多良山地の中央に位置する。標高は 996 m。周辺は多良岳県立自然公園に制定されており、山頂には太良岳神社がある。
頂上は佐賀県藤津郡太良町(みかんで有名)に属する。多良岳信仰や修験道(しゅげんどう)の霊場で知られた名山。多良火山は、東は有明(ありあけ)海、
西は大村湾に臨む円錐形の死火山であるが、山頂付近には、多良岳、経ヶ岳(1076m)、五家原(ごかわら)岳(1057m)の三つの主峰がある。8世紀の
『肥前国風土記』にみえる塩田川水源の「託羅(たら)の峰」は、多良岳北西方に続く多良火山地をさす。多良岳の凝灰角礫岩(かくれきがん)などの裾野(すその)は
鹿島(かしま)市や太良町の佐賀県側有明海岸に広がり、放射谷のみごとな発達をみる。この裾野は国営多良岳パイロット事業で脚光を浴び、谷と谷との間の
山林・原野などはミカン園などに急速に開発された。裾野末端の有明海岸に長崎本線や国道207号が通ずる。輝石安山岩類などの多良岳中腹奥地はスギ、ヒノキ
などの林業地をなし、多良岳横断林道もできた。佐賀・長崎両県とも多良火山地一帯を多良岳県立自然公園に指定している。途中にある金泉寺は霊場で、また山腹
にはススキの風配(かざはや)高原や、長崎県側の轟ノ滝などの景観で知られる。
長崎空港9:15着−レンタカー15q−黒木登山口(10:20、10:35出発)−国見11:57−多良岳山頂(12:04〜12:24、昼食)−金泉寺12:41−林道駐車場(13:32)
実質歩行時間 2時間30分
伊丹空港より、長崎空港に到着する。レンタカーを借り、登山口に着いたのは約1時間後だ。しばらく歩くと、杉林になって、岩がある中を進む。特に特徴がある訳でない
1時間ほどで西野越に着く。視界も開け、急な山容が目につく。しばらくすると、小さなお堂と2階建ての金泉寺小屋に着く。ここからは20分ほどで多良岳山頂だ。
山頂付近では、一帯はマンサクが咲き誇っていた。多良岳3名花として、3月上旬のマンサク、5月上旬のツクシシャクナゲ、7月下旬のオオキツネノカミソリだそうだ。
オオキツネノカミソリはとりわけ有名だ。山頂で昼食をとり、隣の経ヶ岳の特徴ある山容を見て(地元の人によれば、経ヶ岳のほうが良いとのおこと)、金泉寺に立ち
寄った後、駐車場に戻った。金泉寺は結構立派だった。
この後、雲仙の宿には2時間弱で着いた。途中、千々石町の清水棚田を見ることができた。
行者地蔵 | 途中にも石像がある | 山頂におかれた祠(多良岳神社) |
山頂のマンサク | 経ヶ岳(左端)を見て | 駐車場付近のナノハナ |
ヤマガラ |
道中の景色
桜 | 千々石町の清水棚田 |
A雲仙岳(普賢岳) 1359m 三百名山 : 2008年3月21日 晴れ 強風
雲仙岳は、長崎県の島原半島中央部にある火山で千々石カルデラの外輪に位置する。普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、
絹笠山の五岳からなる山体の総称。「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがる。狭義には「三峰五岳」のうちの
「三峰」を指すこともある。1792年5月21日(寛政4年旧暦4月1日)に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊とこれによる50m高の津波災害は、島原大変肥後迷惑と
呼ばれる、肥前国と肥後国合わせて死者、行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害となった。
最高峰は、平成新山 (1,483m)で、普賢岳 (1,359m) 、国見岳 (1,347m) 、妙見岳 (1,333m) 、野岳 (1,142m)
、九千部岳 (1,062m) といった1000m級が存在する。
主峰は普賢岳だが、現在では1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての火山活動で形成された平成新山が高く、長崎県の最高峰になっている。
妙見岳には仁田峠からロープウェーが架設され、妙見岳から天草、阿蘇、長崎方面の展望がすばらしい。春のツツジ、冬の霧氷の見物も仁田峠―妙見間を
核としている。また、これらの山々に自生するミヤマキリシマ、イヌツゲ、シロドウダンは国指定天然記念物。標高約700メートルの地点には温泉地があって、
