10) 藤倉山〜鍋倉山」〜湯尾峠(福井県今庄) 643.5m :2016年4月12日 、ギフチョウ、カタクリ、春の花 2016年山の記録に戻る 、2016年チョウのページに戻る、 2016年花・鳥・その他に戻る、 今回登った藤倉山と鍋倉山は、北国街道と北陸道が合流する山間の旧今庄宿の里山にあたる。この時期には、新羅神社と湯尾峠のカタクリ、山麓、尾根筋・稜線上のギフチョウが楽しめる。登山道には、コブシ、スミレ、イチリンソウ、イワウチワが咲き、芽吹き始めたブナ林の緑が映える。山頂からは白山、荒島岳、能郷白山が展望できる。八十八ヶ所霊場からの下りは地蔵さんが見守ってくれる。途中の展望は、日野川、356号線、JR北陸本線、北陸道の家並が楽しめる。 守山(6:55)−今庄駅(8:50、8:55出発)−新羅神社(9:00〜9:36周辺探索)−燧ヶ城址道へ(9:36)−燧ヶ城址(10:00〜10:05)−鉄塔2系列(10:45)−山頂1.1q(38分)ポイント(1050)−藤倉山643.5m(11:28〜12:05)ー鍋倉山1.4q(35分ポイント(12:17)−鍋倉山517m(12:46)−八十八ヶ所霊山 弘法寺(13:05〜13:40)−湯尾峠(13:56〜14:03散策)−湯尾峠登山口(14:11)−今庄駅(14:35〜14:45)〜365号線〜161号線〜守山(17:10) 歩行時間 : 5時間40分 (休憩時間を含む) 休憩時間:約1時間20分 約8q Hさんからギフチョウの情報をいただき、天気の良い日を選んで訪問した。予定時間通り、今庄駅に到着した。駅の無料駐車場で駐車する。カメラを準備中に隣の場所に車を止めた方からカタクリと声をかけられる。駅内の観光案内で簡単な山の案内をもらい出発する。駅をまっすぐに出て、カタクリと書いた旗に沿って左折する。すぐに新羅神社の鳥居に着く。あまり早く登ってもチョウには早すぎるかと、新羅神社のカタクリ群生地とあたりを周遊する。咲いているカタクリは思ったより少なかった。シカの害があって、また保護のため網で仕切られている。しばらく行くと、1匹のギフチョウが下りてきてとまった。そこそこの写真は撮れ、幸先の良いスタートとなった。目途の9:30が過ぎたので、燧ヶ城址道へ分かれる。広葉樹林帯が中心の道で、芽吹きの季節だ。足元はイカリソウとスミレが中心である。しばらく登ると、今庄の町が良く見える。快晴の天気、城址までの24分で汗が出る。カタクリの撮影に来た方と言葉を交わし、先へ進む。ヒオドシチョウが現れ、しばらくは平坦な道である。ギフチョウが次々と現れ、時にはテリ争いをする。スミレに吸蜜する固体も出て、忙しくなる。カタクリも少ないながら咲いている。結構新鮮なギフとすれたギフが混じっている。しばらく歩き、下がったところが山頂まで70分、北陸電力の巡視路で、左手に急な坂が下っている。しばらくおりてみる。少しカタクリもある。登り返しが気になり、元に戻る。急な坂になる。チョウはやや少なくなってくる。平坦になれば結構出てくる。周辺はすべて広葉樹林帯で明るい。ミヤマセセリがスミレで蜜を吸っている。足元はスミレが咲き、タムシバ(コブシ?)の白い花が目立つ。2系列の鉄塔があり、広場になっている。山頂まで1.1q38分表示が出てくる。ブナが現れる。大きな幹回りだ。新芽が出だしている。この時期の山道は気持ちが良い。巡視路分岐が何回か現れ、最後のものから16分で山頂につく。途中、嘴の黄色いヒヨドリの幼鳥が止まり撮影する。最後に登りきれば山頂で、そばに鉄塔が立っておりここからの北東方向の眺めはすこぶる良い。白山、その横に荒島岳、少し右方向に能郷白山の山並みが続く。山頂では、ヒオドシチョウとギフチョウがテリ争いだ。ヒオドシチョウも多く、羽音を出しながらギフチョウとせっている。羽音がするのを聞くのは初めてだ。キアゲハ、ルリシジミも現れ、賑やかだ。用意のカップ麺とコーヒを入れ、撮影をしながらの昼食タイムになる。