雲仙天草国立公園の観光基地をなしている。2009年(平成21)には、普賢岳を含む島原半島全体が「島原半島ジオパーク」として世界ジオパークに指定された。
池ノ原園地駐車場(7:42)−5合目7:57−仁田峠8:11−妙見山(8:40〜8:50)−国見岳(9:12〜9:17)−普賢岳(9:50〜10:00)−紅葉分岐10:14−仁田峠10:50
−池ノ原園地駐車場11:14 実質歩行時間 3時間3分
池ノ原園地はミヤマキリシマの群落地で5月には素晴らしい雰囲気に包まれる。正面に妙見岳を見てすすむ。しばらくで仁田峠に出る。ロープウエイに沿って進む。
高度があがるにつれ、雲仙の温泉街、天草諸島が見られるようになる。ミヤマキリシマノが多い。ロープウエイ駅から少し下り、稜線を歩く。妙見岳に差し掛かる
ころには、次第に風が強くなった。しばらくで妙見岳山頂に着く。眺めを楽しんだ後、国見岳へ向かう。普賢岳への分岐のあたりで、普賢岳に覆いかぶさる平成新山
が目につく。なかなかの眺めだ。ササのある岩場をひと登りすれば国見岳山頂に着く。山頂からは、諫早湾越しに昨日の多良山地のゆるやかな稜線が見える。また
分岐に戻り、稜線を急下降すると、鞍部の紅葉茶屋に着く。急な坂を20分ほどで普賢岳に着く。平成新山の荒々しい山容が目の前に広がる。噴気をあげ、行くことは
できない。あたりは満足な樹木もない。十分に眺めた後は、紅葉茶屋に戻り、薊谷へ下る。紅葉の名所となっている。仁田峠に戻り、さらに駐車場まで戻った。道中、
あちらこちらで鳥の姿を見ることができた。
仁田峠越しに、雲仙温泉郷、遠くは長崎半島 | 天草諸島 | 普賢岳越しに平成新山(国見岳から) |
普賢岳山頂から平成新山 | 普賢岳山頂から天草諸島 | 普賢岳山頂から島原半島 |
雲仙地獄 |
鳥
シジュウカラ | ホオジロ |
下山後、島原港から熊本に渡る予定であったが、フェリーが強風で運航していないことを確認し、大回りで高速道を進んだ。途中、大分県玖珠郡九重町にある
九重 “夢” 大吊橋に寄り、橋を渡った。標高777m、高さ173m、長さ390m、 たくさんの人が往復している。橋からは観光スポットの一つだ。滝からは、日本の滝
百選に選ばれた震動の滝、九酔渓、鳴子川渓谷などが眺望できる。その後、筋温泉のひなびた旅館に宿泊した。週日、泊り客は私一人で、大きな温泉で
ゆっくりと疲れをいやした。古い人形やお雛様が飾られ、いい雰囲気だった。
移動時、雲仙岳を振り返る | 九重 “夢” 大吊橋 | 滝の向こうにくじゅう連山(橋から) |
橋から見た「日本の滝百選」震動滝の虹 | 筋湯温泉の旅館にて | ジョウビタキ(筋湯温泉で) |
3)涌蓋山 1500m 三百名山 : 2008年3月22日 晴れ
涌蓋山(湧蓋山、わいたざん、わいたさん)は、大分県玖珠郡九重町と熊本県阿蘇郡小国町にまたがる第四紀の火山。活火山ではなく、山体地形は侵食が
やや進んでいる。放射年代によれば約50万年前〜40万年前の噴火で誕生したとされる。
九重連山の北西にやや離れて位置する独立峰で、標高は1,499.5m。頂上は僅かに大分県側に属する。その山容が秀麗で均整の取れた円錐形の美しい形を
していることから、大分県側からは玖珠富士、熊本県側からは小国富士と呼ばれ、日本三百名山の一に数えられ、大分百山にも選ばれている。標高は九重連山
の山群より低いものの周囲に遮るものがないため、南北に延びた平らな草原となっている山頂からは、360度を見晴らすことができ、九重連山、阿蘇山、由布岳など
をはじめ、天候がよければ祖母山(大分県・宮崎県)、雲仙岳(長崎県)まで見渡すことができる。民話では、背比べで負けた万年山(はねやま、標高1,140m)が腹を
立ててこの山を跳ね飛ばし、涌いたようにこの場所に山ができたので、涌蓋山(わいたさん)と呼ばれるようになったと伝えられている。
周辺は日本有数の地熱地帯であり、九州電力大岳発電所、八丁原発電所といった地熱発電所が存在する。また、九重九湯(宝泉寺温泉、壁湯温泉、川底温泉、
筌の口温泉、筋湯温泉ほか、はげの湯温泉、岳の湯温泉、山川温泉といった多数の温泉も涌いている。
今回は、筋湯温泉に泊まり、ひぜんコースを往復した。山頂からは、素晴らしい景観を楽しむことができた。
筋湯温泉駐車場(7:04)−登山口(7:13)〜ひぜん湯コース〜反射板横(7:45)〜湯坪コース分岐(7:55)〜湧蓋越え(8:10)〜女岳(8:35、5)〜湧蓋山(8:50-9:10)〜