40分ほどの休憩を取り、鍋倉山に向かう。山頂からは緩やかな下りで、すぐにイワウチワの綺麗な花が目につく。ササもあり、ギフチョウも相変わらず多く、結局、峠まで見ることができた。すぐに下の宮コースの分岐があらわれる。なおも進み、鍋倉山1.4q(35分)のポイントからは一旦急な坂に変わる。岩混じりで、慎重に下る。ミツバツツジも綺麗だ。やがて平坦な稜線を歩くことになる。時々、見晴らしが良くなる。40分ほどの歩きで鍋倉山に着く。あまり変わり映えのしない山頂である。ギフチョウもいる。ここから、右手帰り方向に分岐が出ている。光明聖寺跡に行くことができる。山頂からもよく似た風景で、やや狭い山道になる。歩きやすい道で、20ほどで八十八ヶ所霊山 弘法寺に着く。ここから先の道は、湯尾峠にまわろうと、直接登山道に下ろうと地蔵さんがずっと続く。弘法寺では、撮影中に追い抜かれた先客が陣取り、豚汁を作っている最中だった。声をかけてもらい、一緒にご馳走になった。お昼と同じくらい35分ほど休憩し、先に湯尾峠に向かう。目印とな岩屋不動明王から左手にとって、急な坂を下る。杉林を下りきれば湯尾峠に到着する。このあたりもカタクリの群生地で、直進し、坂を上がった先が広く開け、明るく、左手の崖にカタクリが咲いている。ギフチョウも多く、カタクリに一瞬止まってくれたが、撮影には至らなかった。しばらくうろうろとして、うす暗い道を今庄に向け出発する。この峠、昔の要所であった。JRのトンネルの上をまわる格好で右手に下って進むと先には、イチリンソウが咲いている。ここにもギフチョウがいる。スジグロシロチョウもいる。ムラサキケマン、ヒメシャガ、ヤマブキもあって最後まで楽しく歩ける。先に進むと八十八ヶ所霊山からの登山口に出る。更に町中を歩き、駅に戻った。渇いたのどを牛乳とコーヒーで潤す。帰りは一般道で帰った。何度か来た今庄365スキー場の前を通り、365号から161号に出て今津に出た。まだ十分に見られる桜並木、折から海津大崎帰りのたくさんの人を横目に車を走らせた。
@北国街道今庄宿 今庄観光協会によれば、北国街道 今庄宿 について次のように書かれている。 今庄宿は、古くから幾重にも重なる南条山地は北国街道・北陸道の難所であり、山中峠、木の芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠のいずれかの山越えの道を選んで今庄に至り、京または江戸へ行き来する人々が宿泊した宿場町でである。今庄は、江戸時代を通じ宿場として越前でもっとも繁栄した。初代福井藩主 結城秀康は、北陸道を整備するにあたり今庄については重要な宿駅として計画的な町並みを造らせた。文化年間(1804年〜1818年)には、街道に沿って北から上町、観音町、中町、古町、新町の5町あり、その町並みは約1キロメートルに及び、家屋が櫛の歯のようにぎっしりと立て込んでいた。特に中町には、福井藩、加賀藩の本陣や脇本陣、問屋、そして多くの造り酒屋、旅籠が集まり、高札場もあった。北国街道は、江戸参勤には最短路であり、越前各藩は必ずと言っていよいほど、今庄宿を利用した。江戸時代中期以降は、商用や京への寺参り、伊勢参りなどの旅人の宿泊が急増し今庄宿は繁忙を極めた。 A現在の南越前町今庄 南北方向に北陸本線(北陸トンネル)と国道365号が貫通している。また、敦賀市とは北陸自動車道と国道476号木ノ芽峠トンネルが通じている。北陸自動車道には今庄インターチェンジが設置されている。町内にある駅は、南今庄駅、今庄駅、湯尾駅である。日野川の最上流部になり、広野ダム、桝谷ダム、夜叉ヶ池がある。大野市、和泉村、福井市、勝山市、敦賀市に次いで県内自治体で6番目に広い面積であり、町村に限定すると和泉村に次いで県内2位である。(ウイキペディアより) 行程マップ (国土地理院の地図を引用) 2016年山の記録に戻る、2016年チョウのページに戻る 、2016年花・鳥・その他に戻る、 作成日: 2016年4月14日 |