女岳(9:17)〜湧蓋越え(9:33)〜湯坪コース分岐(9:48)> 〜疥癬湯登山口(10:17)〜筋湯温泉駐車場(10:28) 実質歩行時間 3時間5分
宿を出て、駐車場に戻り荷物を入れる。筋湯温泉は狭苦しい道で、手っ取り早い国道沿いの駐車場に止めていた。温泉街にも近く、表示もそのようになっている。
ここから、また戻り、温泉街を川のほうに下る。ここから橋を渡り、ひぜん湯コースに出られる道がついている。道はわかりやすく、まだ新芽の出ない広葉樹林の
中を登ってゆく。間もなくすると草原の見晴らしの良い登山道となり、これから歩いていく道が一望できるようになる。天気もまずまずで、気持ち良い草原歩きだ。
吹く風が心地よく感じられる。人はなく、黙々と歩く。あたりの風景を写真に撮りながら、ゆるやかに登っていくと涌蓋山が姿を現してくる。 広い草原を進み短い
樹林帯を抜けると涌蓋越えに着く。ここから急坂を登ると女岳に到着する。振り返れば、九重連山が見渡せる。さらに坂を登ると、だだっ広い山頂に着く。山頂は
だれ一人いない。山頂からの眺望は、九重連山、阿蘇山、由布岳などが見渡せる。天候がよければ祖母山、雲仙岳が望める。そのうち、一人の登山客が来た。
しばし歓談し、別れを告げた。帰りも往路をたどり駐車場へと戻った。草原がほとんどで、見通しも良く、なかなかの名山であると思った。
下山後は、次なる目的地の背振山へと向かった。背振山も、自衛隊の道路を利用すれば山頂直下の駐車場まで行ける。同じ日の登山ができる。その後、
吉野ケ里遺跡を訪問した。この日は盛りだくさんになった。
山頂からのパノラマ写真 ・・・ くじゅう連山
ヒガラ |
登り口付近 | 湧蓋越えへ向かう。女岳と涌蓋山 | 左手奥が由布岳(双峰/東岳と西岳)と雪彦山 |
阿蘇山(手前に風力発電) | くじゅう連山、白煙は地熱発電所 | 山頂スナップ |
4)背振山 1055m 三百名山 : 2008年3月22日 晴れのち時々曇り
脊振山(せふりさん)は、福岡県福岡市早良区と佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6m、脊振山系最高峰も山である。日本三百名山の一つ。
山頂には、航空自衛隊、アメリカ軍のレーダーサイト(脊振山分屯基地)がある。脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。脊振山系一帯は、
古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であったため、その痕跡が多数みられる。「脊振山」は江戸期までは山系一帯にある坊の
総称であった。現在の脊振山山頂は「上宮獄」と呼ばれていた。隣山である千石山の中腹(佐賀県側)に今も残る霊仙寺跡(現 吉野ヶ里町文化財)は
脊振山中宮に当時あった中心的な坊の一つである。
脊振山頂には脊振神社の上宮があり、弁財天がご神体として祀られている。五穀豊穣の神として、肥前や筑前の農民の信仰を集め、現在も参拝者が多い。
なお、霊仙寺跡付近は、栄西が中国よりお茶の種を持ち帰り日本で初めて栽培し、日本の茶の栽培の発祥地とされる。霊仙寺跡よりしばらく歩いた、
佐賀県側の西にはサザンカの自生北限地があり群生している。 山頂直下に自動販売機やトイレが設置された駐車場がある。駐車場までの道は、
自衛隊基地の正門までのアクセス道となっており、夜間の一般車の通行が禁止されている。駐車場から自衛隊のフェンス横の道を300mほど登れば
山頂に達する。今回は、涌蓋山からその日に入り、お手軽登山となった。
脊振山山頂駐車場(13:03)−脊振山山頂(13:15〜13:27)−脊振山山頂駐車場(13:33) 実質歩行時間 18分
涌蓋山を下山したその足で、九重ICから大分自動車道に入る。東脊振ICを出て、吉野ケ里町を通過、さらに脊振ダムを目指した。その後、
自衛隊基地の正門までのアクセス道を利用し、山頂横の駐車場に到着した。自衛隊のフェンス横の道を300mほど登れば山頂に達する。今回は、
涌蓋山から移動してのお手軽登山となった。基地横ではシジュウカラがいた。
山頂の脊振神社 | 神社から自衛隊レーダ基地を見る |
まだまだ時間があり、吉野ケ里遺跡を見学、この後、旧友のK君を訪ね、翌日は長いブランク後の再会を果たした。
吉野ケ里遺跡復元 | 吉野ケ里遺跡復元 |
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作成日2013年12月7日